表妙義白雲山東麓にある杉の古木に囲まれた妙義神社。社殿は宝永期から宝暦2年までに再建されたもの。祭神は日本武尊、豊受大神、菅原道真。「地蔵菩薩霊験記」(国重文)を所蔵する。拝殿前に神官がひとり映っている。Myogi Shrine at the eastern foot of Hakuunzan of Omote Myogi, surrounded by old cedar trees. The building of the shrine was built from the Hoei years to the second year of Horeki (1752). The Gods worshipped are the Nihon Buson, Hojutaishin, and Sugawara Michizane. It possesses the national cultural asset of "Jizo Bosatsu Reigenki." A priest is seen in front of the shrine building
一遍(いっぺん)を開祖とする時宗(じしゅう)の総本山。正式名称は藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)。四代呑海(どんかい)が正中2年(1325)に創建した。写真は左...
稲荷社の鳥居の外側から神事を執行する神主たちの様子を撮影する。立烏帽子に狩衣・指貫(さしぬき)を着用した初老の神官達が相互に向き合い、神事を執り行っている。稲荷社前には入母屋の拝殿が架設され、薦(こも...
九段の靖国神社。戊辰戦争で戦死した人を祀るために明治2年(1869)6月29日に創建された。当初は招魂社(しょうこんしゃ)といったが、明治12年(1879)6月4日に靖国神社と改められた。しかしそれ以...
金洞山(別名中之岳)南麓にある中之岳神社。祭神は日本武尊(本宮)大国主命(前宮)。中央に崩れ落ちた鳥居が見えるが、現在の社殿は1882年(明治15年)に再建されたものであるから、これはそれ以前に撮影さ...
東海道線の西の起点、神戸駅付近から、北の湊川神社正門を眺めた風景。現中央区。明治中期の撮影だろう。右に見える演劇場は、明治23年 (1890) に大改築された大黒座。入口には目新しい電灯が設置されてい...
安芸の宮島の厳島神社は推古天皇即位元年に創建され,平安時代末期に平清盛によって今日に伝わる社殿整備が行われ,皇室をはじめ,戦国大名などによって厚く信仰されてきた。現在,社殿建造物40棟が国宝・重要文化...
上宮楼門の扁額(へんがく)には「八幡宮寺」と記されている。幕末まで鶴岡八幡宮は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の寺院で、慶応4年(1868)のいわゆる「神仏分離令」で廃寺となった。写真は排仏毀釈(はいぶ...
小動岬(こするぎみさき)にある小動神社か。腰越村の鎮守で旧名を八王子宮と云い、佐々木盛綱が勧請し、建速素戔鳴命(たけはやすさのおのみこと)をまつったという。This may be the Kosuru...
正式名称は杭全(くまた)神社で、平安初期に坂上田村麻呂の子・孫によって創祀したと伝えられる。主神はスサノオの命。参道や境内のイチョウ、クスノキの古木や、仏像、絵画等多数の社宝によって知られている。Th...
箱根権現として古くから信仰を集めてきた箱根神社である。特に、中世は、源頼朝を始めとする鎌倉幕府の信奉が厚く、曽我物語の舞台ともなっている。狛犬やお手植えの松がないことから、明治29年以前のものと分かる...
土着の神を仏の化身と見なす場合「権現」と呼ぶが、徳川家康は人間でありながらこの権現とされ東照大権現と呼ばれた。この家康を祀った社殿が東照宮であり、写真の上野東照宮の他にも、栃木県の日光と静岡県の久能山...
入口の鳥居を入って直ぐの所にある太鼓橋の上から楼門を望む。手前には茶袴を穿いた女学生が5人並んでいる。合格祈願のお参りだろうか。心字池に架かる橋は太鼓橋・平橋・太鼓橋と3つ並ぶ。過去・現在・未来を表す...
目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけ...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...
上宮廻廊(かいろう)内側の景。廻廊は文政11年(1828)の再建で、現重要文化財。軒下には優美な文様が描かれるが、この建物は昭和初期に修理されており、江戸期以来の文様を知る上で貴重である。なお、神輿(...
一遍(いっぺん)を開祖とする時宗(じしゅう)の総本山。正式名称は藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)。四代呑海(どんかい)が正中2年(1325)に創建した。写真は左...
稲荷社の鳥居の外側から神事を執行する神主たちの様子を撮影する。立烏帽子に狩衣・指貫(さしぬき)を着用した初老の神官達が相互に向き合い、神事を執り行っている。稲荷社前には入母屋の拝殿が架設され、薦(こも...
九段の靖国神社。戊辰戦争で戦死した人を祀るために明治2年(1869)6月29日に創建された。当初は招魂社(しょうこんしゃ)といったが、明治12年(1879)6月4日に靖国神社と改められた。しかしそれ以...
金洞山(別名中之岳)南麓にある中之岳神社。祭神は日本武尊(本宮)大国主命(前宮)。中央に崩れ落ちた鳥居が見えるが、現在の社殿は1882年(明治15年)に再建されたものであるから、これはそれ以前に撮影さ...
東海道線の西の起点、神戸駅付近から、北の湊川神社正門を眺めた風景。現中央区。明治中期の撮影だろう。右に見える演劇場は、明治23年 (1890) に大改築された大黒座。入口には目新しい電灯が設置されてい...
安芸の宮島の厳島神社は推古天皇即位元年に創建され,平安時代末期に平清盛によって今日に伝わる社殿整備が行われ,皇室をはじめ,戦国大名などによって厚く信仰されてきた。現在,社殿建造物40棟が国宝・重要文化...
上宮楼門の扁額(へんがく)には「八幡宮寺」と記されている。幕末まで鶴岡八幡宮は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の寺院で、慶応4年(1868)のいわゆる「神仏分離令」で廃寺となった。写真は排仏毀釈(はいぶ...
小動岬(こするぎみさき)にある小動神社か。腰越村の鎮守で旧名を八王子宮と云い、佐々木盛綱が勧請し、建速素戔鳴命(たけはやすさのおのみこと)をまつったという。This may be the Kosuru...
正式名称は杭全(くまた)神社で、平安初期に坂上田村麻呂の子・孫によって創祀したと伝えられる。主神はスサノオの命。参道や境内のイチョウ、クスノキの古木や、仏像、絵画等多数の社宝によって知られている。Th...
箱根権現として古くから信仰を集めてきた箱根神社である。特に、中世は、源頼朝を始めとする鎌倉幕府の信奉が厚く、曽我物語の舞台ともなっている。狛犬やお手植えの松がないことから、明治29年以前のものと分かる...
土着の神を仏の化身と見なす場合「権現」と呼ぶが、徳川家康は人間でありながらこの権現とされ東照大権現と呼ばれた。この家康を祀った社殿が東照宮であり、写真の上野東照宮の他にも、栃木県の日光と静岡県の久能山...
入口の鳥居を入って直ぐの所にある太鼓橋の上から楼門を望む。手前には茶袴を穿いた女学生が5人並んでいる。合格祈願のお参りだろうか。心字池に架かる橋は太鼓橋・平橋・太鼓橋と3つ並ぶ。過去・現在・未来を表す...
目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけ...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...
上宮廻廊(かいろう)内側の景。廻廊は文政11年(1828)の再建で、現重要文化財。軒下には優美な文様が描かれるが、この建物は昭和初期に修理されており、江戸期以来の文様を知る上で貴重である。なお、神輿(...
一遍(いっぺん)を開祖とする時宗(じしゅう)の総本山。正式名称は藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)。四代呑海(どんかい)が正中2年(1325)に創建した。写真は左...
稲荷社の鳥居の外側から神事を執行する神主たちの様子を撮影する。立烏帽子に狩衣・指貫(さしぬき)を着用した初老の神官達が相互に向き合い、神事を執り行っている。稲荷社前には入母屋の拝殿が架設され、薦(こも...
九段の靖国神社。戊辰戦争で戦死した人を祀るために明治2年(1869)6月29日に創建された。当初は招魂社(しょうこんしゃ)といったが、明治12年(1879)6月4日に靖国神社と改められた。しかしそれ以...