富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海道線の線路がのびているため、鉄道の開通した明治22年以後の撮影である。Northern view of Mt. Fuji from the sand dune of Suzukawa in Fuji City. The pine trees crossing horizontally in the centre of the photograph mark the Tokaido Highway. Kawai Bridge lies between the two tall pine trees on the left and the thatched-roof house. Rice paddies stretch between the dune and the highway. The presence of train tracks indicate that this photograph was taken after the opening of the Tokaido Line in 1890
小山町須走(すばしり)あたりから富士山を遠望したもの。富士山の大きさや左手の稜線に宝永山が見えることから撮影地点が推定される。須走は古くから富士山須走登山道の登山口で、撮影地点はその登山道の途中であろ...
画面左に見事な水車が見える。大宮は富士川水系潤井川中流左岸に位置する。近世、甲州路の要地として、大宮浅間神社を中心とした経済の中心地であった。安永年間からは東海道吉原宿の臨時助郷を勤めた。A magn...
現在は富士川村の大字となっている旧岩淵村から、富士川ごしに望む富士山。中央下、民家の向こうに見える二本の柱は、半鐘用か。A view of Mt. Fuji over the Fuji River f...
富士川右岸の富士川町岩淵の河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。すぐ下には東海道に沿って並ぶ岩淵集落の家並みが見え、集落の北側には富士川橋が架かる。右手には富士川堤防上にはえる松並木、左手からは...
富士市鈴川にある河合橋(かわいばし)から北方の富士山を遠望したもの。河合橋は沼川を渡る東海道に架けられた橋である。西側の橋の袂には特徴的な松が生え、東側の袂は船着場となり茅葺き屋根の小屋が建つ。橋上に...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
富士山の右肩に越前岳と愛鷹山(あしたかやま)の隆起が見える。したがって、富士山を西方から望む土地の写真であろう。身延山地の山間の村であろうか。稲刈りを終えた秋の光景である。Since Mt. Echi...
旧東海道(現在の国道一号線)の小田原市上板橋付近から、入生田・風祭、箱根の山崎方面を眺めた写真。現在も松が同様な様子で残り、山の形も変わらない。左の川は早川。松が切り倒されているのは、道路拡幅のためか...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
F.ベアトアルバムの写真である。横浜と藤沢の間の東海道を撮影した写真である。幕末から明治初期の東海道の道路が分かる写真である。A photo from the album of F. Beato. A...
富士市鈴川(すずかわ)の砂丘上にある地蔵堂から北方の富士山を遠望したもの。境内には地蔵が並び、茅葺きのお堂の一部が見える。お堂の前には4人は、作業内容が不自然で明らかにモデルである。隙間からは東海道線...
原題は「箱根宿と富士山」となっているが、箱根宿にしては道幅が広すぎ、また松並木が見えるが、箱根では箱根神社の神が目を松で突かれたために嫌ったと言われる松を植えるのを控えるので、富士宮等他の場所であろう...
鈴川は駿河湾に面し、潤井川河口左岸に位置する旧幕府領。富士、松並木、木橋、藁葺きの家、川船と船頭と、美しく、凝った構図になっている。なお、この角度、構図の富士の別の写真が、小沢健志監修『写真で見る幕末...
富士市田子ノ浦港(たごのうらこう)(昔は吉原湊(よしわらみなと)といった)港口から北方の富士山を遠望したもの。手前の便道(びんどう)に架る田子ノ浦橋(明治6年架橋)上にはこうもり傘をさした人力車が見え...
由井から興津にかけては東海道中で最も風光明媚なところであった。断崖が海に迫り、北陸の親不知のような難所であったというかつての由井の海岸を思わせる写真である。由井は「此所富士山鮮やかに見えて東海道第一の...
小山町須走(すばしり)あたりから富士山を遠望したもの。富士山の大きさや左手の稜線に宝永山が見えることから撮影地点が推定される。須走は古くから富士山須走登山道の登山口で、撮影地点はその登山道の途中であろ...
画面左に見事な水車が見える。大宮は富士川水系潤井川中流左岸に位置する。近世、甲州路の要地として、大宮浅間神社を中心とした経済の中心地であった。安永年間からは東海道吉原宿の臨時助郷を勤めた。A magn...
現在は富士川村の大字となっている旧岩淵村から、富士川ごしに望む富士山。中央下、民家の向こうに見える二本の柱は、半鐘用か。A view of Mt. Fuji over the Fuji River f...
富士川右岸の富士川町岩淵の河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。すぐ下には東海道に沿って並ぶ岩淵集落の家並みが見え、集落の北側には富士川橋が架かる。右手には富士川堤防上にはえる松並木、左手からは...
富士市鈴川にある河合橋(かわいばし)から北方の富士山を遠望したもの。河合橋は沼川を渡る東海道に架けられた橋である。西側の橋の袂には特徴的な松が生え、東側の袂は船着場となり茅葺き屋根の小屋が建つ。橋上に...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
富士山の右肩に越前岳と愛鷹山(あしたかやま)の隆起が見える。したがって、富士山を西方から望む土地の写真であろう。身延山地の山間の村であろうか。稲刈りを終えた秋の光景である。Since Mt. Echi...
旧東海道(現在の国道一号線)の小田原市上板橋付近から、入生田・風祭、箱根の山崎方面を眺めた写真。現在も松が同様な様子で残り、山の形も変わらない。左の川は早川。松が切り倒されているのは、道路拡幅のためか...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
F.ベアトアルバムの写真である。横浜と藤沢の間の東海道を撮影した写真である。幕末から明治初期の東海道の道路が分かる写真である。A photo from the album of F. Beato. A...
富士市鈴川(すずかわ)の砂丘上にある地蔵堂から北方の富士山を遠望したもの。境内には地蔵が並び、茅葺きのお堂の一部が見える。お堂の前には4人は、作業内容が不自然で明らかにモデルである。隙間からは東海道線...
原題は「箱根宿と富士山」となっているが、箱根宿にしては道幅が広すぎ、また松並木が見えるが、箱根では箱根神社の神が目を松で突かれたために嫌ったと言われる松を植えるのを控えるので、富士宮等他の場所であろう...
鈴川は駿河湾に面し、潤井川河口左岸に位置する旧幕府領。富士、松並木、木橋、藁葺きの家、川船と船頭と、美しく、凝った構図になっている。なお、この角度、構図の富士の別の写真が、小沢健志監修『写真で見る幕末...
富士市田子ノ浦港(たごのうらこう)(昔は吉原湊(よしわらみなと)といった)港口から北方の富士山を遠望したもの。手前の便道(びんどう)に架る田子ノ浦橋(明治6年架橋)上にはこうもり傘をさした人力車が見え...
由井から興津にかけては東海道中で最も風光明媚なところであった。断崖が海に迫り、北陸の親不知のような難所であったというかつての由井の海岸を思わせる写真である。由井は「此所富士山鮮やかに見えて東海道第一の...
小山町須走(すばしり)あたりから富士山を遠望したもの。富士山の大きさや左手の稜線に宝永山が見えることから撮影地点が推定される。須走は古くから富士山須走登山道の登山口で、撮影地点はその登山道の途中であろ...
画面左に見事な水車が見える。大宮は富士川水系潤井川中流左岸に位置する。近世、甲州路の要地として、大宮浅間神社を中心とした経済の中心地であった。安永年間からは東海道吉原宿の臨時助郷を勤めた。A magn...
現在は富士川村の大字となっている旧岩淵村から、富士川ごしに望む富士山。中央下、民家の向こうに見える二本の柱は、半鐘用か。A view of Mt. Fuji over the Fuji River f...