南山手から大浦海岸通りと東山手洋館群を望む。右前方の丘には活水学院(ラッセル館)、長崎港の奥に出島の一部が見える。明治10年代末。This is a view from Minamiyamate looking over the Oura waterfront toward the Western-style buildings of Higashiyamate. Kwassui Gakuin (Russell Hall) is seen on the hill in the right foreground, while part of Dejima Island is visible in the far corner of Nagasaki Harbour. The date is around 1885
風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の...
手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。The build...
対岸には長崎の町並みが見える。民家を背景に3人の人物が座っている屋形船を写している。撮影者は上野彦馬。ベアトも1864年におなじアングルの写真を残している。The city of Nagasaki c...
南山手のグラバー園下から大浦外国人居留地ごしに出島を遠望。右手前はベルビューホテル。現在の東急ホテルの位置にあたる。東山手の丘には明治15年に建設されるラッセル館がまだ建っていない。整理番号28-25...
南山手のグラバー園下から大浦外国人居留地ごしに出島を遠望。出島の倉庫が見える。右手前はベルビュウーホテルで現在の東急ホテルの位置にあたる。東山手の丘には明治15年に建設されるラッセル館がまだ建っていな...
撮影者は不詳であるが、埋立地の様子(左手の第2期埋立地が造成されたばかりである)から撮影時期は文久2(1862)年であり、このアングルでは長崎大学が所蔵する最古の写真である。手前のベルビュー・ホテルが...
ベアト撮影。「ヨーロッパ人の居留地の一部と長崎の市街、65年6月」と記されている。慶応年間の長崎大浦の海岸通り、と東山手の洋館群が詳細にうかがえる。右の丘の上にはまだ建物がみられない。Taken by...
元町百段上より関内居留地を見たものである。元町百段上は幕末からしばしばパノラマ写真が撮影されている。The Kannai settlement from Motomachi Hyakudanue. M...
東山手から大浦居留地越しに長崎港を見たもの。海岸線が大浦居留地で、整然と大規模な洋風建築が並んでいる。大浦居留地の裏側は、様々な形の家が混在し、ホテル、クリーニング店、製茶工場が営まれていた状況が見え...
1871年8月16日付けの"The Far East"に掲載された。出島のオランダ領事館から大浦居留地を望んだ写真。出島前面は中島川が運ぶ土砂で潟の状態になっていることがわかる。This photo ...
元町百段上は、幕末から明治初期には横浜居留地のパノラマ写真が撮影された。手前は元町で、堀川を挟んで向こうに外国人居留地が見える。A panorama photo of the Hyakudanue i...
南山手外国人居留地の南の端付近から長崎市街地方向を望む。写真右の建物は、明治20年(1887) 7月、尋常小曾根小学校を改称した尋常鎮鼎小学校。学校の裏手から山麓一帯が南山手外国人居留地。左側の町並み...
山手から見た外国人居留地である。堀川を挟んで、完成近い横浜居留地と元町が撮影されている。F.ベアトの撮影。The foreign settlement seen from the Bluff. The...
山手谷戸坂途中から関内居留地を見た写真である。外国人居留地の大規模な近代建築と、元町の日本住宅の比較ができる。写真中央は、横浜港である。The Kannai settlement seen from ...
明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。東山手居留地南端の高台から、大浦川右岸の大浦居留地と左岸の下がり松居留地を見たもの。下がり松地区には洋館が整然並び、上流には日本家屋が入り込ん...
風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の...
手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。The build...
対岸には長崎の町並みが見える。民家を背景に3人の人物が座っている屋形船を写している。撮影者は上野彦馬。ベアトも1864年におなじアングルの写真を残している。The city of Nagasaki c...
南山手のグラバー園下から大浦外国人居留地ごしに出島を遠望。右手前はベルビューホテル。現在の東急ホテルの位置にあたる。東山手の丘には明治15年に建設されるラッセル館がまだ建っていない。整理番号28-25...
南山手のグラバー園下から大浦外国人居留地ごしに出島を遠望。出島の倉庫が見える。右手前はベルビュウーホテルで現在の東急ホテルの位置にあたる。東山手の丘には明治15年に建設されるラッセル館がまだ建っていな...
撮影者は不詳であるが、埋立地の様子(左手の第2期埋立地が造成されたばかりである)から撮影時期は文久2(1862)年であり、このアングルでは長崎大学が所蔵する最古の写真である。手前のベルビュー・ホテルが...
ベアト撮影。「ヨーロッパ人の居留地の一部と長崎の市街、65年6月」と記されている。慶応年間の長崎大浦の海岸通り、と東山手の洋館群が詳細にうかがえる。右の丘の上にはまだ建物がみられない。Taken by...
元町百段上より関内居留地を見たものである。元町百段上は幕末からしばしばパノラマ写真が撮影されている。The Kannai settlement from Motomachi Hyakudanue. M...
東山手から大浦居留地越しに長崎港を見たもの。海岸線が大浦居留地で、整然と大規模な洋風建築が並んでいる。大浦居留地の裏側は、様々な形の家が混在し、ホテル、クリーニング店、製茶工場が営まれていた状況が見え...
1871年8月16日付けの"The Far East"に掲載された。出島のオランダ領事館から大浦居留地を望んだ写真。出島前面は中島川が運ぶ土砂で潟の状態になっていることがわかる。This photo ...
元町百段上は、幕末から明治初期には横浜居留地のパノラマ写真が撮影された。手前は元町で、堀川を挟んで向こうに外国人居留地が見える。A panorama photo of the Hyakudanue i...
南山手外国人居留地の南の端付近から長崎市街地方向を望む。写真右の建物は、明治20年(1887) 7月、尋常小曾根小学校を改称した尋常鎮鼎小学校。学校の裏手から山麓一帯が南山手外国人居留地。左側の町並み...
山手から見た外国人居留地である。堀川を挟んで、完成近い横浜居留地と元町が撮影されている。F.ベアトの撮影。The foreign settlement seen from the Bluff. The...
山手谷戸坂途中から関内居留地を見た写真である。外国人居留地の大規模な近代建築と、元町の日本住宅の比較ができる。写真中央は、横浜港である。The Kannai settlement seen from ...
明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。東山手居留地南端の高台から、大浦川右岸の大浦居留地と左岸の下がり松居留地を見たもの。下がり松地区には洋館が整然並び、上流には日本家屋が入り込ん...
風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の...
手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。The build...
対岸には長崎の町並みが見える。民家を背景に3人の人物が座っている屋形船を写している。撮影者は上野彦馬。ベアトも1864年におなじアングルの写真を残している。The city of Nagasaki c...