グラバー住宅が三菱重工から長崎市に寄贈され、昭和30年(1970)に長崎市のグラバー邸が整備された。昭和30年(1970)頃のグラバー邸から長崎港、長崎湾の湾奥を見た絵葉書。2枚つづりの戦後の絵葉書。Donated to Nagasaki City by Mitsubishi Heavy Industries, the former Glover House was renovated in 1970. These two folding picture postcards depict Nagasaki Harbour viewed from the Glover House around that time
ベアトも1864年におなじアングルの写真を残している。民家を背景に三人の人物が見える屋形船を写したこの写真は、整理番号66-14と同一の写真であるが、当写真では左側が切れている。Beato took ...
南山手外国人居留地の南の端付近から長崎市街地方向を望む。写真右の建物は、明治20年(1887) 7月、尋常小曾根小学校を改称した尋常鎮鼎小学校。学校の裏手から山麓一帯が南山手外国人居留地。左側の町並み...
山手より神戸港を望む。1861年の兵庫開港の際、外国人居留地に指定されたのが、生田川から宇治川に至る、やや東に離れた地域であった。この地が発展して、現在の神戸となっている。A view of Kobe...
風頭から旧市街北部の鳥瞰風景。中島川は出島の背後にで流れが変えられ、架橋されている。税関の建物が海上に見えている。写真左下に英語で「長崎港」の意の説明。整理番号21-10とほとんど同じアングルで撮影さ...
立山から長崎港の入口を望んだ3枚続きの写真の1枚を構成している。右手の赤い塀は旧大村藩の蔵屋敷(現中町教会)である。写真下にはドイツ語で「長崎のパノラマ」と説明が付されている。This is one ...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の...
立山から長崎市外越しに長崎港を望む絵葉書写真。大正初期の写真である。右下には明治29(1896)年に完成した中町カトリック教会(旧大村屋敷)がみえ、中奥には明治44(1911)年に3階建てとなった県庁...
明治5(1872)年、天皇の西国巡幸に随行した内田九一が撮影した長崎港の4枚組写真の一枚である。会場には天皇のお召し艦が見える。もともと上野彦馬の撮影と見られていたが、霞会が所蔵していた西国巡幸の内田...
平成6年11月17日(木)~11月21日(月) 長崎大学附属図書館3階開催, 長崎大学附属図書館新収古写真展パンフレット古写真タイトル・解説に関しては、展覧会当時と現在は異なっている場合があります。写...
明治末から大正初年にかけての大波止海岸の絵葉書。長崎要塞司令部による長崎地帯の写真、測量、写生の検閲は明治32(1899)年に長崎要塞地帯法ができてから始まった。大波止海岸は明治37(1904)年に埋...
右手に見える出島の右側に明治元年に架けられる大橋が写っていないことから、撮影時期は慶応年間。海上には多数の船舶が浮かび、長崎港の賑わい振りがうかがえる。The photo can be dated d...
諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。A general view of Kobe from Mt. Suwa. Th...
中央に出島、手前に新地蔵、梅ケ崎の居留地が写っている。出島の海側の線が鮮明に見える。新地と居留地を結ぶ木橋(梅ケ崎橋)が写っている。In the centre is Dejima, and to th...
上野彦馬の撮影による風頭山から望む長崎市街と長崎港。出島の横には中島川口に架けられていた大橋を見ることができる。当時、新地浦にはまだ海水が流入していた。出島側には西役所の遺構が見られ、旧県庁舎はまだ建...
ベアトも1864年におなじアングルの写真を残している。民家を背景に三人の人物が見える屋形船を写したこの写真は、整理番号66-14と同一の写真であるが、当写真では左側が切れている。Beato took ...
南山手外国人居留地の南の端付近から長崎市街地方向を望む。写真右の建物は、明治20年(1887) 7月、尋常小曾根小学校を改称した尋常鎮鼎小学校。学校の裏手から山麓一帯が南山手外国人居留地。左側の町並み...
山手より神戸港を望む。1861年の兵庫開港の際、外国人居留地に指定されたのが、生田川から宇治川に至る、やや東に離れた地域であった。この地が発展して、現在の神戸となっている。A view of Kobe...
風頭から旧市街北部の鳥瞰風景。中島川は出島の背後にで流れが変えられ、架橋されている。税関の建物が海上に見えている。写真左下に英語で「長崎港」の意の説明。整理番号21-10とほとんど同じアングルで撮影さ...
立山から長崎港の入口を望んだ3枚続きの写真の1枚を構成している。右手の赤い塀は旧大村藩の蔵屋敷(現中町教会)である。写真下にはドイツ語で「長崎のパノラマ」と説明が付されている。This is one ...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の...
立山から長崎市外越しに長崎港を望む絵葉書写真。大正初期の写真である。右下には明治29(1896)年に完成した中町カトリック教会(旧大村屋敷)がみえ、中奥には明治44(1911)年に3階建てとなった県庁...
明治5(1872)年、天皇の西国巡幸に随行した内田九一が撮影した長崎港の4枚組写真の一枚である。会場には天皇のお召し艦が見える。もともと上野彦馬の撮影と見られていたが、霞会が所蔵していた西国巡幸の内田...
平成6年11月17日(木)~11月21日(月) 長崎大学附属図書館3階開催, 長崎大学附属図書館新収古写真展パンフレット古写真タイトル・解説に関しては、展覧会当時と現在は異なっている場合があります。写...
明治末から大正初年にかけての大波止海岸の絵葉書。長崎要塞司令部による長崎地帯の写真、測量、写生の検閲は明治32(1899)年に長崎要塞地帯法ができてから始まった。大波止海岸は明治37(1904)年に埋...
右手に見える出島の右側に明治元年に架けられる大橋が写っていないことから、撮影時期は慶応年間。海上には多数の船舶が浮かび、長崎港の賑わい振りがうかがえる。The photo can be dated d...
諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。A general view of Kobe from Mt. Suwa. Th...
中央に出島、手前に新地蔵、梅ケ崎の居留地が写っている。出島の海側の線が鮮明に見える。新地と居留地を結ぶ木橋(梅ケ崎橋)が写っている。In the centre is Dejima, and to th...
上野彦馬の撮影による風頭山から望む長崎市街と長崎港。出島の横には中島川口に架けられていた大橋を見ることができる。当時、新地浦にはまだ海水が流入していた。出島側には西役所の遺構が見られ、旧県庁舎はまだ建...
ベアトも1864年におなじアングルの写真を残している。民家を背景に三人の人物が見える屋形船を写したこの写真は、整理番号66-14と同一の写真であるが、当写真では左側が切れている。Beato took ...
南山手外国人居留地の南の端付近から長崎市街地方向を望む。写真右の建物は、明治20年(1887) 7月、尋常小曾根小学校を改称した尋常鎮鼎小学校。学校の裏手から山麓一帯が南山手外国人居留地。左側の町並み...
山手より神戸港を望む。1861年の兵庫開港の際、外国人居留地に指定されたのが、生田川から宇治川に至る、やや東に離れた地域であった。この地が発展して、現在の神戸となっている。A view of Kobe...