「門司名所」と題した絵葉書セットの1枚だが、同名のセットは多種存在する。筆立山から南側に向かって撮影した門司港の写真だが、同じ構図で年代の違う写真を比較して、大正後半~昭和初期の撮影と推定される。築港と市街地化が進行し、門司港の繁栄ぶりを示している。This is one of the picture postcards titled "Scenic Places of Moji." There are many of such sets. This photo captures the Port of Moji from Mt. Fudetate when facing south. Compared to a photo taken at a different time but from the same location, this photo was probably taken around the end of Taisho Period or the beginning of the Showa Period. This photo depicts prosperous, urbanized Moji Port
諏訪山から神戸港を望む。明治中期。彩色は施されていないが目録番号4480と同じ写真。中央の、東西の道路に面した左右対称の建物は、明治11年新設の (神戸師範学校) 附属小学校の校舎、その向こうには、明...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
茂木の海岸と茂木村本郷の家並み。写真は立岩寄りの海岸に立ち、現在の茂木中央から片町付近を撮影。背後の山は茂木の岡、その後ろは唐八景。右端の山は北浦方面で、現在、橘湾に面した海岸は沿岸漁業の漁船の船着き...
筆立山から南側に向かって撮影した門司港の写真。写真左中に塩田が広がっていて、明治22年(1889)に門司港が特別輸出港に指定され、門司築港会社が設立されて、塩田の埋立工事が始まる明治23年(1890)...
諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。A general view of Kobe from Mt. Suwa. Th...
山手より神戸港を望む。1861年の兵庫開港の際、外国人居留地に指定されたのが、生田川から宇治川に至る、やや東に離れた地域であった。この地が発展して、現在の神戸となっている。A view of Kobe...
立山から長崎港の入口を望んだ3枚続きの写真の1枚を構成している。右手の赤い塀は旧大村藩の蔵屋敷(現中町教会)である。写真下にはドイツ語で「長崎のパノラマ」と説明が付されている。This is one ...
「門司十二景」と題した絵葉書セットの1枚だが、同名のセットは多種存在する。桟橋通で、左側中央のレンガ建築が三井物産門司支店(明治43年火災後再建)、その手前が川卯旅館であるが現存していない。旅館の前の...
風頭から旧市街北部の鳥瞰風景。中島川は出島の背後にで流れが変えられ、架橋されている。税関の建物が海上に見えている。写真左下に英語で「長崎港」の意の説明。整理番号21-10とほとんど同じアングルで撮影さ...
千光寺山の中腹にある重要文化財天寧寺三重塔の背後から尾道市街地や対岸の向島を望む。本通り商店街の家並みや海沿いにある白壁の浜蔵,山陽鉄道の敷設状況がわかる。Onomichi City and Muko...
諏訪山から神戸港を望む。明治中期。彩色は異なるが目録番号4485と同じ写真。南北の道路右側の屋敷は、小寺泰次郎 (こでらやすじろう) 邸。昭和16年に この屋敷を神戸市が譲り受け「相楽園」と名付ける。...
グラバー住宅が三菱重工から長崎市に寄贈され、昭和30年(1970)に長崎市のグラバー邸が整備された。昭和30年(1970)頃のグラバー邸から長崎港、長崎湾の湾奥を見た絵葉書。2枚つづりの戦後の絵葉書。...
目録番号4949・4950と同様に、アメリカのUnderwood & Underwood が制作したステレオスコープ用の写真。諏訪山から南東を望む。麓の円塔のある建物は、明治26年 (1893) に落...
尾道は平安時代末期から瀬戸内海の物流の拠点として繁栄し,経済や文化の中心として大きな位置を占めてきた。写真は市街地の西北に聳える千光寺山から市街地及び尾道水道や遠く松永湾を望む。Onomichi wa...
キャプションがないため詳細は不明だが、高台の公園と思われる場所から、盆地に広がる町並が写されている。右手には休息所が設けられているが、人物の姿は見あたらない。Due to the absence of...
諏訪山から神戸港を望む。明治中期。彩色は施されていないが目録番号4480と同じ写真。中央の、東西の道路に面した左右対称の建物は、明治11年新設の (神戸師範学校) 附属小学校の校舎、その向こうには、明...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
茂木の海岸と茂木村本郷の家並み。写真は立岩寄りの海岸に立ち、現在の茂木中央から片町付近を撮影。背後の山は茂木の岡、その後ろは唐八景。右端の山は北浦方面で、現在、橘湾に面した海岸は沿岸漁業の漁船の船着き...
筆立山から南側に向かって撮影した門司港の写真。写真左中に塩田が広がっていて、明治22年(1889)に門司港が特別輸出港に指定され、門司築港会社が設立されて、塩田の埋立工事が始まる明治23年(1890)...
諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。A general view of Kobe from Mt. Suwa. Th...
山手より神戸港を望む。1861年の兵庫開港の際、外国人居留地に指定されたのが、生田川から宇治川に至る、やや東に離れた地域であった。この地が発展して、現在の神戸となっている。A view of Kobe...
立山から長崎港の入口を望んだ3枚続きの写真の1枚を構成している。右手の赤い塀は旧大村藩の蔵屋敷(現中町教会)である。写真下にはドイツ語で「長崎のパノラマ」と説明が付されている。This is one ...
「門司十二景」と題した絵葉書セットの1枚だが、同名のセットは多種存在する。桟橋通で、左側中央のレンガ建築が三井物産門司支店(明治43年火災後再建)、その手前が川卯旅館であるが現存していない。旅館の前の...
風頭から旧市街北部の鳥瞰風景。中島川は出島の背後にで流れが変えられ、架橋されている。税関の建物が海上に見えている。写真左下に英語で「長崎港」の意の説明。整理番号21-10とほとんど同じアングルで撮影さ...
千光寺山の中腹にある重要文化財天寧寺三重塔の背後から尾道市街地や対岸の向島を望む。本通り商店街の家並みや海沿いにある白壁の浜蔵,山陽鉄道の敷設状況がわかる。Onomichi City and Muko...
諏訪山から神戸港を望む。明治中期。彩色は異なるが目録番号4485と同じ写真。南北の道路右側の屋敷は、小寺泰次郎 (こでらやすじろう) 邸。昭和16年に この屋敷を神戸市が譲り受け「相楽園」と名付ける。...
グラバー住宅が三菱重工から長崎市に寄贈され、昭和30年(1970)に長崎市のグラバー邸が整備された。昭和30年(1970)頃のグラバー邸から長崎港、長崎湾の湾奥を見た絵葉書。2枚つづりの戦後の絵葉書。...
目録番号4949・4950と同様に、アメリカのUnderwood & Underwood が制作したステレオスコープ用の写真。諏訪山から南東を望む。麓の円塔のある建物は、明治26年 (1893) に落...
尾道は平安時代末期から瀬戸内海の物流の拠点として繁栄し,経済や文化の中心として大きな位置を占めてきた。写真は市街地の西北に聳える千光寺山から市街地及び尾道水道や遠く松永湾を望む。Onomichi wa...
キャプションがないため詳細は不明だが、高台の公園と思われる場所から、盆地に広がる町並が写されている。右手には休息所が設けられているが、人物の姿は見あたらない。Due to the absence of...
諏訪山から神戸港を望む。明治中期。彩色は施されていないが目録番号4480と同じ写真。中央の、東西の道路に面した左右対称の建物は、明治11年新設の (神戸師範学校) 附属小学校の校舎、その向こうには、明...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
茂木の海岸と茂木村本郷の家並み。写真は立岩寄りの海岸に立ち、現在の茂木中央から片町付近を撮影。背後の山は茂木の岡、その後ろは唐八景。右端の山は北浦方面で、現在、橘湾に面した海岸は沿岸漁業の漁船の船着き...