神奈川は東海道に面した、細長い宿場町である。街道の関門が撮影されている。F.ベアトアルバムの写真である。Kanagawa was a long and narrow lodging town on the Tokaido. A gate on the road is photographed. A photo from the F. Beato album
有章院霊廟勅額門を入った正面にある御霊殿拝殿入り口の門を正面から写したものである。門の扉が開け放たれ、拝殿に続く前廊が見えるが、柵が設置され、出入りはできないようである。石段前に跪き、参拝する男性の身...
軒が波打っていて、大仏殿明治修理以前の撮影である。現在の大仏殿は宝永6年(1709)に完成したから、明治末年の大修理まで200年近くを経ていたことになる。大規模建築で構造上の負担、とくに屋根の荷重によ...
整理番号8-9の写真より古い時代のもの。江戸時代には大仏堂もあった。Older than the picture numbered 8-9. In the Edo era, there was als...
ODAWARAとの書き込みがあるが、実際は神奈川台町の関門。外国人殺傷事件が相次いだことを受けて、警備体制の強化のために幕府が設置したもの。神奈川では東西の二箇所に設置された。写真は左手が海側。The...
旧神奈川宿の台町を東から西方向に撮影したものであろう。宿場時代の面影を伝える写真である。左手の家並みの裏手の崖下は、袖ヶ浦と呼ばれる海で、江戸時代には風光明媚なことで知られた。右手の丘は高島台、坂を上...
F.ベアトアルバムの写真である。横浜と藤沢の間の東海道を撮影した写真である。幕末から明治初期の東海道の道路が分かる写真である。A photo from the album of F. Beato. A...
ベアトが特に東海道の松並木に関心を寄せて撮った写真と思われる。街道に見える数人の男たちはその服装などから見て、旅人ではなく、松の手入れをする職人たちに違いない。This is probably a p...
ベアト撮影。「横浜近くの神道の寺の入り口、64年8月7日」と記されている。これは横浜の弁天社である。この神社は横浜村の鎮守として洲干弁財天社と呼ばれた。Taken by Beato. Written ...
唐門は東照宮本社の正門である。江戸時代には将軍に直接拝謁できる身分の幕臣や大名だけが使用を許された。正面上部の彫刻は「舜帝朝見の儀」。唐門の内側に人物が立っている。後ろの建物が本社拝殿である。Kara...
場所は特定できないが、東京のあるお寺の山門。境内の内側から写したものだが、山門の下には数人の人物の姿が見える。The place is unknown, but the front gate of a...
バンド(Bund)全景。イギリス波止場からの撮影。海岸通は明治18年(1885)に松並木が植えられ、プロムナードとしての景観が整えられた。植樹時期より撮影は明治20年代か。左端に見えるのがフランス波止...
明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。『長崎聖壽山』と題されている。崇福寺三門(楼門)。最初はこの造りでなかったが、嘉永2年(1849)竜宮門造りで再建された。長崎の代表的な観光地...
日光東照宮境内入口の大鳥居と正面奥の表門(仁王門)を写したもの。表参道を上り詰めるとこの広場に出る。大鳥居は黒田筑前守長政が元和4(1618)年に奉納した。高さは9メートルあり、江戸期に建てられた石造...
箱根神社に向かって芦ノ湖を見ながら下って行く途中にある屏風鳥居である。右に小屋掛けがあるのは、明治初期までである。The Far Eastの2巻20号にほぼ同じ写真で、人物の位置が異なるものが載る。T...
英語で「寺の入り口」と書き込まれているが、長崎諏訪神社の旧中門である。上野彦馬のアルバムのなかの一枚である。明治10年代の撮影で、門の脇にまだ伊万里焼きの灯篭が置かれていない。Entitled "En...
有章院霊廟勅額門を入った正面にある御霊殿拝殿入り口の門を正面から写したものである。門の扉が開け放たれ、拝殿に続く前廊が見えるが、柵が設置され、出入りはできないようである。石段前に跪き、参拝する男性の身...
軒が波打っていて、大仏殿明治修理以前の撮影である。現在の大仏殿は宝永6年(1709)に完成したから、明治末年の大修理まで200年近くを経ていたことになる。大規模建築で構造上の負担、とくに屋根の荷重によ...
整理番号8-9の写真より古い時代のもの。江戸時代には大仏堂もあった。Older than the picture numbered 8-9. In the Edo era, there was als...
ODAWARAとの書き込みがあるが、実際は神奈川台町の関門。外国人殺傷事件が相次いだことを受けて、警備体制の強化のために幕府が設置したもの。神奈川では東西の二箇所に設置された。写真は左手が海側。The...
旧神奈川宿の台町を東から西方向に撮影したものであろう。宿場時代の面影を伝える写真である。左手の家並みの裏手の崖下は、袖ヶ浦と呼ばれる海で、江戸時代には風光明媚なことで知られた。右手の丘は高島台、坂を上...
F.ベアトアルバムの写真である。横浜と藤沢の間の東海道を撮影した写真である。幕末から明治初期の東海道の道路が分かる写真である。A photo from the album of F. Beato. A...
ベアトが特に東海道の松並木に関心を寄せて撮った写真と思われる。街道に見える数人の男たちはその服装などから見て、旅人ではなく、松の手入れをする職人たちに違いない。This is probably a p...
ベアト撮影。「横浜近くの神道の寺の入り口、64年8月7日」と記されている。これは横浜の弁天社である。この神社は横浜村の鎮守として洲干弁財天社と呼ばれた。Taken by Beato. Written ...
唐門は東照宮本社の正門である。江戸時代には将軍に直接拝謁できる身分の幕臣や大名だけが使用を許された。正面上部の彫刻は「舜帝朝見の儀」。唐門の内側に人物が立っている。後ろの建物が本社拝殿である。Kara...
場所は特定できないが、東京のあるお寺の山門。境内の内側から写したものだが、山門の下には数人の人物の姿が見える。The place is unknown, but the front gate of a...
バンド(Bund)全景。イギリス波止場からの撮影。海岸通は明治18年(1885)に松並木が植えられ、プロムナードとしての景観が整えられた。植樹時期より撮影は明治20年代か。左端に見えるのがフランス波止...
明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。『長崎聖壽山』と題されている。崇福寺三門(楼門)。最初はこの造りでなかったが、嘉永2年(1849)竜宮門造りで再建された。長崎の代表的な観光地...
日光東照宮境内入口の大鳥居と正面奥の表門(仁王門)を写したもの。表参道を上り詰めるとこの広場に出る。大鳥居は黒田筑前守長政が元和4(1618)年に奉納した。高さは9メートルあり、江戸期に建てられた石造...
箱根神社に向かって芦ノ湖を見ながら下って行く途中にある屏風鳥居である。右に小屋掛けがあるのは、明治初期までである。The Far Eastの2巻20号にほぼ同じ写真で、人物の位置が異なるものが載る。T...
英語で「寺の入り口」と書き込まれているが、長崎諏訪神社の旧中門である。上野彦馬のアルバムのなかの一枚である。明治10年代の撮影で、門の脇にまだ伊万里焼きの灯篭が置かれていない。Entitled "En...
有章院霊廟勅額門を入った正面にある御霊殿拝殿入り口の門を正面から写したものである。門の扉が開け放たれ、拝殿に続く前廊が見えるが、柵が設置され、出入りはできないようである。石段前に跪き、参拝する男性の身...
軒が波打っていて、大仏殿明治修理以前の撮影である。現在の大仏殿は宝永6年(1709)に完成したから、明治末年の大修理まで200年近くを経ていたことになる。大規模建築で構造上の負担、とくに屋根の荷重によ...
整理番号8-9の写真より古い時代のもの。江戸時代には大仏堂もあった。Older than the picture numbered 8-9. In the Edo era, there was als...