1868年に外国に対して開放されて以来、神戸は日本を代表する国際貿易都市として発展してきた。それゆえ神戸には、横浜とともに開国や海運の発展を物語る史跡が少なくない。Since the opening of Kobe to foreigners in 1868, the city has developed as an international port representing Japan. Thus there are many historical sites, similar to Yokohama, that tell of the opening of Japan to trade with foreign countries and the development of maritime transport
高島町遊郭の神風楼。「ネキタリン・ナンバー・ナイン」と呼ばれ、世界的に知られた。港崎郭にあった初代の伊勢楼から数えて三度の移転を経るが、写真は高島町2丁目にあった頃の三代目。明治4年(1871)から同...
明治22年(1889)からの第1次築港工事で築造された大桟橋。開港当初の波止場の位置に桟橋を延長するかたちで建設された。たもとに建つのは、同27年(1894)竣工の横浜税関監視課庁舎。設計は明治建築界...
明治末から大正初年にかけての大波止海岸の絵葉書。長崎要塞司令部による長崎地帯の写真、測量、写生の検閲は明治32(1899)年に長崎要塞地帯法ができてから始まった。大波止海岸は明治37(1904)年に埋...
開港の混乱を避けるため、兵庫の港よりやや離れて居留地に指定された神戸であったが、この地も良港に恵まれ、まもなく兵庫をしのぐ国際貿易都市として急速に発展していった。To avoid turmoil wh...
明治中頃の居留地海岸通(現中央区)を、西端から東へ向かって撮影。左から、2番の香港上海銀行 (The Hong Kong and Shanghai Banking Corporation)をはじめ...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。横浜居留地東端橋から堀川(運河)上流を望む。左の家並みは元(本)村、橋は谷戸橋、前田橋。西ノ橋もかすかに見えている。右手奥に見えるのはキャメロン&クックの小造...
元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は...
神戸外国人居留地内の街路。居留地海岸通り。The streets in the foreign settlement of Kobe. The waterfront avenue in the set...
明治24年(1891)8月の台風による被害を撮影した写真である。国内(日本人)向けの神戸の港である。港に打ち寄せられた木屑が散乱している。整理番号39-26の写真の解説を参照。This photo p...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。左手遠方には「岩亀楼内」の文字が読みとれる。横浜外国人居留地背後の太田屋新田沼地を埋め立てた太田町の裏町であろう。1866年の大火で消失、翌年遊郭は奥の吉田新...
明治18年(1885)新築移転した横浜税関新庁舎。旧庁舎は県庁舎として引き続き使用された。左右対称の外観をもち中央に塔を建てる典型的な明治の官庁建築。日本大通りのアイストップとして、関東大震災で倒壊す...
詳細位置不明。幅広い道路に沿って立ち並ぶ多数の洋風建築と、路上の人力車が写し出されている。Exact location unknown.Western buildings and a rickshaw...
明治23(1890)年9月、梅香崎に完成した旧長崎税関の新庁舎。明治32(1899)年に管轄区域に周防・長門が加わった。大正12(1923)年に日華連絡線として長崎丸と上海丸が就航し、大陸との交通が増...
諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。A general view of Kobe from Mt. Suwa. Th...
風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の...
高島町遊郭の神風楼。「ネキタリン・ナンバー・ナイン」と呼ばれ、世界的に知られた。港崎郭にあった初代の伊勢楼から数えて三度の移転を経るが、写真は高島町2丁目にあった頃の三代目。明治4年(1871)から同...
明治22年(1889)からの第1次築港工事で築造された大桟橋。開港当初の波止場の位置に桟橋を延長するかたちで建設された。たもとに建つのは、同27年(1894)竣工の横浜税関監視課庁舎。設計は明治建築界...
明治末から大正初年にかけての大波止海岸の絵葉書。長崎要塞司令部による長崎地帯の写真、測量、写生の検閲は明治32(1899)年に長崎要塞地帯法ができてから始まった。大波止海岸は明治37(1904)年に埋...
開港の混乱を避けるため、兵庫の港よりやや離れて居留地に指定された神戸であったが、この地も良港に恵まれ、まもなく兵庫をしのぐ国際貿易都市として急速に発展していった。To avoid turmoil wh...
明治中頃の居留地海岸通(現中央区)を、西端から東へ向かって撮影。左から、2番の香港上海銀行 (The Hong Kong and Shanghai Banking Corporation)をはじめ...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。横浜居留地東端橋から堀川(運河)上流を望む。左の家並みは元(本)村、橋は谷戸橋、前田橋。西ノ橋もかすかに見えている。右手奥に見えるのはキャメロン&クックの小造...
元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は...
神戸外国人居留地内の街路。居留地海岸通り。The streets in the foreign settlement of Kobe. The waterfront avenue in the set...
明治24年(1891)8月の台風による被害を撮影した写真である。国内(日本人)向けの神戸の港である。港に打ち寄せられた木屑が散乱している。整理番号39-26の写真の解説を参照。This photo p...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。左手遠方には「岩亀楼内」の文字が読みとれる。横浜外国人居留地背後の太田屋新田沼地を埋め立てた太田町の裏町であろう。1866年の大火で消失、翌年遊郭は奥の吉田新...
明治18年(1885)新築移転した横浜税関新庁舎。旧庁舎は県庁舎として引き続き使用された。左右対称の外観をもち中央に塔を建てる典型的な明治の官庁建築。日本大通りのアイストップとして、関東大震災で倒壊す...
詳細位置不明。幅広い道路に沿って立ち並ぶ多数の洋風建築と、路上の人力車が写し出されている。Exact location unknown.Western buildings and a rickshaw...
明治23(1890)年9月、梅香崎に完成した旧長崎税関の新庁舎。明治32(1899)年に管轄区域に周防・長門が加わった。大正12(1923)年に日華連絡線として長崎丸と上海丸が就航し、大陸との交通が増...
諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。A general view of Kobe from Mt. Suwa. Th...
風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の...
高島町遊郭の神風楼。「ネキタリン・ナンバー・ナイン」と呼ばれ、世界的に知られた。港崎郭にあった初代の伊勢楼から数えて三度の移転を経るが、写真は高島町2丁目にあった頃の三代目。明治4年(1871)から同...
明治22年(1889)からの第1次築港工事で築造された大桟橋。開港当初の波止場の位置に桟橋を延長するかたちで建設された。たもとに建つのは、同27年(1894)竣工の横浜税関監視課庁舎。設計は明治建築界...
明治末から大正初年にかけての大波止海岸の絵葉書。長崎要塞司令部による長崎地帯の写真、測量、写生の検閲は明治32(1899)年に長崎要塞地帯法ができてから始まった。大波止海岸は明治37(1904)年に埋...