正式名称は杭全(くまた)神社で、平安初期に坂上田村麻呂の子・孫によって創祀したと伝えられる。主神はスサノオの命。参道や境内のイチョウ、クスノキの古木や、仏像、絵画等多数の社宝によって知られている。The formal name is Kumata Shinto Shrine. It was built by the son and grandson of Sakanoueno Tamuramaro. The main object of worship is Susanoo. It is known for its old gingko and camphor trees in the approach and shrine compounds, as well as for the Buddha, pictures and other shrine treasures
東海道線の西の起点、神戸駅付近から、北の湊川神社正門を眺めた風景。現中央区。明治中期の撮影だろう。右に見える演劇場は、明治23年 (1890) に大改築された大黒座。入口には目新しい電灯が設置されてい...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...
若宮の屋根に掛かる梯子は防火用か。隣は神楽殿(かぐらでん)の屋根であるが、やや傷んでいる。このような状態の神楽殿は、諸堂解体直後の境内の姿とされる『ザ・ファー・イースト』1871年9月1日号(旧暦明治...
太宰府天満宮及び北野天満宮とこの亀戸天満宮(現亀戸天神社)は、共に菅原道真公を祀り三天神と呼ばれる。大宰府の別当だった菅原大鳥居信祐(すがわらおおとりいのぶすけ)が飛梅の木で御身体を彫り、寛文元年(1...
画面には‘№531 KAMAKURA.'の印字がある。向かって左手には三代将軍源実朝の暗殺にまつわる伝説で名高い大銀杏(いちょう)があり(現神奈川県指定天然記念物)、その反対側にはソテツが植わる。年代...
目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけ...
箱根権現として古くから信仰を集めてきた箱根神社である。特に、中世は、源頼朝を始めとする鎌倉幕府の信奉が厚く、曽我物語の舞台ともなっている。狛犬やお手植えの松がないことから、明治29年以前のものと分かる...
安芸の宮島の厳島神社は推古天皇即位元年に創建され,平安時代末期に平清盛によって今日に伝わる社殿整備が行われ,皇室をはじめ,戦国大名などによって厚く信仰されてきた。現在,社殿建造物40棟が国宝・重要文化...
一遍(いっぺん)を開祖とする時宗(じしゅう)の総本山。正式名称は藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)。四代呑海(どんかい)が正中2年(1325)に創建した。写真は左...
九段の靖国神社。戊辰戦争で戦死した人を祀るために明治2年(1869)6月29日に創建された。当初は招魂社(しょうこんしゃ)といったが、明治12年(1879)6月4日に靖国神社と改められた。しかしそれ以...
円覚寺総門か。円覚寺総門には後光厳天皇の宸筆「瑞鹿山」の額が掲げられており、右の奥の方に「般若水」と呼ばれる泉水があり、鎌倉五名水の一つである。その名の由来は、かつて出雲藩主松平不昧が参詣したとき、こ...
生田神社は、JR三ノ宮駅から北へ徒歩数分の場所にあり (現中央区) 、大同元年 (806)、神社に44戸の神戸 (かんべ) が置かれたことから、「神戸」の地名が生まれたという。中央奥に本社、背後の森は...
鶴岡八幡宮と大銀杏。八幡宮は、康平6年(1063)源頼義により初め由比ヶ浜に勧請され、後に、将軍頼朝により、現在の北山に移され、鎌倉の守護神となった。左の大銀杏の下で、1219年将軍源実朝が、公暁に殺...
明治元年の奥羽の乱、函館攻略の際戦死した振遠隊の隊員を祀った場所。現存せず、西小島町の大徳寺公園内の一角に「梅香崎招魂社並びに同墳墓地跡」の石碑が建てられていて、そこには佐古神社移転の旨記載されている...
伏見稲荷大社拝殿東側の石段下から同社本殿を東に望む。右手には常夜灯の石灯籠が置かれる。写真の本殿は明応3年(1494)の建立で、天正17年(1589)に豊臣秀吉が修理した。正面の唐破風造の向拝は元禄7...
東海道線の西の起点、神戸駅付近から、北の湊川神社正門を眺めた風景。現中央区。明治中期の撮影だろう。右に見える演劇場は、明治23年 (1890) に大改築された大黒座。入口には目新しい電灯が設置されてい...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...
若宮の屋根に掛かる梯子は防火用か。隣は神楽殿(かぐらでん)の屋根であるが、やや傷んでいる。このような状態の神楽殿は、諸堂解体直後の境内の姿とされる『ザ・ファー・イースト』1871年9月1日号(旧暦明治...
太宰府天満宮及び北野天満宮とこの亀戸天満宮(現亀戸天神社)は、共に菅原道真公を祀り三天神と呼ばれる。大宰府の別当だった菅原大鳥居信祐(すがわらおおとりいのぶすけ)が飛梅の木で御身体を彫り、寛文元年(1...
画面には‘№531 KAMAKURA.'の印字がある。向かって左手には三代将軍源実朝の暗殺にまつわる伝説で名高い大銀杏(いちょう)があり(現神奈川県指定天然記念物)、その反対側にはソテツが植わる。年代...
目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけ...
箱根権現として古くから信仰を集めてきた箱根神社である。特に、中世は、源頼朝を始めとする鎌倉幕府の信奉が厚く、曽我物語の舞台ともなっている。狛犬やお手植えの松がないことから、明治29年以前のものと分かる...
安芸の宮島の厳島神社は推古天皇即位元年に創建され,平安時代末期に平清盛によって今日に伝わる社殿整備が行われ,皇室をはじめ,戦国大名などによって厚く信仰されてきた。現在,社殿建造物40棟が国宝・重要文化...
一遍(いっぺん)を開祖とする時宗(じしゅう)の総本山。正式名称は藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)。四代呑海(どんかい)が正中2年(1325)に創建した。写真は左...
九段の靖国神社。戊辰戦争で戦死した人を祀るために明治2年(1869)6月29日に創建された。当初は招魂社(しょうこんしゃ)といったが、明治12年(1879)6月4日に靖国神社と改められた。しかしそれ以...
円覚寺総門か。円覚寺総門には後光厳天皇の宸筆「瑞鹿山」の額が掲げられており、右の奥の方に「般若水」と呼ばれる泉水があり、鎌倉五名水の一つである。その名の由来は、かつて出雲藩主松平不昧が参詣したとき、こ...
生田神社は、JR三ノ宮駅から北へ徒歩数分の場所にあり (現中央区) 、大同元年 (806)、神社に44戸の神戸 (かんべ) が置かれたことから、「神戸」の地名が生まれたという。中央奥に本社、背後の森は...
鶴岡八幡宮と大銀杏。八幡宮は、康平6年(1063)源頼義により初め由比ヶ浜に勧請され、後に、将軍頼朝により、現在の北山に移され、鎌倉の守護神となった。左の大銀杏の下で、1219年将軍源実朝が、公暁に殺...
明治元年の奥羽の乱、函館攻略の際戦死した振遠隊の隊員を祀った場所。現存せず、西小島町の大徳寺公園内の一角に「梅香崎招魂社並びに同墳墓地跡」の石碑が建てられていて、そこには佐古神社移転の旨記載されている...
伏見稲荷大社拝殿東側の石段下から同社本殿を東に望む。右手には常夜灯の石灯籠が置かれる。写真の本殿は明応3年(1494)の建立で、天正17年(1589)に豊臣秀吉が修理した。正面の唐破風造の向拝は元禄7...
東海道線の西の起点、神戸駅付近から、北の湊川神社正門を眺めた風景。現中央区。明治中期の撮影だろう。右に見える演劇場は、明治23年 (1890) に大改築された大黒座。入口には目新しい電灯が設置されてい...
茨城県旭村の玉沢稲荷神社前の石段下で、家族4人が並んで記念撮影をする。同社は、陸奥の安倍氏の反乱を平定した源頼義・義家の父子が、康平6年(1063)に鎌倉権太夫景道に命じ、父子が平定に向かう際に戦勝祈...
若宮の屋根に掛かる梯子は防火用か。隣は神楽殿(かぐらでん)の屋根であるが、やや傷んでいる。このような状態の神楽殿は、諸堂解体直後の境内の姿とされる『ザ・ファー・イースト』1871年9月1日号(旧暦明治...