現在は富士川村の大字となっている旧岩淵村から、富士川ごしに望む富士山。中央下、民家の向こうに見える二本の柱は、半鐘用か。A view of Mt. Fuji over the Fuji River from the former Iwabuchi village which is now part of Fujigawa village. The two pillars seen over the house in the centre bottom may be for a fire bell
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海...
岩淵は富士川左岸に位置する幕府領。手前は富士川の渡し船であろうか?慶長7年幕府から渡船役が課され、渡船役持ち10名によって運営されたという。遠く、橋にかかる木製の橋が見える。Iwabuchi was ...
富士川右岸の富士川町岩淵(いわぶち)あたりの河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。段丘の下には水田が広がり、その先に岩淵の集落が見える。富士川右岸の松並木の先には富士川橋が見える。富士川は急流の...
現在、静岡、長野、山梨の3県にまたがって流れる富士川は日本三大急流の1つとして知られ、古代より交通の難所であった。江戸期に盛んになった富士川舟運は、河口に近い岩淵河岸と甲斐の鰍沢、青柳、黒沢の河岸を結...
富士山の西側を流れる川。甲府の釜無川(八ヶ岳駒ヶ岳に発する)と笛吹川の二つの河川を水源とする。この川ではろ艫の反り底が平らで、吃水も浅い舟を使うという。下る場合は竿を使い、登る場合は綱を引いて舟を上流...
鈴川は元吉原ともいい、吉原の駅が寛永16年(1639)水害をさけて、移動したのち、鈴川駅が作られたという。富士に最も近い鉄道の駅があり、海浜には田子の浦が広がっている。Suzu River was f...
富士市鈴川にある河合橋(かわいばし)から北方の富士山を遠望したもの。河合橋は沼川を渡る東海道に架けられた橋である。西側の橋の袂には特徴的な松が生え、東側の袂は船着場となり茅葺き屋根の小屋が建つ。橋上に...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
現静岡県富士宮市に属する大宮から望む富士山。写真中央に流れるのは、富士川水系潤井川か。左端には村民の姿も見える。大宮町は、安永年間から東海道吉原宿の臨時助郷を勤めたこともあった。Mount Fuji ...
鈴川は駿河湾に面し、潤井川河口左岸に位置する旧幕府領。富士、松並木、木橋、藁葺きの家、川船と船頭と、美しく、凝った構図になっている。なお、この角度、構図の富士の別の写真が、小沢健志監修『写真で見る幕末...
田子の浦港沼川の河口あたりから見た富士山。沼川は宮内(富士宮市)に発し、田子の浦より海へと流れる。白い帆の舟があるが、舟は渡し舟であろうか、客のような人影が見える。Mt.Fuji viewed fro...
富士山の右肩に越前岳と愛鷹山(あしたかやま)の隆起が見える。したがって、富士山を西方から望む土地の写真であろう。身延山地の山間の村であろうか。稲刈りを終えた秋の光景である。Since Mt. Echi...
地点は定かでないが、富士山の大きさや山容、その他の地形から見て、富士川の流域のように見える。The location of this photograph is unclear, but the si...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海...
岩淵は富士川左岸に位置する幕府領。手前は富士川の渡し船であろうか?慶長7年幕府から渡船役が課され、渡船役持ち10名によって運営されたという。遠く、橋にかかる木製の橋が見える。Iwabuchi was ...
富士川右岸の富士川町岩淵(いわぶち)あたりの河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。段丘の下には水田が広がり、その先に岩淵の集落が見える。富士川右岸の松並木の先には富士川橋が見える。富士川は急流の...
現在、静岡、長野、山梨の3県にまたがって流れる富士川は日本三大急流の1つとして知られ、古代より交通の難所であった。江戸期に盛んになった富士川舟運は、河口に近い岩淵河岸と甲斐の鰍沢、青柳、黒沢の河岸を結...
富士山の西側を流れる川。甲府の釜無川(八ヶ岳駒ヶ岳に発する)と笛吹川の二つの河川を水源とする。この川ではろ艫の反り底が平らで、吃水も浅い舟を使うという。下る場合は竿を使い、登る場合は綱を引いて舟を上流...
鈴川は元吉原ともいい、吉原の駅が寛永16年(1639)水害をさけて、移動したのち、鈴川駅が作られたという。富士に最も近い鉄道の駅があり、海浜には田子の浦が広がっている。Suzu River was f...
富士市鈴川にある河合橋(かわいばし)から北方の富士山を遠望したもの。河合橋は沼川を渡る東海道に架けられた橋である。西側の橋の袂には特徴的な松が生え、東側の袂は船着場となり茅葺き屋根の小屋が建つ。橋上に...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
現静岡県富士宮市に属する大宮から望む富士山。写真中央に流れるのは、富士川水系潤井川か。左端には村民の姿も見える。大宮町は、安永年間から東海道吉原宿の臨時助郷を勤めたこともあった。Mount Fuji ...
鈴川は駿河湾に面し、潤井川河口左岸に位置する旧幕府領。富士、松並木、木橋、藁葺きの家、川船と船頭と、美しく、凝った構図になっている。なお、この角度、構図の富士の別の写真が、小沢健志監修『写真で見る幕末...
田子の浦港沼川の河口あたりから見た富士山。沼川は宮内(富士宮市)に発し、田子の浦より海へと流れる。白い帆の舟があるが、舟は渡し舟であろうか、客のような人影が見える。Mt.Fuji viewed fro...
富士山の右肩に越前岳と愛鷹山(あしたかやま)の隆起が見える。したがって、富士山を西方から望む土地の写真であろう。身延山地の山間の村であろうか。稲刈りを終えた秋の光景である。Since Mt. Echi...
地点は定かでないが、富士山の大きさや山容、その他の地形から見て、富士川の流域のように見える。The location of this photograph is unclear, but the si...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海...