江戸期には本丸大手門が江戸城の正門だったが、明治になると西の丸大手門(左の門)が皇居の正門となった。手前の西の丸大手橋の袂に高麗門(こうらいもん)があるが、この門は明治21年(1888)、明治宮殿造営に際して撤去された。同年12月西の丸大手橋が石造りに改架される。明治初年の撮影。Honmaru (Dungeon) Otemon was the main gate of Edo Castle during the Edo Period, but Nishinomaru Otemon (the gate on the left) became the main gate of the Imperial Palace in the Meiji Period. Koraimon is visible at the edge of Nishinomaru Otemon in the foreground. However, the gate was removed during construction of Meiji Palace in 1888. In December of the same year, the bridge was rebuilt in stone. Taken in 1868
明治14年(1881)に建てられた新吉原の大門前から、吉原の中央を貫いていた通り仲之町に向かって撮影されたもの。門上にガス燈と思われるものが置かれ、門柱には福地桜痴の書が彫りつけられている。中央に配さ...
江戸城城門および見附のひとつ。寛永13年黒田氏が枡形を築き、同16年加藤・小川の両名が門を改修。「江戸名所」に「此御門は北斗の景勝とて、江戸御城の御構え多き中にも殊更すぐれたる縄張という」とある。『角...
西大谷・大谷本廟総門を清水東側より西北西に望む。総門は入母屋造の唐門で、檜皮葺である。背後には松の木がそびえる。右前に向かって延びる石畳は大谷本廟へと続く。F.ベアド撮影。Main gate of t...
西の丸下(現皇居外苑)から写した西の丸大手橋(手前)と西の丸下乗橋(奥の橋)。西の丸下乗橋は、堀が深いため上下二重に架けられた珍しい構造だった。それで二重橋という俗称が生まれた。左の門が西の丸大手門。...
江戸時代西の丸大手門だったが、明治21年(1888)の新宮殿造営に際し、翌明治22年(1889)に皇居正門に改められた。この写真では門の前にあった第1門である高麗門(こうらいもん)は撤去され、直接渡り...
京都市上京区京都御苑内の北側にある。現在の建物は、何度もの火災を経て、安政度の御造営の際に、寛政度の内裏を踏襲して造られたものである。龍泉庭から築地塀ごしに御常御殿の大棟を望む。御内庭は遣水形式で8つ...
外桜田門の西から麹町、半蔵門方面を望む。外桜田門から半蔵門にかけての皇居(旧江戸城)が内堀(桜田堀)に面する所は、「鉢巻土居」といって石垣が上部にしかなく、あとは緩やかな曲線を持つ土塁で覆われていた。...
皇居の蛤濠に沿って歩くと、右手に宮内庁の通用門である坂下門が見える。文久2年(1862)、老中の安藤対馬守信正はこの門外で水戸浪士に襲撃された。パラソルをさした和装の女性が数人見られる。Walking...
常盤橋の袂である本町河岸から南を写したもの。ここは水の十字路になっていて、左側は写されていないが一石橋(いっこくばし)があり、日本橋川となる水路を跨いでいる。右の堀の切れ目は道三堀で、龍ノ口(内堀で余...
京都御所御池庭と御常御殿を御池南側の中島に架かる欅橋より北に望む。右方には北側の中島に石橋が架かり、御常御殿前には松や樅が植えられる。御池庭は延宝年間(1673~81)に造られた回遊式の庭園で、御常御...
本丸と紅葉山の間に掘られた蓮池堀である。名称の如く蓮が多い。左側の石垣が高いので本丸御殿があった側であろう。とすれば、蓮池北の端にある紅葉山下門辺りから東南(蓮池門)の方を撮影した写真と思われる。日下...
吹上御苑の西側、半蔵門を入って直ぐの所に広がっていた竹林である。写真3937と同じ時(おそらく明治10年代)に撮られた写真であろう。竹の形が同じである。植木職人らしき人物2人は、3937に写る3人の中...
江戸城の坂下門が壕の向こう側の左手に見え、右手には本丸辰巳三重櫓が見える。この写真が撮られた翌年の明治3年に火薬庫の爆発によって正面に見える多門壕と三重櫓は消失した。The Sakashita Gat...
Photograph (detail) of a gate at Imperial Palace, Tokyo, JapanGate (detail), Imperial Palace, Tokyo,...
Photograph of a gate at Imperial Palace, Tokyo, JapanGate, Imperial Palace (Edo Castle), Tokyo, Japa...
明治14年(1881)に建てられた新吉原の大門前から、吉原の中央を貫いていた通り仲之町に向かって撮影されたもの。門上にガス燈と思われるものが置かれ、門柱には福地桜痴の書が彫りつけられている。中央に配さ...
江戸城城門および見附のひとつ。寛永13年黒田氏が枡形を築き、同16年加藤・小川の両名が門を改修。「江戸名所」に「此御門は北斗の景勝とて、江戸御城の御構え多き中にも殊更すぐれたる縄張という」とある。『角...
西大谷・大谷本廟総門を清水東側より西北西に望む。総門は入母屋造の唐門で、檜皮葺である。背後には松の木がそびえる。右前に向かって延びる石畳は大谷本廟へと続く。F.ベアド撮影。Main gate of t...
西の丸下(現皇居外苑)から写した西の丸大手橋(手前)と西の丸下乗橋(奥の橋)。西の丸下乗橋は、堀が深いため上下二重に架けられた珍しい構造だった。それで二重橋という俗称が生まれた。左の門が西の丸大手門。...
江戸時代西の丸大手門だったが、明治21年(1888)の新宮殿造営に際し、翌明治22年(1889)に皇居正門に改められた。この写真では門の前にあった第1門である高麗門(こうらいもん)は撤去され、直接渡り...
京都市上京区京都御苑内の北側にある。現在の建物は、何度もの火災を経て、安政度の御造営の際に、寛政度の内裏を踏襲して造られたものである。龍泉庭から築地塀ごしに御常御殿の大棟を望む。御内庭は遣水形式で8つ...
外桜田門の西から麹町、半蔵門方面を望む。外桜田門から半蔵門にかけての皇居(旧江戸城)が内堀(桜田堀)に面する所は、「鉢巻土居」といって石垣が上部にしかなく、あとは緩やかな曲線を持つ土塁で覆われていた。...
皇居の蛤濠に沿って歩くと、右手に宮内庁の通用門である坂下門が見える。文久2年(1862)、老中の安藤対馬守信正はこの門外で水戸浪士に襲撃された。パラソルをさした和装の女性が数人見られる。Walking...
常盤橋の袂である本町河岸から南を写したもの。ここは水の十字路になっていて、左側は写されていないが一石橋(いっこくばし)があり、日本橋川となる水路を跨いでいる。右の堀の切れ目は道三堀で、龍ノ口(内堀で余...
京都御所御池庭と御常御殿を御池南側の中島に架かる欅橋より北に望む。右方には北側の中島に石橋が架かり、御常御殿前には松や樅が植えられる。御池庭は延宝年間(1673~81)に造られた回遊式の庭園で、御常御...
本丸と紅葉山の間に掘られた蓮池堀である。名称の如く蓮が多い。左側の石垣が高いので本丸御殿があった側であろう。とすれば、蓮池北の端にある紅葉山下門辺りから東南(蓮池門)の方を撮影した写真と思われる。日下...
吹上御苑の西側、半蔵門を入って直ぐの所に広がっていた竹林である。写真3937と同じ時(おそらく明治10年代)に撮られた写真であろう。竹の形が同じである。植木職人らしき人物2人は、3937に写る3人の中...
江戸城の坂下門が壕の向こう側の左手に見え、右手には本丸辰巳三重櫓が見える。この写真が撮られた翌年の明治3年に火薬庫の爆発によって正面に見える多門壕と三重櫓は消失した。The Sakashita Gat...
Photograph (detail) of a gate at Imperial Palace, Tokyo, JapanGate (detail), Imperial Palace, Tokyo,...
Photograph of a gate at Imperial Palace, Tokyo, JapanGate, Imperial Palace (Edo Castle), Tokyo, Japa...
明治14年(1881)に建てられた新吉原の大門前から、吉原の中央を貫いていた通り仲之町に向かって撮影されたもの。門上にガス燈と思われるものが置かれ、門柱には福地桜痴の書が彫りつけられている。中央に配さ...
江戸城城門および見附のひとつ。寛永13年黒田氏が枡形を築き、同16年加藤・小川の両名が門を改修。「江戸名所」に「此御門は北斗の景勝とて、江戸御城の御構え多き中にも殊更すぐれたる縄張という」とある。『角...
西大谷・大谷本廟総門を清水東側より西北西に望む。総門は入母屋造の唐門で、檜皮葺である。背後には松の木がそびえる。右前に向かって延びる石畳は大谷本廟へと続く。F.ベアド撮影。Main gate of t...