遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたもとに建つボートハウス。View of the Bund and Yamate Hill. The two rather large buildings in the centre right are the old (left) and new buildings of the Grand Hotel located on the eastern edge of the Bund. The British Navy warehouse is on the left of the Horikawa Waterway. A boat house is visible at Furansu Hatoba (French Wharf) on the far right
英語で「覆われた舟(屋根舟)」と解説されている。船頭と中央の男性は半纏を着ているが、この半纏は小川一真のモデルの特徴である。女性の5人ともモデルと思われる。遠景は横浜であろう。The English ...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
風頭から旧市街北部の鳥瞰風景。中島川は出島の背後にで流れが変えられ、架橋されている。税関の建物が海上に見えている。写真左下に英語で「長崎港」の意の説明。整理番号21-10とほとんど同じアングルで撮影さ...
遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたも...
英語で「山手、横浜」と印刷されているが、これは山手の丘から海を望んでいる。木製の手すりがついた斜面の街路を人力車夫が婦人の客を乗せて登攀している。地蔵坂で外国人遊歩新道を撮影したものである。The c...
バンド東端と山手方面を望む。18~20番のグランド・ホテル新館・旧館から堀川を隔ててその奥にみえるのはイギリス海軍の物置所。のちに海軍病院の庭園になる。手前の人物が立っているのは、フランス波止場。Vi...
目録番号3175とほぼ同じアングルだが、電信柱の数が増えており時代はさらに下る。中央奥のフランス波止場には明治13年(1880)設置のボートハウスがみえ、同18年バンドに植樹される松並木がないことから...
左手のこんもりとした丘は宇治野山 (うじのやま) 。現中央区の中山手通6・7丁目から山本通5丁目あたりの風景。明治初期から中期の撮影だろう。居留地背後の雑居地のなかでも、西部にあたるこの地域にも洋風建...
場所未詳の海岸の漁村。干潮の海岸に漁船と思われる和船が10艘近く置かれ、中央には砂浜で人が写されている。漁村のほとんどの屋根が藁葺きで、僅かに瓦屋根が混じっている。横浜の近くと思われる。A fishi...
ベアトの写真の中に平潟湾の風景を遠望したものがある。そこでは水辺に立つ茶屋が数軒見える。そのたたづまいは本写真と非常に類似している。同一場所と断言はできないが海辺の茶屋か旅館を写したものに違いない。P...
バンド(Bund)全景。イギリス波止場からの撮影。海岸通は明治18年(1885)に松並木が植えられ、プロムナードとしての景観が整えられた。植樹時期より撮影は明治20年代か。左端に見えるのがフランス波止...
グラバー住宅が三菱重工から長崎市に寄贈され、昭和30年(1970)に長崎市のグラバー邸が整備された。昭和30年(1970)頃のグラバー邸から長崎港、長崎湾の湾奥を見た絵葉書。2枚つづりの戦後の絵葉書。...
左端は山下居留地69番館。その奥に旧ヘボン邸。煙突をもった建物がグランド・ホテル旧館。谷戸橋(明治20年に鉄橋化)を挟んで山手側には、サルダ(P.Sarda)設計のフランス領事館の付属施設が見えている...
写真中に場所を特定する手掛かりはないが、整理番号3-1「横浜海岸通り(1)」との比較から、本写真も横浜海岸通りと思われる。着物にかんかん帽をかぶった男が柵の鎖に持たれて物思いに耽っているようである。T...
小高い山地の上から眼下に海辺を眺望する。右手前から左奥にむかい、山裾に沿って谷川が流れ、下流に扇状地が形成されている。扇状地には整備された田地が見え、農耕が営まれている様子。海は穏やかで、対岸の丘が霞...
英語で「覆われた舟(屋根舟)」と解説されている。船頭と中央の男性は半纏を着ているが、この半纏は小川一真のモデルの特徴である。女性の5人ともモデルと思われる。遠景は横浜であろう。The English ...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
風頭から旧市街北部の鳥瞰風景。中島川は出島の背後にで流れが変えられ、架橋されている。税関の建物が海上に見えている。写真左下に英語で「長崎港」の意の説明。整理番号21-10とほとんど同じアングルで撮影さ...
遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたも...
英語で「山手、横浜」と印刷されているが、これは山手の丘から海を望んでいる。木製の手すりがついた斜面の街路を人力車夫が婦人の客を乗せて登攀している。地蔵坂で外国人遊歩新道を撮影したものである。The c...
バンド東端と山手方面を望む。18~20番のグランド・ホテル新館・旧館から堀川を隔ててその奥にみえるのはイギリス海軍の物置所。のちに海軍病院の庭園になる。手前の人物が立っているのは、フランス波止場。Vi...
目録番号3175とほぼ同じアングルだが、電信柱の数が増えており時代はさらに下る。中央奥のフランス波止場には明治13年(1880)設置のボートハウスがみえ、同18年バンドに植樹される松並木がないことから...
左手のこんもりとした丘は宇治野山 (うじのやま) 。現中央区の中山手通6・7丁目から山本通5丁目あたりの風景。明治初期から中期の撮影だろう。居留地背後の雑居地のなかでも、西部にあたるこの地域にも洋風建...
場所未詳の海岸の漁村。干潮の海岸に漁船と思われる和船が10艘近く置かれ、中央には砂浜で人が写されている。漁村のほとんどの屋根が藁葺きで、僅かに瓦屋根が混じっている。横浜の近くと思われる。A fishi...
ベアトの写真の中に平潟湾の風景を遠望したものがある。そこでは水辺に立つ茶屋が数軒見える。そのたたづまいは本写真と非常に類似している。同一場所と断言はできないが海辺の茶屋か旅館を写したものに違いない。P...
バンド(Bund)全景。イギリス波止場からの撮影。海岸通は明治18年(1885)に松並木が植えられ、プロムナードとしての景観が整えられた。植樹時期より撮影は明治20年代か。左端に見えるのがフランス波止...
グラバー住宅が三菱重工から長崎市に寄贈され、昭和30年(1970)に長崎市のグラバー邸が整備された。昭和30年(1970)頃のグラバー邸から長崎港、長崎湾の湾奥を見た絵葉書。2枚つづりの戦後の絵葉書。...
左端は山下居留地69番館。その奥に旧ヘボン邸。煙突をもった建物がグランド・ホテル旧館。谷戸橋(明治20年に鉄橋化)を挟んで山手側には、サルダ(P.Sarda)設計のフランス領事館の付属施設が見えている...
写真中に場所を特定する手掛かりはないが、整理番号3-1「横浜海岸通り(1)」との比較から、本写真も横浜海岸通りと思われる。着物にかんかん帽をかぶった男が柵の鎖に持たれて物思いに耽っているようである。T...
小高い山地の上から眼下に海辺を眺望する。右手前から左奥にむかい、山裾に沿って谷川が流れ、下流に扇状地が形成されている。扇状地には整備された田地が見え、農耕が営まれている様子。海は穏やかで、対岸の丘が霞...
英語で「覆われた舟(屋根舟)」と解説されている。船頭と中央の男性は半纏を着ているが、この半纏は小川一真のモデルの特徴である。女性の5人ともモデルと思われる。遠景は横浜であろう。The English ...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
風頭から旧市街北部の鳥瞰風景。中島川は出島の背後にで流れが変えられ、架橋されている。税関の建物が海上に見えている。写真左下に英語で「長崎港」の意の説明。整理番号21-10とほとんど同じアングルで撮影さ...