江ノ島の対岸片瀬の二階建ての茶屋。1階の障子には「御休泊」「御茶漬」などと書かれている。画面左には石段と1対の石灯篭が見え、その背後は森になっている。A two-story teahouse in Katase on the other shore from Enoshima. The paper doors have signs such as "Resting and Staying" and "Chazuke". To the left are stone steps and a pair of stone lanterns, and the background is a forest
小さな池にかかった小さな橋の上に日傘をさした女性が立ち、その向こうの、池に突き出した茶屋の一室の欄干に腰を乗せた女性が見詰めている。いかにもこじんまりした日本的庭と女性たちの姿が調和している。A wo...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
嵐山渡月橋北岸西側の三軒茶屋「旗亭」を保津川南岸から北に望む。三軒茶屋は中央部が3層、東部と西部が2層となり、東部と中央部は棟続きとなっている。三軒茶屋の東西両側の保津川岸には、長い屋根付きの床が設け...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
幕末、山手の南、本牧と根岸には外国人遊歩道が開かれた。本牧十二天は風光明媚であり支道が通じていた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。写真は海岸に突き出した茶屋であり、海水浴場でもあった。In the ...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
日の当たった縁側、座敷には湯桶を前に丸髷の女性が4人、膝を折り、こちらを見ている。軒下の沓脱ぎ石の上に脱いだ駒下駄が幾揃いか並んでいる。後景には、庭木の茂みに埋もれたように灯篭が朧な姿をのぞかせている...
明治初年廃寺となった大徳寺境内の茶屋の絵葉書。現在梅ケ崎天満宮となっている。旧境内には梅香崎招魂社、振遠隊墓所、橋本氏の大徳園、大徳寺茶店などがあった。茶屋の名前として平山家の看板が見える。境内は38...
馬返しは中禅寺道の起点であり、これよりつづら折の山道の難所を経て大平に至る。写真には山駕籠と茶屋が写っている。茶屋はつた屋であろう。Umagaeshi is the starting point of...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
紅葉で有名な滝野川の金剛寺。紅葉寺とも呼ばれ、文人墨客や行楽客が多数訪れた。こうした風景の観光が成立するためには、水墨画から日本庭園へ、日本庭園から自然の風景へと、鑑賞の翻訳が必要となる。Kongoj...
王子は江戸から離れた所であったが、飛鳥山が花見の名所、滝野川が紅葉の名所となり、王子稲荷信仰が人気になると、王子稲荷門前から飛鳥山の麓まで約4町余(450m程)の参道には、茶店や料理屋が軒を並べるよう...
小さな池にかかった小さな橋の上に日傘をさした女性が立ち、その向こうの、池に突き出した茶屋の一室の欄干に腰を乗せた女性が見詰めている。いかにもこじんまりした日本的庭と女性たちの姿が調和している。A wo...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
嵐山渡月橋北岸西側の三軒茶屋「旗亭」を保津川南岸から北に望む。三軒茶屋は中央部が3層、東部と西部が2層となり、東部と中央部は棟続きとなっている。三軒茶屋の東西両側の保津川岸には、長い屋根付きの床が設け...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
幕末、山手の南、本牧と根岸には外国人遊歩道が開かれた。本牧十二天は風光明媚であり支道が通じていた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。写真は海岸に突き出した茶屋であり、海水浴場でもあった。In the ...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
日の当たった縁側、座敷には湯桶を前に丸髷の女性が4人、膝を折り、こちらを見ている。軒下の沓脱ぎ石の上に脱いだ駒下駄が幾揃いか並んでいる。後景には、庭木の茂みに埋もれたように灯篭が朧な姿をのぞかせている...
明治初年廃寺となった大徳寺境内の茶屋の絵葉書。現在梅ケ崎天満宮となっている。旧境内には梅香崎招魂社、振遠隊墓所、橋本氏の大徳園、大徳寺茶店などがあった。茶屋の名前として平山家の看板が見える。境内は38...
馬返しは中禅寺道の起点であり、これよりつづら折の山道の難所を経て大平に至る。写真には山駕籠と茶屋が写っている。茶屋はつた屋であろう。Umagaeshi is the starting point of...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
紅葉で有名な滝野川の金剛寺。紅葉寺とも呼ばれ、文人墨客や行楽客が多数訪れた。こうした風景の観光が成立するためには、水墨画から日本庭園へ、日本庭園から自然の風景へと、鑑賞の翻訳が必要となる。Kongoj...
王子は江戸から離れた所であったが、飛鳥山が花見の名所、滝野川が紅葉の名所となり、王子稲荷信仰が人気になると、王子稲荷門前から飛鳥山の麓まで約4町余(450m程)の参道には、茶店や料理屋が軒を並べるよう...
小さな池にかかった小さな橋の上に日傘をさした女性が立ち、その向こうの、池に突き出した茶屋の一室の欄干に腰を乗せた女性が見詰めている。いかにもこじんまりした日本的庭と女性たちの姿が調和している。A wo...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
嵐山渡月橋北岸西側の三軒茶屋「旗亭」を保津川南岸から北に望む。三軒茶屋は中央部が3層、東部と西部が2層となり、東部と中央部は棟続きとなっている。三軒茶屋の東西両側の保津川岸には、長い屋根付きの床が設け...