長崎、稲佐の舟遊びを撮影したもの。着色され、同じ写真が内田九一アルバム(長崎大学附属図書館蔵)に収載されていることから、内田九一による撮影と思われる。内田は同アルバムに天皇随行の写真を掲載していることから、この写真も明治5(1872)年の撮影と推測される。A view of people enjoying a boat ride, Inasa, Nagasaki. Hand-tinted. The same photograph is included in the Uchida Kuichi Album (Nagasaki University Library), indicating that it was taken by Uchida when he accompanied Emperor Meiji on his trip around Japan in 1872
本コレクション中に同一写真があり、それには「View of Matsushima」とある。したがって本写真も松島風景と見て間違いない。舟は典型的な小型帆掛け舟であり、司馬江漢描く「品川富士遠望図」の舟...
六郷川の河口付近。アンダーウッド&アンダーウッド社が明治37年(1904)に売り出したステレオ写真。裏面に印刷された解説には、日本の画家が好んで描くような光景であること、対岸の川崎大師の縁日には臨時列...
片手に模型の小舟を持ち、もう片手には枝を持ってポーズをとっている若い女性。小舟は屋形船だろうか。着物の裾からのぞく赤い襦袢(じゅばん)にぽっくり下駄は印象的。手桶や植木鉢もセットされたスタジオで撮影さ...
紀ノ川河口に位置する和歌山市は、中世では紀伊湊と呼ばれたように、海路と河川交通の中継地であった。中州の鼠島付近と思われる場所に、多くの和船が繋留されている。対岸に見えるのが和泉山脈で、右の小山の上に見...
整理番号12-28と同じ。川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と...
人や荷物を大量に運ぶ事のみを目的とする平底の渡し舟。船頭が前後に1人ずつ長い竿を操っている。乗船者全てが髷を結っているので、幕末から明治初期の頃と考えられる。場所は不明。A flat-bottomed...
大正14年(1925)東京朝日新聞社発行『アサヒグラフ臨時増刊写真百年祭記念号』に同じ写真が「内田九一氏と東京隅田川の舟遊」として載っている。説明に「明治七年頃の撮影で舟中欄干にもたるるは内田九一氏 ...
左右に生い茂った樹木のある小川を下る小舟。水の量は豊かである。二人の男がそれぞれ櫓と竿で舟を操っている。二人ともズボンをはき帽子をかぶっているので、明治中期以降の風景であろう。A boat goes ...
川船は交通機関の一つであったが、この様な覆い屋がついた屋形船は、遊芸を楽しむ遊船として用いられた。屋根の上で三味線を弾いている姿があるが、これは屋形の中でこのような遊芸が行われるという説明の意味をこめ...
日本橋の橋の上より、船荷で賑う日本橋川の西を望む。快晴ならばこの角度で富士山が望めた筈である。左岸は西河岸で、右奥に垣間見える橋は西橋である。水運から陸運に移行していく時代であるが、まだ運河が荷物の運...
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。A fer...
琵琶湖に浮かぶ丸子船(まるこぶね)を撮影したもの。歌川広重の浮世絵にも代表される、近江八景の1つ、矢橋帰帆(やばせのきはん)の情景をイメージして撮影されたものと思われる。矢橋帰帆は、東海道の近道として...
同じ写真が、明治33年(1900)年史伝編纂所発行の『日本之名勝』に「隅田川の舟遊」として、また明治44年(1911)小川一真(かずまさ)発行の『東京風景』に「舟遊び」として掲載されている。2種類の内...
8人の少女が小船に乗り、舟遊びをしている。背景に富士の絵を配したスタジオ撮影。船頭を含め9名が乗る船にしては、小さすぎる。Eight girls ride a small boat on a boat...
湖か広い川で1人の男性が竿で舟を操っている。舟には桶が1つ積まれ、草のようなものが入っており、その上に笠が置かれている。A man takes the helm of a boaton a lake ...
本コレクション中に同一写真があり、それには「View of Matsushima」とある。したがって本写真も松島風景と見て間違いない。舟は典型的な小型帆掛け舟であり、司馬江漢描く「品川富士遠望図」の舟...
六郷川の河口付近。アンダーウッド&アンダーウッド社が明治37年(1904)に売り出したステレオ写真。裏面に印刷された解説には、日本の画家が好んで描くような光景であること、対岸の川崎大師の縁日には臨時列...
片手に模型の小舟を持ち、もう片手には枝を持ってポーズをとっている若い女性。小舟は屋形船だろうか。着物の裾からのぞく赤い襦袢(じゅばん)にぽっくり下駄は印象的。手桶や植木鉢もセットされたスタジオで撮影さ...
紀ノ川河口に位置する和歌山市は、中世では紀伊湊と呼ばれたように、海路と河川交通の中継地であった。中州の鼠島付近と思われる場所に、多くの和船が繋留されている。対岸に見えるのが和泉山脈で、右の小山の上に見...
整理番号12-28と同じ。川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と...
人や荷物を大量に運ぶ事のみを目的とする平底の渡し舟。船頭が前後に1人ずつ長い竿を操っている。乗船者全てが髷を結っているので、幕末から明治初期の頃と考えられる。場所は不明。A flat-bottomed...
大正14年(1925)東京朝日新聞社発行『アサヒグラフ臨時増刊写真百年祭記念号』に同じ写真が「内田九一氏と東京隅田川の舟遊」として載っている。説明に「明治七年頃の撮影で舟中欄干にもたるるは内田九一氏 ...
左右に生い茂った樹木のある小川を下る小舟。水の量は豊かである。二人の男がそれぞれ櫓と竿で舟を操っている。二人ともズボンをはき帽子をかぶっているので、明治中期以降の風景であろう。A boat goes ...
川船は交通機関の一つであったが、この様な覆い屋がついた屋形船は、遊芸を楽しむ遊船として用いられた。屋根の上で三味線を弾いている姿があるが、これは屋形の中でこのような遊芸が行われるという説明の意味をこめ...
日本橋の橋の上より、船荷で賑う日本橋川の西を望む。快晴ならばこの角度で富士山が望めた筈である。左岸は西河岸で、右奥に垣間見える橋は西橋である。水運から陸運に移行していく時代であるが、まだ運河が荷物の運...
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。A fer...
琵琶湖に浮かぶ丸子船(まるこぶね)を撮影したもの。歌川広重の浮世絵にも代表される、近江八景の1つ、矢橋帰帆(やばせのきはん)の情景をイメージして撮影されたものと思われる。矢橋帰帆は、東海道の近道として...
同じ写真が、明治33年(1900)年史伝編纂所発行の『日本之名勝』に「隅田川の舟遊」として、また明治44年(1911)小川一真(かずまさ)発行の『東京風景』に「舟遊び」として掲載されている。2種類の内...
8人の少女が小船に乗り、舟遊びをしている。背景に富士の絵を配したスタジオ撮影。船頭を含め9名が乗る船にしては、小さすぎる。Eight girls ride a small boat on a boat...
湖か広い川で1人の男性が竿で舟を操っている。舟には桶が1つ積まれ、草のようなものが入っており、その上に笠が置かれている。A man takes the helm of a boaton a lake ...
本コレクション中に同一写真があり、それには「View of Matsushima」とある。したがって本写真も松島風景と見て間違いない。舟は典型的な小型帆掛け舟であり、司馬江漢描く「品川富士遠望図」の舟...
六郷川の河口付近。アンダーウッド&アンダーウッド社が明治37年(1904)に売り出したステレオ写真。裏面に印刷された解説には、日本の画家が好んで描くような光景であること、対岸の川崎大師の縁日には臨時列...
片手に模型の小舟を持ち、もう片手には枝を持ってポーズをとっている若い女性。小舟は屋形船だろうか。着物の裾からのぞく赤い襦袢(じゅばん)にぽっくり下駄は印象的。手桶や植木鉢もセットされたスタジオで撮影さ...