山手より神戸港を望む。1861年の兵庫開港の際、外国人居留地に指定されたのが、生田川から宇治川に至る、やや東に離れた地域であった。この地が発展して、現在の神戸となっている。A view of Kobe Harbour from Yamate. On the occasion of the opening of the harbour to foreigners in 1861, the area to the east from Ikuta River to Uji River was designated as a foreign settlement. This area developed into what is now Kobe City
明治中頃の居留地海岸通(現中央区)を、西端から東へ向かって撮影。左から、2番の香港上海銀行 (The Hong Kong and Shanghai Banking Corporation)をはじめ...
諏訪山から神戸の丘陵地の東を撮影した写真である。A picture taken of the eastern part of the hills in Kobe from Mt. Suwa
「門司名所」と題した絵葉書セットの1枚だが、同名のセットは多種存在する。筆立山から南側に向かって撮影した門司港の写真だが、同じ構図で年代の違う写真を比較して、大正後半~昭和初期の撮影と推定される。築港...
諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。A general view of Kobe from Mt. Suwa. Th...
諏訪山から神戸港を望む。明治中期。彩色は異なるが目録番号4485と同じ写真。南北の道路右側の屋敷は、小寺泰次郎 (こでらやすじろう) 邸。昭和16年に この屋敷を神戸市が譲り受け「相楽園」と名付ける。...
諏訪山から神戸港を望む。明治中期。彩色は施されていないが目録番号4480と同じ写真。中央の、東西の道路に面した左右対称の建物は、明治11年新設の (神戸師範学校) 附属小学校の校舎、その向こうには、明...
左手のこんもりとした丘は宇治野山 (うじのやま) 。現中央区の中山手通6・7丁目から山本通5丁目あたりの風景。明治初期から中期の撮影だろう。居留地背後の雑居地のなかでも、西部にあたるこの地域にも洋風建...
諏訪山より三宮通り沿いに市街を遠望したところ。A distant view of the city along Sanomiya Avenue from Mt. Suwa
目録番号4949・4950と同様に、アメリカのUnderwood & Underwood が制作したステレオスコープ用の写真。諏訪山から南東を望む。麓の円塔のある建物は、明治26年 (1893) に落...
布引から見た旧生田川、正面に外国人居留地と神戸港、左下に新生田川(明治3年(1870)に3ヶ月間で完成)が見える。The former Ikuta River seen from Nunobiki. ...
開港の混乱を避けるため、兵庫の港よりやや離れて居留地に指定された神戸であったが、この地も良港に恵まれ、まもなく兵庫をしのぐ国際貿易都市として急速に発展していった。To avoid turmoil wh...
風頭から旧市街北部の鳥瞰風景。中島川は出島の背後にで流れが変えられ、架橋されている。税関の建物が海上に見えている。写真左下に英語で「長崎港」の意の説明。整理番号21-10とほとんど同じアングルで撮影さ...
グラバー住宅が三菱重工から長崎市に寄贈され、昭和30年(1970)に長崎市のグラバー邸が整備された。昭和30年(1970)頃のグラバー邸から長崎港、長崎湾の湾奥を見た絵葉書。2枚つづりの戦後の絵葉書。...
明治24年(1891)8月の台風による被害を撮影した写真である。神戸外国人居留地の海岸通りの被害状況である。石垣を乗り越えて材木が打ち上げられている。また、歩道の敷石が剥がれている。This phot...
立山から長崎港の入口を望んだ3枚続きの写真の1枚を構成している。右手の赤い塀は旧大村藩の蔵屋敷(現中町教会)である。写真下にはドイツ語で「長崎のパノラマ」と説明が付されている。This is one ...
明治中頃の居留地海岸通(現中央区)を、西端から東へ向かって撮影。左から、2番の香港上海銀行 (The Hong Kong and Shanghai Banking Corporation)をはじめ...
諏訪山から神戸の丘陵地の東を撮影した写真である。A picture taken of the eastern part of the hills in Kobe from Mt. Suwa
「門司名所」と題した絵葉書セットの1枚だが、同名のセットは多種存在する。筆立山から南側に向かって撮影した門司港の写真だが、同じ構図で年代の違う写真を比較して、大正後半~昭和初期の撮影と推定される。築港...
諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。A general view of Kobe from Mt. Suwa. Th...
諏訪山から神戸港を望む。明治中期。彩色は異なるが目録番号4485と同じ写真。南北の道路右側の屋敷は、小寺泰次郎 (こでらやすじろう) 邸。昭和16年に この屋敷を神戸市が譲り受け「相楽園」と名付ける。...
諏訪山から神戸港を望む。明治中期。彩色は施されていないが目録番号4480と同じ写真。中央の、東西の道路に面した左右対称の建物は、明治11年新設の (神戸師範学校) 附属小学校の校舎、その向こうには、明...
左手のこんもりとした丘は宇治野山 (うじのやま) 。現中央区の中山手通6・7丁目から山本通5丁目あたりの風景。明治初期から中期の撮影だろう。居留地背後の雑居地のなかでも、西部にあたるこの地域にも洋風建...
諏訪山より三宮通り沿いに市街を遠望したところ。A distant view of the city along Sanomiya Avenue from Mt. Suwa
目録番号4949・4950と同様に、アメリカのUnderwood & Underwood が制作したステレオスコープ用の写真。諏訪山から南東を望む。麓の円塔のある建物は、明治26年 (1893) に落...
布引から見た旧生田川、正面に外国人居留地と神戸港、左下に新生田川(明治3年(1870)に3ヶ月間で完成)が見える。The former Ikuta River seen from Nunobiki. ...
開港の混乱を避けるため、兵庫の港よりやや離れて居留地に指定された神戸であったが、この地も良港に恵まれ、まもなく兵庫をしのぐ国際貿易都市として急速に発展していった。To avoid turmoil wh...
風頭から旧市街北部の鳥瞰風景。中島川は出島の背後にで流れが変えられ、架橋されている。税関の建物が海上に見えている。写真左下に英語で「長崎港」の意の説明。整理番号21-10とほとんど同じアングルで撮影さ...
グラバー住宅が三菱重工から長崎市に寄贈され、昭和30年(1970)に長崎市のグラバー邸が整備された。昭和30年(1970)頃のグラバー邸から長崎港、長崎湾の湾奥を見た絵葉書。2枚つづりの戦後の絵葉書。...
明治24年(1891)8月の台風による被害を撮影した写真である。神戸外国人居留地の海岸通りの被害状況である。石垣を乗り越えて材木が打ち上げられている。また、歩道の敷石が剥がれている。This phot...
立山から長崎港の入口を望んだ3枚続きの写真の1枚を構成している。右手の赤い塀は旧大村藩の蔵屋敷(現中町教会)である。写真下にはドイツ語で「長崎のパノラマ」と説明が付されている。This is one ...
明治中頃の居留地海岸通(現中央区)を、西端から東へ向かって撮影。左から、2番の香港上海銀行 (The Hong Kong and Shanghai Banking Corporation)をはじめ...
諏訪山から神戸の丘陵地の東を撮影した写真である。A picture taken of the eastern part of the hills in Kobe from Mt. Suwa
「門司名所」と題した絵葉書セットの1枚だが、同名のセットは多種存在する。筆立山から南側に向かって撮影した門司港の写真だが、同じ構図で年代の違う写真を比較して、大正後半~昭和初期の撮影と推定される。築港...