幕末、山手の南、本牧と根岸には外国人遊歩道が開かれた。本牧十二天は風光明媚であり支道が通じていた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。写真は海岸に突き出した茶屋であり、海水浴場でもあった。In the last days of the Tokugawa period, a promenade for foreigners was opened between Honmoku and Negishi in the south part of the Bluff. Honmoku Juniten was famous for its scencery and had branch roads. The Junitensha is the guardian of Honmoku Hongo village. The photo shows the tea shop protruding to the beach, which was also a bathing spot
王子の茶屋は王子稲荷の参道にあった。王子稲荷は関八州の稲荷の総司(そうじ)で稲荷大明神を祀る。大晦日には関東中の狐が集まる。狐は近くの装束稲荷で女官の装束に改めて参拝するとの伝説がある。江戸期や明治期...
明治初年廃寺となった大徳寺境内の茶屋の絵葉書。現在梅ケ崎天満宮となっている。旧境内には梅香崎招魂社、振遠隊墓所、橋本氏の大徳園、大徳寺茶店などがあった。茶屋の名前として平山家の看板が見える。境内は38...
馬返しは中禅寺道の起点であり、これよりつづら折の山道の難所を経て大平に至る。写真には山駕籠と茶屋が写っている。茶屋はつた屋であろう。Umagaeshi is the starting point of...
元治元年(1864)、山手と本牧と根岸を巡る外人遊歩新道が造られた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。風光明媚な本牧十二天には支道が通じており、沿道には茶屋が設けられていた。A promenade f...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
江ノ島の対岸片瀬の二階建ての茶屋。1階の障子には「御休泊」「御茶漬」などと書かれている。画面左には石段と1対の石灯篭が見え、その背後は森になっている。A two-story teahouse in K...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
本牧十二天の海岸。元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設され、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が開通した。本牧本郷村の鎮守である十二天社は、本牧神社と改称し...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、...
元町通りの中程、元町百段と呼ばれる石段を登ると浅間神社があり、境内に「田辺の茶屋」があった。ここは市街を一望できる展望台として内外人で賑わったが、関東大震災で階段もろとも崩壊し、神社は丘の麓に再建され...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
王子の茶屋は王子稲荷の参道にあった。王子稲荷は関八州の稲荷の総司(そうじ)で稲荷大明神を祀る。大晦日には関東中の狐が集まる。狐は近くの装束稲荷で女官の装束に改めて参拝するとの伝説がある。江戸期や明治期...
明治初年廃寺となった大徳寺境内の茶屋の絵葉書。現在梅ケ崎天満宮となっている。旧境内には梅香崎招魂社、振遠隊墓所、橋本氏の大徳園、大徳寺茶店などがあった。茶屋の名前として平山家の看板が見える。境内は38...
馬返しは中禅寺道の起点であり、これよりつづら折の山道の難所を経て大平に至る。写真には山駕籠と茶屋が写っている。茶屋はつた屋であろう。Umagaeshi is the starting point of...
元治元年(1864)、山手と本牧と根岸を巡る外人遊歩新道が造られた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。風光明媚な本牧十二天には支道が通じており、沿道には茶屋が設けられていた。A promenade f...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
江ノ島の対岸片瀬の二階建ての茶屋。1階の障子には「御休泊」「御茶漬」などと書かれている。画面左には石段と1対の石灯篭が見え、その背後は森になっている。A two-story teahouse in K...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
本牧十二天の海岸。元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設され、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が開通した。本牧本郷村の鎮守である十二天社は、本牧神社と改称し...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、...
元町通りの中程、元町百段と呼ばれる石段を登ると浅間神社があり、境内に「田辺の茶屋」があった。ここは市街を一望できる展望台として内外人で賑わったが、関東大震災で階段もろとも崩壊し、神社は丘の麓に再建され...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
王子の茶屋は王子稲荷の参道にあった。王子稲荷は関八州の稲荷の総司(そうじ)で稲荷大明神を祀る。大晦日には関東中の狐が集まる。狐は近くの装束稲荷で女官の装束に改めて参拝するとの伝説がある。江戸期や明治期...
明治初年廃寺となった大徳寺境内の茶屋の絵葉書。現在梅ケ崎天満宮となっている。旧境内には梅香崎招魂社、振遠隊墓所、橋本氏の大徳園、大徳寺茶店などがあった。茶屋の名前として平山家の看板が見える。境内は38...
馬返しは中禅寺道の起点であり、これよりつづら折の山道の難所を経て大平に至る。写真には山駕籠と茶屋が写っている。茶屋はつた屋であろう。Umagaeshi is the starting point of...