六郷川の河口付近。アンダーウッド&アンダーウッド社が明治37年(1904)に売り出したステレオ写真。裏面に印刷された解説には、日本の画家が好んで描くような光景であること、対岸の川崎大師の縁日には臨時列車が出るほど賑わうことなどが記されている。This is the mouth of the Rokugo River. This stereograph was sold in 1904 by Underwood & Underwood Co. The caption on the back reports that many Japanese artists like to draw this landscape and that so many people visit the area on festival days that the railway had to schedule a special train service
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。A fer...
突堤のこちら側に中型の弁財船が停泊し、突堤向こうに三本マストの船がかすかに見える。手前の水面を土砂を積んだ平底船が横切っている。場所は特定できないが、のどかな港の風景である。A middle size...
同じ写真が、明治33年(1900)年史伝編纂所発行の『日本之名勝』に「隅田川の舟遊」として、また明治44年(1911)小川一真(かずまさ)発行の『東京風景』に「舟遊び」として掲載されている。2種類の内...
琵琶湖に浮かぶ丸子船(まるこぶね)を撮影したもの。歌川広重の浮世絵にも代表される、近江八景の1つ、矢橋帰帆(やばせのきはん)の情景をイメージして撮影されたものと思われる。矢橋帰帆は、東海道の近道として...
河川や湖沼などの淡水魚介類を対象とする漁業を内水面漁業というが、その規模は小さく、技術も停滞がちであった。それは、淡水魚の市場規模が小さく、沿岸住民の副食程度の需要でしかなかったことによる。また、今日...
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。場所未詳。Photos with the...
日本橋の橋の上より、船荷で賑う日本橋川の西を望む。快晴ならばこの角度で富士山が望めた筈である。左岸は西河岸で、右奥に垣間見える橋は西橋である。水運から陸運に移行していく時代であるが、まだ運河が荷物の運...
長崎、稲佐の舟遊びを撮影したもの。着色され、同じ写真が内田九一アルバム(長崎大学附属図書館蔵)に収載されていることから、内田九一による撮影と思われる。内田は同アルバムに天皇随行の写真を掲載していること...
英語で「子供の祭り、横浜」と記されている。5月の節句の鯉のぼりの風景である。横浜写真のなかには類似の鯉のぼり風景がいくつか見られる。川に浮かぶ和船は構造が興味深い。The caption reads"...
左右に生い茂った樹木のある小川を下る小舟。水の量は豊かである。二人の男がそれぞれ櫓と竿で舟を操っている。二人ともズボンをはき帽子をかぶっているので、明治中期以降の風景であろう。A boat goes ...
明治中期(1887)頃の長崎の郊外の釣りの風景。手彩色の写真。長崎市街地には小河川が流れ込んでいた。また、長崎郊外の茂木には若菜川があり、多くの写真が撮影されている。長崎周辺の自然と釣り人の服装を撮影...
砂浜に引き上げられた小舟で漁の成果を示している。舟には2人の男と少年が乗っている。砂浜には手前に頬被りをした男が2人座り、その後ろにひとりの男と少年が立っている。The fishing catch c...
大正14年(1925)東京朝日新聞社発行『アサヒグラフ臨時増刊写真百年祭記念号』に同じ写真が「内田九一氏と東京隅田川の舟遊」として載っている。説明に「明治七年頃の撮影で舟中欄干にもたるるは内田九一氏 ...
英語で「フェリーボート」と説明されている。渡し船の様子である。船頭は竿で舟を操り、旅装束の客は上陸の用意をしている。川は狭いが、流れは急である。舟はロープで川の杭に繋がれているところから見ると演出写真...
川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と思われる。People a...
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。A fer...
突堤のこちら側に中型の弁財船が停泊し、突堤向こうに三本マストの船がかすかに見える。手前の水面を土砂を積んだ平底船が横切っている。場所は特定できないが、のどかな港の風景である。A middle size...
同じ写真が、明治33年(1900)年史伝編纂所発行の『日本之名勝』に「隅田川の舟遊」として、また明治44年(1911)小川一真(かずまさ)発行の『東京風景』に「舟遊び」として掲載されている。2種類の内...
琵琶湖に浮かぶ丸子船(まるこぶね)を撮影したもの。歌川広重の浮世絵にも代表される、近江八景の1つ、矢橋帰帆(やばせのきはん)の情景をイメージして撮影されたものと思われる。矢橋帰帆は、東海道の近道として...
河川や湖沼などの淡水魚介類を対象とする漁業を内水面漁業というが、その規模は小さく、技術も停滞がちであった。それは、淡水魚の市場規模が小さく、沿岸住民の副食程度の需要でしかなかったことによる。また、今日...
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。場所未詳。Photos with the...
日本橋の橋の上より、船荷で賑う日本橋川の西を望む。快晴ならばこの角度で富士山が望めた筈である。左岸は西河岸で、右奥に垣間見える橋は西橋である。水運から陸運に移行していく時代であるが、まだ運河が荷物の運...
長崎、稲佐の舟遊びを撮影したもの。着色され、同じ写真が内田九一アルバム(長崎大学附属図書館蔵)に収載されていることから、内田九一による撮影と思われる。内田は同アルバムに天皇随行の写真を掲載していること...
英語で「子供の祭り、横浜」と記されている。5月の節句の鯉のぼりの風景である。横浜写真のなかには類似の鯉のぼり風景がいくつか見られる。川に浮かぶ和船は構造が興味深い。The caption reads"...
左右に生い茂った樹木のある小川を下る小舟。水の量は豊かである。二人の男がそれぞれ櫓と竿で舟を操っている。二人ともズボンをはき帽子をかぶっているので、明治中期以降の風景であろう。A boat goes ...
明治中期(1887)頃の長崎の郊外の釣りの風景。手彩色の写真。長崎市街地には小河川が流れ込んでいた。また、長崎郊外の茂木には若菜川があり、多くの写真が撮影されている。長崎周辺の自然と釣り人の服装を撮影...
砂浜に引き上げられた小舟で漁の成果を示している。舟には2人の男と少年が乗っている。砂浜には手前に頬被りをした男が2人座り、その後ろにひとりの男と少年が立っている。The fishing catch c...
大正14年(1925)東京朝日新聞社発行『アサヒグラフ臨時増刊写真百年祭記念号』に同じ写真が「内田九一氏と東京隅田川の舟遊」として載っている。説明に「明治七年頃の撮影で舟中欄干にもたるるは内田九一氏 ...
英語で「フェリーボート」と説明されている。渡し船の様子である。船頭は竿で舟を操り、旅装束の客は上陸の用意をしている。川は狭いが、流れは急である。舟はロープで川の杭に繋がれているところから見ると演出写真...
川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と思われる。People a...
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。A fer...
突堤のこちら側に中型の弁財船が停泊し、突堤向こうに三本マストの船がかすかに見える。手前の水面を土砂を積んだ平底船が横切っている。場所は特定できないが、のどかな港の風景である。A middle size...
同じ写真が、明治33年(1900)年史伝編纂所発行の『日本之名勝』に「隅田川の舟遊」として、また明治44年(1911)小川一真(かずまさ)発行の『東京風景』に「舟遊び」として掲載されている。2種類の内...