英語で「ミシシッピー湾の家、横浜の近く」とある。これは、ミシシッピー湾(根岸湾)に向かう外国人遊歩新道の不動坂にあった茶店である。ちょうど、数人の女性が休息中であり、子供がお茶を運んでいる。The caption reads "A house at Mississippi Bay, near Yokohama" in English. This is a tea house on the Fudosaka, a strolling route leading to Mississippi Bay (Negishi Bay). Several women are resting, and a child brings some tea
大平台の大曲(ヘアピン・カーブ)にあった富士見茶屋から宮の下方面を遠望したもの。現在、茶店はないが、松や眺望は、昔のまま残る。当時の写真機材は重くて、運ぶのが大変だったので、茶店で休んだ時の撮影が多い...
中山道中最大の難所、和田宿和田峠・東餅屋の様子。ここには5軒ほどの茶屋があり、休息所となっていた。また住民は旅行者の救護の仕事にも当たっていたため、各人に1人扶持(一日あたり玄米5合)が支給されてもい...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
英語で「本牧海水浴場の景色、横浜の近く」と印刷されているが、これは、保養地である本牧海岸の十二天にあった茶屋と、海水浴に供せられていた海岸である。海に突き出した木橋は船着き場兼海水浴のためか。The ...
英語で「野毛の丘、横浜」と記入されている。野毛山は横浜商人の邸宅地である。関東大震災以降、この一帯は野毛山公園となる。桜が満開の野毛山公園で若い6人の女性が、番台の側で桜を楽しんでいる。The cap...
馬返しは中禅寺道の起点であり、これよりつづら折の山道の難所を経て大平に至る。写真には山駕籠と茶屋が写っている。茶屋はつた屋であろう。Umagaeshi is the starting point of...
英語で「横浜近くのミシシッピー湾」と印字されている。不動坂から根岸村を展望している。右手はミシシッピー湾(根岸湾)、遠方は本牧岬である。村には藁葺き屋根の家屋ときれいに耕作された畑がみえる。The c...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
英語で「ミシシッピー湾、横浜」の書き込みがある。根岸から本牧海岸に下る不動坂である。右手にはミシシッピー湾(根岸湾)が広がる。人力車夫が客を乗せて、根岸方面に走行中である。The caption re...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
日の当たった縁側、座敷には湯桶を前に丸髷の女性が4人、膝を折り、こちらを見ている。軒下の沓脱ぎ石の上に脱いだ駒下駄が幾揃いか並んでいる。後景には、庭木の茂みに埋もれたように灯篭が朧な姿をのぞかせている...
江ノ島の対岸片瀬の二階建ての茶屋。1階の障子には「御休泊」「御茶漬」などと書かれている。画面左には石段と1対の石灯篭が見え、その背後は森になっている。A two-story teahouse in K...
大平台の大曲(ヘアピン・カーブ)にあった富士見茶屋から宮の下方面を遠望したもの。現在、茶店はないが、松や眺望は、昔のまま残る。当時の写真機材は重くて、運ぶのが大変だったので、茶店で休んだ時の撮影が多い...
中山道中最大の難所、和田宿和田峠・東餅屋の様子。ここには5軒ほどの茶屋があり、休息所となっていた。また住民は旅行者の救護の仕事にも当たっていたため、各人に1人扶持(一日あたり玄米5合)が支給されてもい...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
英語で「本牧海水浴場の景色、横浜の近く」と印刷されているが、これは、保養地である本牧海岸の十二天にあった茶屋と、海水浴に供せられていた海岸である。海に突き出した木橋は船着き場兼海水浴のためか。The ...
英語で「野毛の丘、横浜」と記入されている。野毛山は横浜商人の邸宅地である。関東大震災以降、この一帯は野毛山公園となる。桜が満開の野毛山公園で若い6人の女性が、番台の側で桜を楽しんでいる。The cap...
馬返しは中禅寺道の起点であり、これよりつづら折の山道の難所を経て大平に至る。写真には山駕籠と茶屋が写っている。茶屋はつた屋であろう。Umagaeshi is the starting point of...
英語で「横浜近くのミシシッピー湾」と印字されている。不動坂から根岸村を展望している。右手はミシシッピー湾(根岸湾)、遠方は本牧岬である。村には藁葺き屋根の家屋ときれいに耕作された畑がみえる。The c...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
英語で「ミシシッピー湾、横浜」の書き込みがある。根岸から本牧海岸に下る不動坂である。右手にはミシシッピー湾(根岸湾)が広がる。人力車夫が客を乗せて、根岸方面に走行中である。The caption re...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
日の当たった縁側、座敷には湯桶を前に丸髷の女性が4人、膝を折り、こちらを見ている。軒下の沓脱ぎ石の上に脱いだ駒下駄が幾揃いか並んでいる。後景には、庭木の茂みに埋もれたように灯篭が朧な姿をのぞかせている...
江ノ島の対岸片瀬の二階建ての茶屋。1階の障子には「御休泊」「御茶漬」などと書かれている。画面左には石段と1対の石灯篭が見え、その背後は森になっている。A two-story teahouse in K...
大平台の大曲(ヘアピン・カーブ)にあった富士見茶屋から宮の下方面を遠望したもの。現在、茶店はないが、松や眺望は、昔のまま残る。当時の写真機材は重くて、運ぶのが大変だったので、茶店で休んだ時の撮影が多い...
中山道中最大の難所、和田宿和田峠・東餅屋の様子。ここには5軒ほどの茶屋があり、休息所となっていた。また住民は旅行者の救護の仕事にも当たっていたため、各人に1人扶持(一日あたり玄米5合)が支給されてもい...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...