山裾は野毛町、長屋造りの大きな建物は神奈川奉行所の役宅(官舎)である。対岸の町並は太田屋新田の堤の上にできた入船町、左手の弁天の森にも役宅がある。その右手に横浜町の町並が広がっている。The town in the foreground is Noge-machi. The houses in rows are official residences of the Kanagawa magistrate's office. The town on the other side of the water is Irifune-machi, built on the embankment of Otaya Shinden. There are official residences in Benten-no-mori as well. The town of Yokohama stretches to the right
地点は定かでないが、富士山の大きさや山容、その他の地形から見て、富士川の流域のように見える。The location of this photograph is unclear, but the si...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
内田九一撮影。明治5年天皇の西国巡行の折撮影された薩摩の台場と桜島の遠景。滑川河口付近より船形台場(新波戸砲台)を望む。手前は天皇に拝謁するための琉球の豊見城親方、池城親方、安室親方の乗船か。This...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。Iseyama Kot...
元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は...
ベアト撮影。「陽の当たる丘からの横浜の景色」とキャプションに書かれている。これは山手からみた元町と外国人居留地と思われる。谷間には墓石が並んだ墓地が見える。Taken by Beato. The ca...
上野彦馬の撮影による風頭山から望む長崎市街と長崎港。出島の横には中島川口に架けられていた大橋を見ることができる。当時、新地浦にはまだ海水が流入していた。出島側には西役所の遺構が見られ、旧県庁舎はまだ建...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。写真は現在の紅葉坂。P...
風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の...
地蔵坂上からの眺望。キャプションに「根岸湾へ抜ける古道」とある。F.ベアトの撮影。The view from Jizozaka. Caption reads "An old road leading ...
右手に見える出島の右側に明治元年に架けられる大橋が写っていないことから、撮影時期は慶応年間。海上には多数の船舶が浮かび、長崎港の賑わい振りがうかがえる。The photo can be dated d...
左手に市谷御門の桝形があり、その前に架かっていた土橋である。中央より左手の丘陵上は尾張徳川家上屋敷。明治初年に取壊され、跡地には明治11年(1878)陸軍士官学校が建つ(現在は防衛庁)。丘陵右端には市...
ベアトによる1865年10月の書き込み。横浜の山手から居留地の裏の吉田新田を望む。左の丘には外国人と編み笠および半裸の日本人がみえる。橋は西ノ橋、中央の家並みは元町になる。Written "Octob...
明治4年(1871)に建設された初代横浜駅。アメリカ人建築家ブリジェンス(R.P.Bridgens)の設計による木骨石造建築。現在の桜木町駅。右手は本町通りに続く弁天橋。明治4年(1871)に工部省鉄...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
地点は定かでないが、富士山の大きさや山容、その他の地形から見て、富士川の流域のように見える。The location of this photograph is unclear, but the si...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
内田九一撮影。明治5年天皇の西国巡行の折撮影された薩摩の台場と桜島の遠景。滑川河口付近より船形台場(新波戸砲台)を望む。手前は天皇に拝謁するための琉球の豊見城親方、池城親方、安室親方の乗船か。This...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。Iseyama Kot...
元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は...
ベアト撮影。「陽の当たる丘からの横浜の景色」とキャプションに書かれている。これは山手からみた元町と外国人居留地と思われる。谷間には墓石が並んだ墓地が見える。Taken by Beato. The ca...
上野彦馬の撮影による風頭山から望む長崎市街と長崎港。出島の横には中島川口に架けられていた大橋を見ることができる。当時、新地浦にはまだ海水が流入していた。出島側には西役所の遺構が見られ、旧県庁舎はまだ建...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。写真は現在の紅葉坂。P...
風頭山から飽の浦と長崎港を眺望する。左端の樹木の繁る丘は東山手、中央より右寄りに出島。中島川の河口には、明治2年(1869)に架けられた新大橋が見える。漆喰で塗られた瓦屋根が目立つ明治10年代の長崎の...
地蔵坂上からの眺望。キャプションに「根岸湾へ抜ける古道」とある。F.ベアトの撮影。The view from Jizozaka. Caption reads "An old road leading ...
右手に見える出島の右側に明治元年に架けられる大橋が写っていないことから、撮影時期は慶応年間。海上には多数の船舶が浮かび、長崎港の賑わい振りがうかがえる。The photo can be dated d...
左手に市谷御門の桝形があり、その前に架かっていた土橋である。中央より左手の丘陵上は尾張徳川家上屋敷。明治初年に取壊され、跡地には明治11年(1878)陸軍士官学校が建つ(現在は防衛庁)。丘陵右端には市...
ベアトによる1865年10月の書き込み。横浜の山手から居留地の裏の吉田新田を望む。左の丘には外国人と編み笠および半裸の日本人がみえる。橋は西ノ橋、中央の家並みは元町になる。Written "Octob...
明治4年(1871)に建設された初代横浜駅。アメリカ人建築家ブリジェンス(R.P.Bridgens)の設計による木骨石造建築。現在の桜木町駅。右手は本町通りに続く弁天橋。明治4年(1871)に工部省鉄...
明治中期の長崎港を立山の中腹から望んでいる。右手に台場、海岸線の蔵屋敷や出島、県庁舎、大村屋敷などが写されている。海上には多くの船舶が停泊し長崎港の殷賑を伝えているが、画質が悪くいずれも不鮮明である。...
地点は定かでないが、富士山の大きさや山容、その他の地形から見て、富士川の流域のように見える。The location of this photograph is unclear, but the si...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
内田九一撮影。明治5年天皇の西国巡行の折撮影された薩摩の台場と桜島の遠景。滑川河口付近より船形台場(新波戸砲台)を望む。手前は天皇に拝謁するための琉球の豊見城親方、池城親方、安室親方の乗船か。This...