鈴川は元吉原ともいい、吉原の駅が寛永16年(1639)水害をさけて、移動したのち、鈴川駅が作られたという。富士に最も近い鉄道の駅があり、海浜には田子の浦が広がっている。Suzu River was formerly called Moto Yoshiwara. Yoshiwara station was moved to avoid floods in 1639, and Suzukawa station was later built on the spot. The railroad station is the nearest station to Mt. Fuji, and the coast opens on Tagonoura Bay
富士市田子ノ浦港(吉原湊)奥の沼川(ぬまがわ)河口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。富士山と宝永山の位置関係から乾板を裏焼した写真と思われる。左手の石積みは石水門の一部か。土手には丸太...
大宮(現富士宮)より見た富士山。大宮は当時戸数一千余り、富士山登の表口といわれたところである。川辺に笠をさした芸者など多くの人々が見えるのは観光地であったことを示しているのかもしれない。富士浅間神社が...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周囲は浮島ケ原の湿地帯であり、川舟で移動するため、多くの水路網が発...
鈴川は駿河湾に面し、潤井川河口左岸に位置する旧幕府領。富士、松並木、木橋、藁葺きの家、川船と船頭と、美しく、凝った構図になっている。なお、この角度、構図の富士の別の写真が、小沢健志監修『写真で見る幕末...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
富士市鈴川にある河合橋(かわいばし)から北方の富士山を遠望したもの。河合橋は沼川を渡る東海道に架けられた橋である。西側の橋の袂には特徴的な松が生え、東側の袂は船着場となり茅葺き屋根の小屋が建つ。橋上に...
岩淵は富士川左岸に位置する幕府領。手前は富士川の渡し船であろうか?慶長7年幕府から渡船役が課され、渡船役持ち10名によって運営されたという。遠く、橋にかかる木製の橋が見える。Iwabuchi was ...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の富士山を遠望したもの。手前の便道に架る田子ノ浦橋(明治6年架橋)の橋脚は両側に補強されているため、目録番号3146の写真より後で撮影。港の奥には石水門はまだない...
日本三大急流の1つとして知られる富士川は、古来より幾筋も分流し、旅人を悩ませたようである。中州の向こう側には木橋が見えるが(要確認)、より下流のこのあたりでも渡船の必要があったのであろうか?Fuji ...
富士市鈴川(すずかわ)の砂丘上にある地蔵堂から北方の富士山を遠望したもの。境内には地蔵が並び、茅葺きのお堂の一部が見える。お堂の前には4人は、作業内容が不自然で明らかにモデルである。隙間からは東海道線...
富士市吉原本町(東海道吉原宿)あたりから北方の富士山を遠望したもの。富士山の右側の稜線には宝永山が見えるため、駿河湾川から撮影したことは確実だが、詳細な撮影地点は不明。写真中央には木々の茂った大きな茅...
富士川右岸の富士川町岩淵(いわぶち)あたりの河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。段丘の下には水田が広がり、その先に岩淵の集落が見える。富士川右岸の松並木の先には富士川橋が見える。富士川は急流の...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)奥の沼川(ぬまがわ)河口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。富士山と宝永山の位置関係から乾板を裏焼した写真と思われる。左手の石積みは石水門の一部か。土手には丸太...
大宮(現富士宮)より見た富士山。大宮は当時戸数一千余り、富士山登の表口といわれたところである。川辺に笠をさした芸者など多くの人々が見えるのは観光地であったことを示しているのかもしれない。富士浅間神社が...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周囲は浮島ケ原の湿地帯であり、川舟で移動するため、多くの水路網が発...
鈴川は駿河湾に面し、潤井川河口左岸に位置する旧幕府領。富士、松並木、木橋、藁葺きの家、川船と船頭と、美しく、凝った構図になっている。なお、この角度、構図の富士の別の写真が、小沢健志監修『写真で見る幕末...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
富士市鈴川にある河合橋(かわいばし)から北方の富士山を遠望したもの。河合橋は沼川を渡る東海道に架けられた橋である。西側の橋の袂には特徴的な松が生え、東側の袂は船着場となり茅葺き屋根の小屋が建つ。橋上に...
岩淵は富士川左岸に位置する幕府領。手前は富士川の渡し船であろうか?慶長7年幕府から渡船役が課され、渡船役持ち10名によって運営されたという。遠く、橋にかかる木製の橋が見える。Iwabuchi was ...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の富士山を遠望したもの。手前の便道に架る田子ノ浦橋(明治6年架橋)の橋脚は両側に補強されているため、目録番号3146の写真より後で撮影。港の奥には石水門はまだない...
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富士市鈴川(すずかわ)の砂丘上にある地蔵堂から北方の富士山を遠望したもの。境内には地蔵が並び、茅葺きのお堂の一部が見える。お堂の前には4人は、作業内容が不自然で明らかにモデルである。隙間からは東海道線...
富士市吉原本町(東海道吉原宿)あたりから北方の富士山を遠望したもの。富士山の右側の稜線には宝永山が見えるため、駿河湾川から撮影したことは確実だが、詳細な撮影地点は不明。写真中央には木々の茂った大きな茅...
富士川右岸の富士川町岩淵(いわぶち)あたりの河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。段丘の下には水田が広がり、その先に岩淵の集落が見える。富士川右岸の松並木の先には富士川橋が見える。富士川は急流の...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)奥の沼川(ぬまがわ)河口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。富士山と宝永山の位置関係から乾板を裏焼した写真と思われる。左手の石積みは石水門の一部か。土手には丸太...
大宮(現富士宮)より見た富士山。大宮は当時戸数一千余り、富士山登の表口といわれたところである。川辺に笠をさした芸者など多くの人々が見えるのは観光地であったことを示しているのかもしれない。富士浅間神社が...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周囲は浮島ケ原の湿地帯であり、川舟で移動するため、多くの水路網が発...