目録番号3175とほぼ同じアングルだが、電信柱の数が増えており時代はさらに下る。中央奥のフランス波止場には明治13年(1880)設置のボートハウスがみえ、同18年バンドに植樹される松並木がないことから、撮影時期はその間と考えられる。This photograph was taken at almost the same angle as photograph #3175, but there are more telegraph poles, indicating that the former was taken later. The boathouse built in 1880 is visible at Furansu Hatoba (French Wharf) in the centre, and the pine trees planted along the Bund in 1885 are not seen. Thus, this photograph is thought to have been taken between those two dates
慶応2年(1866)の大火後に拡張されたイギリス波止場の第一突堤。通称象の鼻。明治27年(1894)この先に鉄製桟橋が完成するまでは、大型船が着岸することはできず、突堤左手の水面が艀(はしけ)の船溜り...
ベアト撮影。「陽の当たる丘からの横浜の景色」とキャプションに書かれている。これは山手からみた元町と外国人居留地と思われる。谷間には墓石が並んだ墓地が見える。Taken by Beato. The ca...
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。神戸外国人居留地80番に建設されたオリエ...
バンド(Bund)全景。イギリス波止場からの撮影。海岸通は明治18年(1885)に松並木が植えられ、プロムナードとしての景観が整えられた。植樹時期より撮影は明治20年代か。左端に見えるのがフランス波止...
バンド東端と山手方面を望む。18~20番のグランド・ホテル新館・旧館から堀川を隔ててその奥にみえるのはイギリス海軍の物置所。のちに海軍病院の庭園になる。手前の人物が立っているのは、フランス波止場。Vi...
明治18年(1885)に竣工した富士屋ホテル日本館の写真である。日本館の内外に大勢の人々が立ったり腰掛けている姿が見える。庭の様子や立木の生え具合、人物の服装・人数の類似等から、目録番号4105と同時...
高島町遊郭の神風楼。「ネキタリン・ナンバー・ナイン」と呼ばれ、世界的に知られた。港崎郭にあった初代の伊勢楼から数えて三度の移転を経るが、写真は高島町2丁目にあった頃の三代目。明治4年(1871)から同...
明治4年(1871)に建設された初代横浜駅。アメリカ人建築家ブリジェンス(R.P.Bridgens)の設計による木骨石造建築。現在の桜木町駅。手前の大江橋が木造から鉄橋に替わっており、同18年(188...
京都市東山区の西部、東山山麓にあった安養寺塔頭や、明治6年(1873)に開かれた人口温泉、吉水園をもとに改造した日本初の洋風ホテルである。中央に「YAAMI」の看板をもつ旧館、左手に明治27年(189...
画面左端に見えるのは明治11年(1878)に鉄橋となった戎橋。戎橋の右側は宗右衛門町である。宗右衛門町は、南地五花街の一つで芸妓や置屋・貸座敷・茶屋・旅館などが立ち並んでいた。明治10年(1877)代...
明治18年(1885)新築移転した横浜税関新庁舎。旧庁舎は県庁舎として引き続き使用された。左右対称の外観をもち中央に塔を建てる典型的な明治の官庁建築。日本大通りのアイストップとして、関東大震災で倒壊す...
右手の煙突をもつ建物(184番)はオランダ人ストルネブリンク(L. Stornebrink)の経営する機械製氷工場、横浜アイス・ワークス。明治12年(1879)創業のジャパン・アイス・カンパニーに起源...
元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は...
英語で「波止場、横浜」と記されている。横浜港桟橋の入口である。明治23年(1890)に通信塔の向こうに建設される横浜築港事務所(コンドル設計)はまだないから、それ以前の撮影である。したがって、明治27...
遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたも...
慶応2年(1866)の大火後に拡張されたイギリス波止場の第一突堤。通称象の鼻。明治27年(1894)この先に鉄製桟橋が完成するまでは、大型船が着岸することはできず、突堤左手の水面が艀(はしけ)の船溜り...
ベアト撮影。「陽の当たる丘からの横浜の景色」とキャプションに書かれている。これは山手からみた元町と外国人居留地と思われる。谷間には墓石が並んだ墓地が見える。Taken by Beato. The ca...
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明治18年(1885)に竣工した富士屋ホテル日本館の写真である。日本館の内外に大勢の人々が立ったり腰掛けている姿が見える。庭の様子や立木の生え具合、人物の服装・人数の類似等から、目録番号4105と同時...
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画面左端に見えるのは明治11年(1878)に鉄橋となった戎橋。戎橋の右側は宗右衛門町である。宗右衛門町は、南地五花街の一つで芸妓や置屋・貸座敷・茶屋・旅館などが立ち並んでいた。明治10年(1877)代...
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英語で「波止場、横浜」と記されている。横浜港桟橋の入口である。明治23年(1890)に通信塔の向こうに建設される横浜築港事務所(コンドル設計)はまだないから、それ以前の撮影である。したがって、明治27...
遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたも...
慶応2年(1866)の大火後に拡張されたイギリス波止場の第一突堤。通称象の鼻。明治27年(1894)この先に鉄製桟橋が完成するまでは、大型船が着岸することはできず、突堤左手の水面が艀(はしけ)の船溜り...
ベアト撮影。「陽の当たる丘からの横浜の景色」とキャプションに書かれている。これは山手からみた元町と外国人居留地と思われる。谷間には墓石が並んだ墓地が見える。Taken by Beato. The ca...
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。神戸外国人居留地80番に建設されたオリエ...