何とも見苦しい建物であるが領事法廷の建物である以上四角四面なのももっともなことだと思う。The Far East 明治4年(1871)4月14日号。「復刻版The Far East」より引用。This is the rather pitiful building of the Consulate Court,the square shape of which is perhaps understandy. From The Far East April 14, 1871 edition, in the republished edition
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。左手遠方には「岩亀楼内」の文字が読みとれる。横浜外国人居留地背後の太田屋新田沼地を埋め立てた太田町の裏町であろう。1866年の大火で消失、翌年遊郭は奥の吉田新...
明治4年(1871)に建設された初代横浜駅。アメリカ人建築家ブリジェンス(R.P.Bridgens)の設計による。右手の大江橋が鉄橋化しており、同18年(1885)以降の撮影とわかる。駅舎は大正4年(...
バンド(Bund)全景。イギリス波止場からの撮影。海岸通は明治18年(1885)に松並木が植えられ、プロムナードとしての景観が整えられた。植樹時期より撮影は明治20年代か。左端に見えるのがフランス波止...
明治18年(1885)新築移転した横浜税関新庁舎。旧庁舎は県庁舎として引き続き使用された。左右対称の外観をもち中央に塔を建てる典型的な明治の官庁建築。日本大通りのアイストップとして、関東大震災で倒壊す...
元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は...
右手の煙突をもつ建物(184番)はオランダ人ストルネブリンク(L. Stornebrink)の経営する機械製氷工場、横浜アイス・ワークス。明治12年(1879)創業のジャパン・アイス・カンパニーに起源...
手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。The build...
高島町遊郭の神風楼。「ネキタリン・ナンバー・ナイン」と呼ばれ、世界的に知られた。港崎郭にあった初代の伊勢楼から数えて三度の移転を経るが、写真は高島町2丁目にあった頃の三代目。明治4年(1871)から同...
横浜郵便電信局である。明治22年(1889)左立七次郎設計、煉瓦造である。奥の時計塔は横浜町会所(ブリジェンス設計、明治7年(1874))である。The postal and telecommunic...
横浜税関庁舎の楼上から眺めた大桟橋全景。桟橋のたもとから左手に湾曲して伸びる石積みの岸壁は「象の鼻」で、開港当初のイギリス波止場の突堤の一つ。その内側では、船舶の荷役をおこなう艀(はしけ)が溜まってい...
元町百段上からの風景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。目立つ建物としては、右端に増徳院の薬師堂、その左遠方に見える2階建ての大きな洋館がグランド・ホテル新館。撮影時期は明治30年(189...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。横浜居留地東端橋から堀川(運河)上流を望む。左の家並みは元(本)村、橋は谷戸橋、前田橋。西ノ橋もかすかに見えている。右手奥に見えるのはキャメロン&クックの小造...
明治23(1890)年9月、梅香崎に完成した旧長崎税関の新庁舎。明治32(1899)年に管轄区域に周防・長門が加わった。大正12(1923)年に日華連絡線として長崎丸と上海丸が就航し、大陸との交通が増...
英語で「横浜、メインストリート」と記入されている。本町通りには各国領事館、県庁、市役所、郵便電信局、生糸検査所、裁判所が軒を並べていた。写真の時計台はブリジェンスが明治7年に設計した横浜町会所である。...
52・72番付近を西から見る 右手はクック夫妻の文具・服飾品店(72番)。その向こうは雑貨・食料品商のラングフェルト&メイヤーズ(Langfeldt & Mayers,73番)。左手はホテル&レストラ...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。左手遠方には「岩亀楼内」の文字が読みとれる。横浜外国人居留地背後の太田屋新田沼地を埋め立てた太田町の裏町であろう。1866年の大火で消失、翌年遊郭は奥の吉田新...
明治4年(1871)に建設された初代横浜駅。アメリカ人建築家ブリジェンス(R.P.Bridgens)の設計による。右手の大江橋が鉄橋化しており、同18年(1885)以降の撮影とわかる。駅舎は大正4年(...
バンド(Bund)全景。イギリス波止場からの撮影。海岸通は明治18年(1885)に松並木が植えられ、プロムナードとしての景観が整えられた。植樹時期より撮影は明治20年代か。左端に見えるのがフランス波止...
明治18年(1885)新築移転した横浜税関新庁舎。旧庁舎は県庁舎として引き続き使用された。左右対称の外観をもち中央に塔を建てる典型的な明治の官庁建築。日本大通りのアイストップとして、関東大震災で倒壊す...
元町百段上から山下居留地をみる。堀川より手前の家並みは元町。突きあたり(画面右端)に増徳院が見える。沖の白灯台は明治20年代の横浜築港工事で建設されたもの。明治29年(1896)に竣工しており、撮影は...
右手の煙突をもつ建物(184番)はオランダ人ストルネブリンク(L. Stornebrink)の経営する機械製氷工場、横浜アイス・ワークス。明治12年(1879)創業のジャパン・アイス・カンパニーに起源...
手前を走る谷戸坂の左手、煙突をもつ建物は横浜アイス・ワークス。堀川を隔てて向こうが山下居留地で、画面中央の大きな和風屋根が載る建物が旧ヘボン邸。右奥にはグランド・ホテル旧館が見える。The build...
高島町遊郭の神風楼。「ネキタリン・ナンバー・ナイン」と呼ばれ、世界的に知られた。港崎郭にあった初代の伊勢楼から数えて三度の移転を経るが、写真は高島町2丁目にあった頃の三代目。明治4年(1871)から同...
横浜郵便電信局である。明治22年(1889)左立七次郎設計、煉瓦造である。奥の時計塔は横浜町会所(ブリジェンス設計、明治7年(1874))である。The postal and telecommunic...
横浜税関庁舎の楼上から眺めた大桟橋全景。桟橋のたもとから左手に湾曲して伸びる石積みの岸壁は「象の鼻」で、開港当初のイギリス波止場の突堤の一つ。その内側では、船舶の荷役をおこなう艀(はしけ)が溜まってい...
元町百段上からの風景。手前は元町の家並み、堀川の向こうが山下居留地。目立つ建物としては、右端に増徳院の薬師堂、その左遠方に見える2階建ての大きな洋館がグランド・ホテル新館。撮影時期は明治30年(189...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。横浜居留地東端橋から堀川(運河)上流を望む。左の家並みは元(本)村、橋は谷戸橋、前田橋。西ノ橋もかすかに見えている。右手奥に見えるのはキャメロン&クックの小造...
明治23(1890)年9月、梅香崎に完成した旧長崎税関の新庁舎。明治32(1899)年に管轄区域に周防・長門が加わった。大正12(1923)年に日華連絡線として長崎丸と上海丸が就航し、大陸との交通が増...
英語で「横浜、メインストリート」と記入されている。本町通りには各国領事館、県庁、市役所、郵便電信局、生糸検査所、裁判所が軒を並べていた。写真の時計台はブリジェンスが明治7年に設計した横浜町会所である。...
52・72番付近を西から見る 右手はクック夫妻の文具・服飾品店(72番)。その向こうは雑貨・食料品商のラングフェルト&メイヤーズ(Langfeldt & Mayers,73番)。左手はホテル&レストラ...
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。左手遠方には「岩亀楼内」の文字が読みとれる。横浜外国人居留地背後の太田屋新田沼地を埋め立てた太田町の裏町であろう。1866年の大火で消失、翌年遊郭は奥の吉田新...
明治4年(1871)に建設された初代横浜駅。アメリカ人建築家ブリジェンス(R.P.Bridgens)の設計による。右手の大江橋が鉄橋化しており、同18年(1885)以降の撮影とわかる。駅舎は大正4年(...
バンド(Bund)全景。イギリス波止場からの撮影。海岸通は明治18年(1885)に松並木が植えられ、プロムナードとしての景観が整えられた。植樹時期より撮影は明治20年代か。左端に見えるのがフランス波止...