英語で「本牧海水浴場の景色、横浜の近く」と印刷されているが、これは、保養地である本牧海岸の十二天にあった茶屋と、海水浴に供せられていた海岸である。海に突き出した木橋は船着き場兼海水浴のためか。The caption reads "View of Honmoku Bathing Place near Yokohama" in English. This is the tea house at Juniten near Honmoku beach, which was a resort and a beach for bathing. The wooden bridge protruding toward the sea may be a pier for boats or for swimming
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
幕末、山手の南、本牧と根岸には外国人遊歩道が開かれた。本牧十二天は風光明媚であり支道が通じていた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。写真は海岸に突き出した茶屋であり、海水浴場でもあった。In the ...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
英語で「本牧の景色、横浜の近く」と印刷されている。本牧神社鳥居前から右手に歩き、宮原海岸を望む。風光明媚な保養地本牧海岸の風景である。浜辺に突き出した木の橋は、満潮時の船着き場か。The captio...
英語で「ミシシッピー湾の家、横浜の近く」とある。これは、ミシシッピー湾(根岸湾)に向かう外国人遊歩新道の不動坂にあった茶店である。ちょうど、数人の女性が休息中であり、子供がお茶を運んでいる。The c...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
江ノ島の対岸片瀬の二階建ての茶屋。1階の障子には「御休泊」「御茶漬」などと書かれている。画面左には石段と1対の石灯篭が見え、その背後は森になっている。A two-story teahouse in K...
英語で「野毛の丘、横浜」と記入されている。野毛山は横浜商人の邸宅地である。関東大震災以降、この一帯は野毛山公園となる。桜が満開の野毛山公園で若い6人の女性が、番台の側で桜を楽しんでいる。The cap...
下鴨糺の森の御手洗川畔に建つ茶店を撮影する。簡素な数寄屋風の茶店に2人の女性が乗った小舟が乗り付けている。御手洗川は下鴨神社の御手洗社から湧き出る水が流れ出した川である。近世から明治期にかけて、毎年土...
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
王子の茶屋は王子稲荷の参道にあった。王子稲荷は関八州の稲荷の総司(そうじ)で稲荷大明神を祀る。大晦日には関東中の狐が集まる。狐は近くの装束稲荷で女官の装束に改めて参拝するとの伝説がある。江戸期や明治期...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
幕末、山手の南、本牧と根岸には外国人遊歩道が開かれた。本牧十二天は風光明媚であり支道が通じていた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。写真は海岸に突き出した茶屋であり、海水浴場でもあった。In the ...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
英語で「本牧の景色、横浜の近く」と印刷されている。本牧神社鳥居前から右手に歩き、宮原海岸を望む。風光明媚な保養地本牧海岸の風景である。浜辺に突き出した木の橋は、満潮時の船着き場か。The captio...
英語で「ミシシッピー湾の家、横浜の近く」とある。これは、ミシシッピー湾(根岸湾)に向かう外国人遊歩新道の不動坂にあった茶店である。ちょうど、数人の女性が休息中であり、子供がお茶を運んでいる。The c...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
江ノ島の対岸片瀬の二階建ての茶屋。1階の障子には「御休泊」「御茶漬」などと書かれている。画面左には石段と1対の石灯篭が見え、その背後は森になっている。A two-story teahouse in K...
英語で「野毛の丘、横浜」と記入されている。野毛山は横浜商人の邸宅地である。関東大震災以降、この一帯は野毛山公園となる。桜が満開の野毛山公園で若い6人の女性が、番台の側で桜を楽しんでいる。The cap...
下鴨糺の森の御手洗川畔に建つ茶店を撮影する。簡素な数寄屋風の茶店に2人の女性が乗った小舟が乗り付けている。御手洗川は下鴨神社の御手洗社から湧き出る水が流れ出した川である。近世から明治期にかけて、毎年土...
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
王子の茶屋は王子稲荷の参道にあった。王子稲荷は関八州の稲荷の総司(そうじ)で稲荷大明神を祀る。大晦日には関東中の狐が集まる。狐は近くの装束稲荷で女官の装束に改めて参拝するとの伝説がある。江戸期や明治期...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...