小動岬(こするぎみさき)にある小動神社か。腰越村の鎮守で旧名を八王子宮と云い、佐々木盛綱が勧請し、建速素戔鳴命(たけはやすさのおのみこと)をまつったという。This may be the Kosurugi Shinto Shrine at Kosurugi Point. It is the guardian of Koshigoe village. The old name was Hachioji gu, and Sasaki Moritsuna organized a campaign to raise funds for building the shrine. The deity worshipped in this shrine was Takehayasusanoono-mikoto
日光東照宮の奥社の拝殿右側から本社の拝殿や陽明門などを見下ろしている。奥社の宝塔には徳川家康の眠る神柩(しんきゅう)が納められている。画面手前に見えるのは本社拝殿の屋根。画面中央の杉の右側にある白い柱...
太宰府天満宮及び北野天満宮とこの亀戸天満宮(現亀戸天神社)は、共に菅原道真公を祀り三天神と呼ばれる。大宰府の別当だった菅原大鳥居信祐(すがわらおおとりいのぶすけ)が飛梅の木で御身体を彫り、寛文元年(1...
生田神社は、JR三ノ宮駅から北へ徒歩数分の場所にあり (現中央区) 、大同元年 (806)、神社に44戸の神戸 (かんべ) が置かれたことから、「神戸」の地名が生まれたという。中央奥に本社、背後の森は...
目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけ...
円覚寺総門か。円覚寺総門には後光厳天皇の宸筆「瑞鹿山」の額が掲げられており、右の奥の方に「般若水」と呼ばれる泉水があり、鎌倉五名水の一つである。その名の由来は、かつて出雲藩主松平不昧が参詣したとき、こ...
一遍(いっぺん)を開祖とする時宗(じしゅう)の総本山。正式名称は藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)。四代呑海(どんかい)が正中2年(1325)に創建した。写真は左...
鶴岡八幡宮は鎌倉市雪ノ下にある神社。治承4年(1180)に源頼朝が創建した。石垣の上に本殿の門と回廊があり、下段には左右にお堂の一部が見えている。(整理番号36-14と同じ)Tsurugaoka Ha...
正式名称は杭全(くまた)神社で、平安初期に坂上田村麻呂の子・孫によって創祀したと伝えられる。主神はスサノオの命。参道や境内のイチョウ、クスノキの古木や、仏像、絵画等多数の社宝によって知られている。Th...
上宮廻廊(かいろう)内側の景。廻廊は文政11年(1828)の再建で、現重要文化財。軒下には優美な文様が描かれるが、この建物は昭和初期に修理されており、江戸期以来の文様を知る上で貴重である。なお、神輿(...
安芸の宮島の厳島神社は推古天皇即位元年に創建され,平安時代末期に平清盛によって今日に伝わる社殿整備が行われ,皇室をはじめ,戦国大名などによって厚く信仰されてきた。現在,社殿建造物40棟が国宝・重要文化...
表妙義白雲山東麓にある杉の古木に囲まれた妙義神社。社殿は宝永期から宝暦2年までに再建されたもの。祭神は日本武尊、豊受大神、菅原道真。「地蔵菩薩霊験記」(国重文)を所蔵する。拝殿前に神官がひとり映ってい...
伏見稲荷大社拝殿東側の石段下から同社本殿を東に望む。右手には常夜灯の石灯籠が置かれる。写真の本殿は明応3年(1494)の建立で、天正17年(1589)に豊臣秀吉が修理した。正面の唐破風造の向拝は元禄7...
土着の神を仏の化身と見なす場合「権現」と呼ぶが、徳川家康は人間でありながらこの権現とされ東照大権現と呼ばれた。この家康を祀った社殿が東照宮であり、写真の上野東照宮の他にも、栃木県の日光と静岡県の久能山...
金洞山(別名中之岳)南麓にある中之岳神社。祭神は日本武尊(本宮)大国主命(前宮)。中央に崩れ落ちた鳥居が見えるが、現在の社殿は1882年(明治15年)に再建されたものであるから、これはそれ以前に撮影さ...
創建は、神護景雲2年(768)とも和銅3年(710)ともいわれる。藤原氏一族の氏神として朝廷からも手厚く祀られ、数多くの宝物が今に伝えられている。The foundation is said to b...
日光東照宮の奥社の拝殿右側から本社の拝殿や陽明門などを見下ろしている。奥社の宝塔には徳川家康の眠る神柩(しんきゅう)が納められている。画面手前に見えるのは本社拝殿の屋根。画面中央の杉の右側にある白い柱...
太宰府天満宮及び北野天満宮とこの亀戸天満宮(現亀戸天神社)は、共に菅原道真公を祀り三天神と呼ばれる。大宰府の別当だった菅原大鳥居信祐(すがわらおおとりいのぶすけ)が飛梅の木で御身体を彫り、寛文元年(1...
生田神社は、JR三ノ宮駅から北へ徒歩数分の場所にあり (現中央区) 、大同元年 (806)、神社に44戸の神戸 (かんべ) が置かれたことから、「神戸」の地名が生まれたという。中央奥に本社、背後の森は...
目録番号4744から、若宮(わかみや)であることがわかる。鶴岡八幡宮は治承4年(1180)現若宮の所に勧請(かんじょう)されたという。写真の社殿は寛永元年(1624)の再建で、現重要文化財。屋根はこけ...
円覚寺総門か。円覚寺総門には後光厳天皇の宸筆「瑞鹿山」の額が掲げられており、右の奥の方に「般若水」と呼ばれる泉水があり、鎌倉五名水の一つである。その名の由来は、かつて出雲藩主松平不昧が参詣したとき、こ...
一遍(いっぺん)を開祖とする時宗(じしゅう)の総本山。正式名称は藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)。四代呑海(どんかい)が正中2年(1325)に創建した。写真は左...
鶴岡八幡宮は鎌倉市雪ノ下にある神社。治承4年(1180)に源頼朝が創建した。石垣の上に本殿の門と回廊があり、下段には左右にお堂の一部が見えている。(整理番号36-14と同じ)Tsurugaoka Ha...
正式名称は杭全(くまた)神社で、平安初期に坂上田村麻呂の子・孫によって創祀したと伝えられる。主神はスサノオの命。参道や境内のイチョウ、クスノキの古木や、仏像、絵画等多数の社宝によって知られている。Th...
上宮廻廊(かいろう)内側の景。廻廊は文政11年(1828)の再建で、現重要文化財。軒下には優美な文様が描かれるが、この建物は昭和初期に修理されており、江戸期以来の文様を知る上で貴重である。なお、神輿(...
安芸の宮島の厳島神社は推古天皇即位元年に創建され,平安時代末期に平清盛によって今日に伝わる社殿整備が行われ,皇室をはじめ,戦国大名などによって厚く信仰されてきた。現在,社殿建造物40棟が国宝・重要文化...
表妙義白雲山東麓にある杉の古木に囲まれた妙義神社。社殿は宝永期から宝暦2年までに再建されたもの。祭神は日本武尊、豊受大神、菅原道真。「地蔵菩薩霊験記」(国重文)を所蔵する。拝殿前に神官がひとり映ってい...
伏見稲荷大社拝殿東側の石段下から同社本殿を東に望む。右手には常夜灯の石灯籠が置かれる。写真の本殿は明応3年(1494)の建立で、天正17年(1589)に豊臣秀吉が修理した。正面の唐破風造の向拝は元禄7...
土着の神を仏の化身と見なす場合「権現」と呼ぶが、徳川家康は人間でありながらこの権現とされ東照大権現と呼ばれた。この家康を祀った社殿が東照宮であり、写真の上野東照宮の他にも、栃木県の日光と静岡県の久能山...
金洞山(別名中之岳)南麓にある中之岳神社。祭神は日本武尊(本宮)大国主命(前宮)。中央に崩れ落ちた鳥居が見えるが、現在の社殿は1882年(明治15年)に再建されたものであるから、これはそれ以前に撮影さ...
創建は、神護景雲2年(768)とも和銅3年(710)ともいわれる。藤原氏一族の氏神として朝廷からも手厚く祀られ、数多くの宝物が今に伝えられている。The foundation is said to b...
日光東照宮の奥社の拝殿右側から本社の拝殿や陽明門などを見下ろしている。奥社の宝塔には徳川家康の眠る神柩(しんきゅう)が納められている。画面手前に見えるのは本社拝殿の屋根。画面中央の杉の右側にある白い柱...
太宰府天満宮及び北野天満宮とこの亀戸天満宮(現亀戸天神社)は、共に菅原道真公を祀り三天神と呼ばれる。大宰府の別当だった菅原大鳥居信祐(すがわらおおとりいのぶすけ)が飛梅の木で御身体を彫り、寛文元年(1...
生田神社は、JR三ノ宮駅から北へ徒歩数分の場所にあり (現中央区) 、大同元年 (806)、神社に44戸の神戸 (かんべ) が置かれたことから、「神戸」の地名が生まれたという。中央奥に本社、背後の森は...