東山手から大浦居留地越しに長崎港を見たもの。海岸線が大浦居留地で、整然と大規模な洋風建築が並んでいる。大浦居留地の裏側は、様々な形の家が混在し、ホテル、クリーニング店、製茶工場が営まれていた状況が見える。明治20年頃の写真。Nagasaki Harbour and the Oura foreign settlement seen from Higashiyamate. The large Western-style buildings line the Bund, while buildings of various shapes stand in the rear quarter, including hotels, cleaning shops and tea factories. Taken around 1887
1871年8月16日付けの"The Far East"に掲載された。出島のオランダ領事館から大浦居留地を望んだ写真。出島前面は中島川が運ぶ土砂で潟の状態になっていることがわかる。This photo ...
山手から見た外国人居留地である。堀川を挟んで、完成近い横浜居留地と元町が撮影されている。F.ベアトの撮影。The foreign settlement seen from the Bluff. The...
写真台紙に消えかかったインクによる4行の英文書き込みがあるが、判読し難い。わずかに判読し得る部分から推測すると、2人の男女はワシントンD.C.の英国大使館付海軍アタッシェ夫妻であるらしい。There ...
南山手のグラバー園下から大浦外国人居留地ごしに出島を遠望。右手前はベルビューホテル。現在の東急ホテルの位置にあたる。東山手の丘には明治15年に建設されるラッセル館がまだ建っていない。整理番号28-25...
手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。The build...
ベアト撮影。「ヨーロッパ人の居留地の一部と長崎の市街、65年6月」と記されている。慶応年間の長崎大浦の海岸通り、と東山手の洋館群が詳細にうかがえる。右の丘の上にはまだ建物がみられない。Taken by...
海上から見た大浦海岸の洋館群。松ヶ枝橋の左横はドイツ領事館。背後の東山手には12番館、上方には明治31年(1898) 9月に建てられた海星学校の2階建て新校舎が見える。大正初期の風景。This is ...
南山手のグラバー園下から大浦外国人居留地ごしに出島を遠望。出島の倉庫が見える。右手前はベルビュウーホテルで現在の東急ホテルの位置にあたる。東山手の丘には明治15年に建設されるラッセル館がまだ建っていな...
梅香崎の丘の上から出島を望む。手前の建物は左から明治17年(1884)新築の赤レンガの長崎郵便局、大北電信社(梅香崎2番)、後の日本郵船、横浜正金銀行長崎支店である。中島川の変流工事は終了している。中...
整然とした町並。ベアトの写した山手から見た横浜居留地の写真(「幕末日本の風景と人々」写真4-5-6)の整然とした町並から見て、本写真もおそらく横浜居留地の一角を写したものであろう。The well a...
明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。東山手居留地南端の高台から、大浦川右岸の大浦居留地と左岸の下がり松居留地を見たもの。下がり松地区には洋館が整然並び、上流には日本家屋が入り込ん...
元町百段上からの風景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。目立つ建物としては、右端に増徳院の薬師堂、その左遠方に見える2階建ての大きな洋館がグランド・ホテル新館。撮影時期は明治30年(189...
山手谷戸坂途中から関内居留地を見た写真である。外国人居留地の大規模な近代建築と、元町の日本住宅の比較ができる。写真中央は、横浜港である。The Kannai settlement seen from ...
元町百段上は、幕末から明治初期には横浜居留地のパノラマ写真が撮影された。手前は元町で、堀川を挟んで向こうに外国人居留地が見える。A panorama photo of the Hyakudanue i...
遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたも...
1871年8月16日付けの"The Far East"に掲載された。出島のオランダ領事館から大浦居留地を望んだ写真。出島前面は中島川が運ぶ土砂で潟の状態になっていることがわかる。This photo ...
山手から見た外国人居留地である。堀川を挟んで、完成近い横浜居留地と元町が撮影されている。F.ベアトの撮影。The foreign settlement seen from the Bluff. The...
写真台紙に消えかかったインクによる4行の英文書き込みがあるが、判読し難い。わずかに判読し得る部分から推測すると、2人の男女はワシントンD.C.の英国大使館付海軍アタッシェ夫妻であるらしい。There ...
南山手のグラバー園下から大浦外国人居留地ごしに出島を遠望。右手前はベルビューホテル。現在の東急ホテルの位置にあたる。東山手の丘には明治15年に建設されるラッセル館がまだ建っていない。整理番号28-25...
手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。The build...
ベアト撮影。「ヨーロッパ人の居留地の一部と長崎の市街、65年6月」と記されている。慶応年間の長崎大浦の海岸通り、と東山手の洋館群が詳細にうかがえる。右の丘の上にはまだ建物がみられない。Taken by...
海上から見た大浦海岸の洋館群。松ヶ枝橋の左横はドイツ領事館。背後の東山手には12番館、上方には明治31年(1898) 9月に建てられた海星学校の2階建て新校舎が見える。大正初期の風景。This is ...
南山手のグラバー園下から大浦外国人居留地ごしに出島を遠望。出島の倉庫が見える。右手前はベルビュウーホテルで現在の東急ホテルの位置にあたる。東山手の丘には明治15年に建設されるラッセル館がまだ建っていな...
梅香崎の丘の上から出島を望む。手前の建物は左から明治17年(1884)新築の赤レンガの長崎郵便局、大北電信社(梅香崎2番)、後の日本郵船、横浜正金銀行長崎支店である。中島川の変流工事は終了している。中...
整然とした町並。ベアトの写した山手から見た横浜居留地の写真(「幕末日本の風景と人々」写真4-5-6)の整然とした町並から見て、本写真もおそらく横浜居留地の一角を写したものであろう。The well a...
明治後期から大正期(1890~1920)の手彩色の絵葉書。東山手居留地南端の高台から、大浦川右岸の大浦居留地と左岸の下がり松居留地を見たもの。下がり松地区には洋館が整然並び、上流には日本家屋が入り込ん...
元町百段上からの風景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。目立つ建物としては、右端に増徳院の薬師堂、その左遠方に見える2階建ての大きな洋館がグランド・ホテル新館。撮影時期は明治30年(189...
山手谷戸坂途中から関内居留地を見た写真である。外国人居留地の大規模な近代建築と、元町の日本住宅の比較ができる。写真中央は、横浜港である。The Kannai settlement seen from ...
元町百段上は、幕末から明治初期には横浜居留地のパノラマ写真が撮影された。手前は元町で、堀川を挟んで向こうに外国人居留地が見える。A panorama photo of the Hyakudanue i...
遠方にバンドと山手の丘を望む。中央やや右に見える大きな洋館2棟は、バンド東端に位置するグランド・ホテルの旧館(左)と新館(右)。堀川を越えてその左手にはイギリス海軍の物置所。右端はフランス波止場のたも...
1871年8月16日付けの"The Far East"に掲載された。出島のオランダ領事館から大浦居留地を望んだ写真。出島前面は中島川が運ぶ土砂で潟の状態になっていることがわかる。This photo ...
山手から見た外国人居留地である。堀川を挟んで、完成近い横浜居留地と元町が撮影されている。F.ベアトの撮影。The foreign settlement seen from the Bluff. The...
写真台紙に消えかかったインクによる4行の英文書き込みがあるが、判読し難い。わずかに判読し得る部分から推測すると、2人の男女はワシントンD.C.の英国大使館付海軍アタッシェ夫妻であるらしい。There ...