山手から見た外国人居留地である。堀川を挟んで、完成近い横浜居留地と元町が撮影されている。F.ベアトの撮影。The foreign settlement seen from the Bluff. The nearly completed Yokohama settlement and Motomachi are photographed across the Hori River. Photo by F. Beato
南山手から大浦海岸通りと東山手洋館群を望む。右前方の丘には活水学院(ラッセル館)、長崎港の奥に出島の一部が見える。明治10年代末。This is a view from Minamiyamate lo...
整然とした町並。ベアトの写した山手から見た横浜居留地の写真(「幕末日本の風景と人々」写真4-5-6)の整然とした町並から見て、本写真もおそらく横浜居留地の一角を写したものであろう。The well a...
左端は山下居留地69番館。その奥に旧ヘボン邸。煙突をもった建物がグランド・ホテル旧館。谷戸橋(明治20年に鉄橋化)を挟んで山手側には、サルダ(P.Sarda)設計のフランス領事館の付属施設が見えている...
元町百段上は、幕末から明治初期には横浜居留地のパノラマ写真が撮影された。手前は元町で、堀川を挟んで向こうに外国人居留地が見える。A panorama photo of the Hyakudanue i...
前景はフランスキャンプの一部で、遠景は横浜居留地である。フランス軍は谷戸橋付近、イギリス軍は谷戸坂上に、明治8年(1875)まで駐留した。F.ベアトの撮影。The view in front is a...
横浜・貝殻坂からの眺め。山手へ上る坂道である。手前が元町、向こうが外国人居留地である。手前は、日本人の墓地である。F.ベアトの撮影。The view from Kaigarazaka in Yokoh...
山手谷戸坂途中から関内居留地を見た写真である。外国人居留地の大規模な近代建築と、元町の日本住宅の比較ができる。写真中央は、横浜港である。The Kannai settlement seen from ...
居留地より堀川越しに、元町増徳院方面を見たもの。運河の向こうに谷戸橋が見える。堀川沿いの居留地の街路と元町増徳院付近が撮影されている。The direction of Zotokuin of Moto...
居留地109番付近より元町を見る。手前を流れる堀川は、万延元年(1860)居留地と元町の境に開削され、明治初年(1868)、ブラントン(R.H.Brunton)の設計により、拡幅工事と護岸整備が行なわ...
元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。横浜居留地東端橋から堀川(運河)上流を望む。左の家並みは元(本)村、橋は谷戸橋、前田橋。西ノ橋もかすかに見えている。右手奥に見えるのはキャメロン&クックの小造...
ベアトによる1865年10月の書き込み。横浜の山手から居留地の裏の吉田新田を望む。左の丘には外国人と編み笠および半裸の日本人がみえる。橋は西ノ橋、中央の家並みは元町になる。Written "Octob...
手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。The build...
海岸通り東端に架けられた谷戸橋は、明治20(1887)年鉄橋に架け替えられた。右端はグランドホテル、その左手の三角屋根は旧ヘボン邸である。Yatobashi spanning the south ed...
山裾は野毛町、長屋造りの大きな建物は神奈川奉行所の役宅(官舎)である。対岸の町並は太田屋新田の堤の上にできた入船町、左手の弁天の森にも役宅がある。その右手に横浜町の町並が広がっている。The town...
南山手から大浦海岸通りと東山手洋館群を望む。右前方の丘には活水学院(ラッセル館)、長崎港の奥に出島の一部が見える。明治10年代末。This is a view from Minamiyamate lo...
整然とした町並。ベアトの写した山手から見た横浜居留地の写真(「幕末日本の風景と人々」写真4-5-6)の整然とした町並から見て、本写真もおそらく横浜居留地の一角を写したものであろう。The well a...
左端は山下居留地69番館。その奥に旧ヘボン邸。煙突をもった建物がグランド・ホテル旧館。谷戸橋(明治20年に鉄橋化)を挟んで山手側には、サルダ(P.Sarda)設計のフランス領事館の付属施設が見えている...
元町百段上は、幕末から明治初期には横浜居留地のパノラマ写真が撮影された。手前は元町で、堀川を挟んで向こうに外国人居留地が見える。A panorama photo of the Hyakudanue i...
前景はフランスキャンプの一部で、遠景は横浜居留地である。フランス軍は谷戸橋付近、イギリス軍は谷戸坂上に、明治8年(1875)まで駐留した。F.ベアトの撮影。The view in front is a...
横浜・貝殻坂からの眺め。山手へ上る坂道である。手前が元町、向こうが外国人居留地である。手前は、日本人の墓地である。F.ベアトの撮影。The view from Kaigarazaka in Yokoh...
山手谷戸坂途中から関内居留地を見た写真である。外国人居留地の大規模な近代建築と、元町の日本住宅の比較ができる。写真中央は、横浜港である。The Kannai settlement seen from ...
居留地より堀川越しに、元町増徳院方面を見たもの。運河の向こうに谷戸橋が見える。堀川沿いの居留地の街路と元町増徳院付近が撮影されている。The direction of Zotokuin of Moto...
居留地109番付近より元町を見る。手前を流れる堀川は、万延元年(1860)居留地と元町の境に開削され、明治初年(1868)、ブラントン(R.H.Brunton)の設計により、拡幅工事と護岸整備が行なわ...
元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。横浜居留地東端橋から堀川(運河)上流を望む。左の家並みは元(本)村、橋は谷戸橋、前田橋。西ノ橋もかすかに見えている。右手奥に見えるのはキャメロン&クックの小造...
ベアトによる1865年10月の書き込み。横浜の山手から居留地の裏の吉田新田を望む。左の丘には外国人と編み笠および半裸の日本人がみえる。橋は西ノ橋、中央の家並みは元町になる。Written "Octob...
手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。The build...
海岸通り東端に架けられた谷戸橋は、明治20(1887)年鉄橋に架け替えられた。右端はグランドホテル、その左手の三角屋根は旧ヘボン邸である。Yatobashi spanning the south ed...
山裾は野毛町、長屋造りの大きな建物は神奈川奉行所の役宅(官舎)である。対岸の町並は太田屋新田の堤の上にできた入船町、左手の弁天の森にも役宅がある。その右手に横浜町の町並が広がっている。The town...
南山手から大浦海岸通りと東山手洋館群を望む。右前方の丘には活水学院(ラッセル館)、長崎港の奥に出島の一部が見える。明治10年代末。This is a view from Minamiyamate lo...
整然とした町並。ベアトの写した山手から見た横浜居留地の写真(「幕末日本の風景と人々」写真4-5-6)の整然とした町並から見て、本写真もおそらく横浜居留地の一角を写したものであろう。The well a...
左端は山下居留地69番館。その奥に旧ヘボン邸。煙突をもった建物がグランド・ホテル旧館。谷戸橋(明治20年に鉄橋化)を挟んで山手側には、サルダ(P.Sarda)設計のフランス領事館の付属施設が見えている...