箱根関所跡の近く、見返りの松付近から、現在の恩賜公園(旧箱根離宮)方面を見たものである。関所と芦ノ湖、富士山と言った、箱根の典型的な景観を捉えた構図と言える。The view around Oncho Park (the former Hakone Rikyu) in the vicinity of the Hakone Sekisho (checking station) near the Mikaeri Pine. A typical photo of Hakone inculuding the Sekisho, Lake Ashino and Mt. Fuji
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
富士市柏原新田付近の浮島沼から北方の山頂にわずかに雪の積もった富士山を遠望したもの。浮島沼の水は沼川を通って田子ノ浦に流れ出る。沼の水面には逆さ富士と2艘の川舟が映る。それぞれの川舟には立った男性と座...
箱根宿の背後から芦ノ湖越に見た富士山の写真で、箱根の典型的な風景。家並みの中央の屋根がなだらかな二階屋ははふや(現箱根ホテル)、その左にピラミッド型に見えるのは、右から順に又原、川田、駒、石内の各本陣...
箱根小学校の手前辺りから見た芦ノ湖と富士山の姿で、所謂、「逆さ富士」である。湖の右側の山には、箱根権現がある。現在、よく知られた神社の赤鳥居は、昭和35年の立太子記念の建立なので、まだ見えない。Ash...
芦の湖畔の元箱根から眺めた富士山。右手の黒い森は箱根神社の神域である。神仏分離令以前は箱根権現とも呼ばれ、曽我物語を初め、数々の文学に登場する。左手の山は、箱根外輪山の三国山(みくにやま)の麓で、湖・...
小山町須走(すばしり)あたりから富士山を遠望したもの。富士山の大きさや左手の稜線に宝永山が見えることから撮影地点が推定される。須走は古くから富士山須走登山道の登山口で、撮影地点はその登山道の途中であろ...
大宮(現富士宮)より見た富士山。大宮は当時戸数一千余り、富士山登の表口といわれたところである。川辺に笠をさした芸者など多くの人々が見えるのは観光地であったことを示しているのかもしれない。富士浅間神社が...
富士山の右肩に越前岳と愛鷹山(あしたかやま)の隆起が見える。したがって、富士山を西方から望む土地の写真であろう。身延山地の山間の村であろうか。稲刈りを終えた秋の光景である。Since Mt. Echi...
榛名山は上毛三山のひとつに数えられる名山であるが、六世紀まで噴火していた休火山である。山頂のカルデラの中に榛名湖がありそれに接して成層型の中央火口丘があり、榛名富士と呼ばれている。Mt. Haruna...
現在の山中城跡付近から見た富士山。小林清親の「従箱根山中富嶽眺望」と題する明治10年(1878)の版画に電信柱までそっくりのものがあり、恐らく写真で版画を再現したのであろう。蓮杖は清親と交際があったら...
富士川右岸の富士川町岩淵(いわぶち)あたりの河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。段丘の下には水田が広がり、その先に岩淵の集落が見える。富士川右岸の松並木の先には富士川橋が見える。富士川は急流の...
原題は「箱根宿と富士山」となっているが、箱根宿にしては道幅が広すぎ、また松並木が見えるが、箱根では箱根神社の神が目を松で突かれたために嫌ったと言われる松を植えるのを控えるので、富士宮等他の場所であろう...
静岡、神奈川の県境にある乙女峠(お留め峠とも書く)から西方の富士山を遠望したもの。乙女峠は、仙石原(せんごくばら、神奈川県)から箱根を経て御殿場(静岡県)に通じる間道の峠で、古来より富士山眺望の景勝地...
松の樹幹が前面右側を斜めに区切り、その向う、松の枝越しに湖、遠景に富士山が見える。場所は特定できないが、風景の記録というより、美しい自然景観の写真表現になっている。A pine trunk divid...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
富士市柏原新田付近の浮島沼から北方の山頂にわずかに雪の積もった富士山を遠望したもの。浮島沼の水は沼川を通って田子ノ浦に流れ出る。沼の水面には逆さ富士と2艘の川舟が映る。それぞれの川舟には立った男性と座...
箱根宿の背後から芦ノ湖越に見た富士山の写真で、箱根の典型的な風景。家並みの中央の屋根がなだらかな二階屋ははふや(現箱根ホテル)、その左にピラミッド型に見えるのは、右から順に又原、川田、駒、石内の各本陣...
箱根小学校の手前辺りから見た芦ノ湖と富士山の姿で、所謂、「逆さ富士」である。湖の右側の山には、箱根権現がある。現在、よく知られた神社の赤鳥居は、昭和35年の立太子記念の建立なので、まだ見えない。Ash...
芦の湖畔の元箱根から眺めた富士山。右手の黒い森は箱根神社の神域である。神仏分離令以前は箱根権現とも呼ばれ、曽我物語を初め、数々の文学に登場する。左手の山は、箱根外輪山の三国山(みくにやま)の麓で、湖・...
小山町須走(すばしり)あたりから富士山を遠望したもの。富士山の大きさや左手の稜線に宝永山が見えることから撮影地点が推定される。須走は古くから富士山須走登山道の登山口で、撮影地点はその登山道の途中であろ...
大宮(現富士宮)より見た富士山。大宮は当時戸数一千余り、富士山登の表口といわれたところである。川辺に笠をさした芸者など多くの人々が見えるのは観光地であったことを示しているのかもしれない。富士浅間神社が...
富士山の右肩に越前岳と愛鷹山(あしたかやま)の隆起が見える。したがって、富士山を西方から望む土地の写真であろう。身延山地の山間の村であろうか。稲刈りを終えた秋の光景である。Since Mt. Echi...
榛名山は上毛三山のひとつに数えられる名山であるが、六世紀まで噴火していた休火山である。山頂のカルデラの中に榛名湖がありそれに接して成層型の中央火口丘があり、榛名富士と呼ばれている。Mt. Haruna...
現在の山中城跡付近から見た富士山。小林清親の「従箱根山中富嶽眺望」と題する明治10年(1878)の版画に電信柱までそっくりのものがあり、恐らく写真で版画を再現したのであろう。蓮杖は清親と交際があったら...
富士川右岸の富士川町岩淵(いわぶち)あたりの河岸段丘上から北東方の富士山を遠望したもの。段丘の下には水田が広がり、その先に岩淵の集落が見える。富士川右岸の松並木の先には富士川橋が見える。富士川は急流の...
原題は「箱根宿と富士山」となっているが、箱根宿にしては道幅が広すぎ、また松並木が見えるが、箱根では箱根神社の神が目を松で突かれたために嫌ったと言われる松を植えるのを控えるので、富士宮等他の場所であろう...
静岡、神奈川の県境にある乙女峠(お留め峠とも書く)から西方の富士山を遠望したもの。乙女峠は、仙石原(せんごくばら、神奈川県)から箱根を経て御殿場(静岡県)に通じる間道の峠で、古来より富士山眺望の景勝地...
松の樹幹が前面右側を斜めに区切り、その向う、松の枝越しに湖、遠景に富士山が見える。場所は特定できないが、風景の記録というより、美しい自然景観の写真表現になっている。A pine trunk divid...
富士市田子ノ浦港(吉原湊)港口から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。港の奥には石水門が築かれているため、明治18年以降の撮影であり、便道に架かかっていた橋は橋脚基礎の一部が水面に残るのみ。...
富士市依田橋町(よだばしちょう)あたりから北方の富士山を遠望したもの。写真中央の松並木が東海道で、松並木は吉原宿と元吉原の間に分布した。東海道は右手東側に曲がり、京都に上る際、唯一、富士山が東海道の左...
富士市柏原新田付近の浮島沼から北方の山頂にわずかに雪の積もった富士山を遠望したもの。浮島沼の水は沼川を通って田子ノ浦に流れ出る。沼の水面には逆さ富士と2艘の川舟が映る。それぞれの川舟には立った男性と座...