恐らく沼川にかかっていたであろう田子の浦橋の中央には人力車が見える。No. 435と同一人物の撮影であれば(いずれも小川一真アルバム)、同時期に撮影されたと考えられる。画面左に荷船が見えるが、積荷が何であるかは不明。A rickshaw stands at the center of Tagonoura Bridge over the Numa River. It may have been taken by the same person as No. 10-15 (both from the Kazuma Ogawa album). A cargo boat is seen to the left of the photo, but what cargo it contains is unknown
富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
現在、静岡、長野、山梨の3県にまたがって流れる富士川は日本三大急流の1つとして知られ、古代より交通の難所であった。江戸期に盛んになった富士川舟運は、河口に近い岩淵河岸と甲斐の鰍沢、青柳、黒沢の河岸を結...
富士市田子ノ浦港(たごのうらこう)(昔は吉原湊(よしわらみなと)といった)港口から北方の富士山を遠望したもの。手前の便道(びんどう)に架る田子ノ浦橋(明治6年架橋)上にはこうもり傘をさした人力車が見え...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)の港口から北方の富士山を遠望したもの。港の奥には小さく石水門が見えるため、明治18年以降の撮影。手前の便道に架る田子ノ浦橋の橋脚にはX字の補強があり、欄干も低いため、再建され...
富士市鈴川にある河合橋(かわいばし)から北方の富士山を遠望したもの。河合橋は沼川を渡る東海道に架けられた橋である。西側の橋の袂には特徴的な松が生え、東側の袂は船着場となり茅葺き屋根の小屋が建つ。橋上に...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
鈴川は駿河湾に面し、潤井川河口左岸に位置する旧幕府領。富士、松並木、木橋、藁葺きの家、川船と船頭と、美しく、凝った構図になっている。なお、この角度、構図の富士の別の写真が、小沢健志監修『写真で見る幕末...
富士川右岸の富士川町岩淵(いわぶち)あたりの河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。段丘の下には水田が広がり、その先に岩淵の集落が見える。富士川右岸の松並木の先には富士川橋が見える。富士川は急流の...
鈴川は元吉原ともいい、吉原の駅が寛永16年(1639)水害をさけて、移動したのち、鈴川駅が作られたという。富士に最も近い鉄道の駅があり、海浜には田子の浦が広がっている。Suzu River was f...
芝川町長貫(ながぬき)と瀬戸島(せとじま)の間の富士川の難所釜口峡(かまぐちきょう)に架かる吊り橋を南から撮影したもの。ここは両岸が切り立った崖で川幅が最も狭く、江戸時代には富士川に架かる唯一の橋であ...
富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
現在、静岡、長野、山梨の3県にまたがって流れる富士川は日本三大急流の1つとして知られ、古代より交通の難所であった。江戸期に盛んになった富士川舟運は、河口に近い岩淵河岸と甲斐の鰍沢、青柳、黒沢の河岸を結...
富士市田子ノ浦港(たごのうらこう)(昔は吉原湊(よしわらみなと)といった)港口から北方の富士山を遠望したもの。手前の便道(びんどう)に架る田子ノ浦橋(明治6年架橋)上にはこうもり傘をさした人力車が見え...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)の港口から北方の富士山を遠望したもの。港の奥には小さく石水門が見えるため、明治18年以降の撮影。手前の便道に架る田子ノ浦橋の橋脚にはX字の補強があり、欄干も低いため、再建され...
富士市鈴川にある河合橋(かわいばし)から北方の富士山を遠望したもの。河合橋は沼川を渡る東海道に架けられた橋である。西側の橋の袂には特徴的な松が生え、東側の袂は船着場となり茅葺き屋根の小屋が建つ。橋上に...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
鈴川は駿河湾に面し、潤井川河口左岸に位置する旧幕府領。富士、松並木、木橋、藁葺きの家、川船と船頭と、美しく、凝った構図になっている。なお、この角度、構図の富士の別の写真が、小沢健志監修『写真で見る幕末...
富士川右岸の富士川町岩淵(いわぶち)あたりの河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。段丘の下には水田が広がり、その先に岩淵の集落が見える。富士川右岸の松並木の先には富士川橋が見える。富士川は急流の...
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富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
現在、静岡、長野、山梨の3県にまたがって流れる富士川は日本三大急流の1つとして知られ、古代より交通の難所であった。江戸期に盛んになった富士川舟運は、河口に近い岩淵河岸と甲斐の鰍沢、青柳、黒沢の河岸を結...