英語で「フェリーボート」と説明されている。渡し船の様子である。船頭は竿で舟を操り、旅装束の客は上陸の用意をしている。川は狭いが、流れは急である。舟はロープで川の杭に繋がれているところから見ると演出写真であろう。The English caotion reads, "Ferry boat." In this scene of a ferry boat ride, the helmsman rows with a pole and the passengers wear traveling gear and prepare to land. The river is not very wide, but the flow is rapid. The boat connected to a pole in the river suggests that this is a dramatized photo
六郷川の河口付近。アンダーウッド&アンダーウッド社が明治37年(1904)に売り出したステレオ写真。裏面に印刷された解説には、日本の画家が好んで描くような光景であること、対岸の川崎大師の縁日には臨時列...
突堤のこちら側に中型の弁財船が停泊し、突堤向こうに三本マストの船がかすかに見える。手前の水面を土砂を積んだ平底船が横切っている。場所は特定できないが、のどかな港の風景である。A middle size...
多くの和船がつながれた波止場の風景であるが、煙突を持った蒸気船も見える。その蒸気船上では西洋人らしい人物が立ち働いている。横浜か神戸と思われるが、明治初期横浜の波止場と雰囲気が類似している。This ...
英語のタイトル通り、船上には、人、牛、荷物が見え、まさに「フェリーボート」である。場所は不明であるが、波の静かさから、かなり大きな川の河口か、湖沼の渡りであろう。As in the English t...
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。A fer...
長崎、稲佐の舟遊びを撮影したもの。着色され、同じ写真が内田九一アルバム(長崎大学附属図書館蔵)に収載されていることから、内田九一による撮影と思われる。内田は同アルバムに天皇随行の写真を掲載していること...
整理番号12-28と同じ。川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と...
向島竹屋の渡の渡場と思われる。同じ時川下から同じ人物で写した写真が残されている。その写真には上流に寺島の渡が望め、中央に立つ人の前から川面に下りる石段が写っている。ただしこの舟は渡し舟ではなく、舟遊び...
日本橋の橋の上より、船荷で賑う日本橋川の西を望む。快晴ならばこの角度で富士山が望めた筈である。左岸は西河岸で、右奥に垣間見える橋は西橋である。水運から陸運に移行していく時代であるが、まだ運河が荷物の運...
左右に生い茂った樹木のある小川を下る小舟。水の量は豊かである。二人の男がそれぞれ櫓と竿で舟を操っている。二人ともズボンをはき帽子をかぶっているので、明治中期以降の風景であろう。A boat goes ...
同じ写真が、明治33年(1900)年史伝編纂所発行の『日本之名勝』に「隅田川の舟遊」として、また明治44年(1911)小川一真(かずまさ)発行の『東京風景』に「舟遊び」として掲載されている。2種類の内...
撮影者未詳。‘FERRY BOAT AT ENOSHIMA'のタイトルがある。このタイトルから、本資料は片瀬と江ノ島を結ぶ渡し船の写真ととれるが、詳細は不明である。Photographer unkno...
川船は交通機関の一つであったが、この様な覆い屋がついた屋形船は、遊芸を楽しむ遊船として用いられた。屋根の上で三味線を弾いている姿があるが、これは屋形の中でこのような遊芸が行われるという説明の意味をこめ...
湖か広い川で1人の男性が竿で舟を操っている。舟には桶が1つ積まれ、草のようなものが入っており、その上に笠が置かれている。A man takes the helm of a boaton a lake ...
山谷堀が隅田川に流れ込む河口にあった有明楼(ゆうめいろう)前の今戸河岸で内田九一が撮影。浅瀬なので舟が浮いていない。それでブレずにシャープに撮れている。背景は向島で牛島神社や長命寺のある辺りである。こ...
六郷川の河口付近。アンダーウッド&アンダーウッド社が明治37年(1904)に売り出したステレオ写真。裏面に印刷された解説には、日本の画家が好んで描くような光景であること、対岸の川崎大師の縁日には臨時列...
突堤のこちら側に中型の弁財船が停泊し、突堤向こうに三本マストの船がかすかに見える。手前の水面を土砂を積んだ平底船が横切っている。場所は特定できないが、のどかな港の風景である。A middle size...
多くの和船がつながれた波止場の風景であるが、煙突を持った蒸気船も見える。その蒸気船上では西洋人らしい人物が立ち働いている。横浜か神戸と思われるが、明治初期横浜の波止場と雰囲気が類似している。This ...
英語のタイトル通り、船上には、人、牛、荷物が見え、まさに「フェリーボート」である。場所は不明であるが、波の静かさから、かなり大きな川の河口か、湖沼の渡りであろう。As in the English t...
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。A fer...
長崎、稲佐の舟遊びを撮影したもの。着色され、同じ写真が内田九一アルバム(長崎大学附属図書館蔵)に収載されていることから、内田九一による撮影と思われる。内田は同アルバムに天皇随行の写真を掲載していること...
整理番号12-28と同じ。川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と...
向島竹屋の渡の渡場と思われる。同じ時川下から同じ人物で写した写真が残されている。その写真には上流に寺島の渡が望め、中央に立つ人の前から川面に下りる石段が写っている。ただしこの舟は渡し舟ではなく、舟遊び...
日本橋の橋の上より、船荷で賑う日本橋川の西を望む。快晴ならばこの角度で富士山が望めた筈である。左岸は西河岸で、右奥に垣間見える橋は西橋である。水運から陸運に移行していく時代であるが、まだ運河が荷物の運...
左右に生い茂った樹木のある小川を下る小舟。水の量は豊かである。二人の男がそれぞれ櫓と竿で舟を操っている。二人ともズボンをはき帽子をかぶっているので、明治中期以降の風景であろう。A boat goes ...
同じ写真が、明治33年(1900)年史伝編纂所発行の『日本之名勝』に「隅田川の舟遊」として、また明治44年(1911)小川一真(かずまさ)発行の『東京風景』に「舟遊び」として掲載されている。2種類の内...
撮影者未詳。‘FERRY BOAT AT ENOSHIMA'のタイトルがある。このタイトルから、本資料は片瀬と江ノ島を結ぶ渡し船の写真ととれるが、詳細は不明である。Photographer unkno...
川船は交通機関の一つであったが、この様な覆い屋がついた屋形船は、遊芸を楽しむ遊船として用いられた。屋根の上で三味線を弾いている姿があるが、これは屋形の中でこのような遊芸が行われるという説明の意味をこめ...
湖か広い川で1人の男性が竿で舟を操っている。舟には桶が1つ積まれ、草のようなものが入っており、その上に笠が置かれている。A man takes the helm of a boaton a lake ...
山谷堀が隅田川に流れ込む河口にあった有明楼(ゆうめいろう)前の今戸河岸で内田九一が撮影。浅瀬なので舟が浮いていない。それでブレずにシャープに撮れている。背景は向島で牛島神社や長命寺のある辺りである。こ...
六郷川の河口付近。アンダーウッド&アンダーウッド社が明治37年(1904)に売り出したステレオ写真。裏面に印刷された解説には、日本の画家が好んで描くような光景であること、対岸の川崎大師の縁日には臨時列...
突堤のこちら側に中型の弁財船が停泊し、突堤向こうに三本マストの船がかすかに見える。手前の水面を土砂を積んだ平底船が横切っている。場所は特定できないが、のどかな港の風景である。A middle size...
多くの和船がつながれた波止場の風景であるが、煙突を持った蒸気船も見える。その蒸気船上では西洋人らしい人物が立ち働いている。横浜か神戸と思われるが、明治初期横浜の波止場と雰囲気が類似している。This ...