イギリス荘園の原型は、七・八世紀頃より盛行を見る bookland の形成に求められる。つまり、国王の book, charter により当該土地の支配権、自由処分権、世襲権を認められる私有地の形成に求められよう。この私有地 bookland の形成に関して、一九六〇年、Eric John, "Land Tenure in Early England"が発表され、ローマ帝政末の土地譲渡に関する理念が導入されて生じたものであると説明された。そして彼はさらに進んで、Maitland, Vinogradoff らゲルマニストの folkland→bookland なるテーゼを批判し folkland なる、史料に裏付けされることの稀薄な漠然たる既成観念を打破して、bookland 以前には、folkland ではなく、王により保有される土地と、豪族により保有されている土地があつたとする。しかしそれに関する説明は充分納得的であるとは思えない。本稿では、John と Maitland の論議の考証を経て、folkland より bookland へ転換して行く過程に、豪族の folkland 保有と云う過渡期的土地保有形態があつたことに注目したいと思う。Eric John, "Land Tenure in Early England" was published in 1960 by Leicester University Press. In this monograph, John explains the difference between book-right and folk-right, and asserts that book-rights involved the ...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は畿内南縁の中世庄園の開発状況と集落を扱かったものである。事例に取りあげたのは和泉国日根野庄、紀伊国井上本庄、同桛田庄である。絵図に描かれた農耕地の分布する地域の水利...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、素材を東大寺領板蠅杣の出作地焼原杣にとり、不輸・不入制成立の観点から、中世庄園の形成過程を分析することを目的とする。一〇世紀中期以後、東大寺は不法に原野を分割して...
個人情報保護のため削除部分あり中世後期から近世にかけて、ブラーバントでは公家系の系譜を軸とした歴史記述が書き継がれてゆくが、一三世紀後半にこの伝統がどのような契機のもとで創りだされたのかは、これまでさ...
近世の甲州には大小切と呼ばれる税法が施行され、貢租代金納化の比率は他国よりも高かつた。なかでも徳川将軍家の藩屏である田安家の領地の場合は貢租は殆んど一〇〇%代金納化されている点で極めて特異な存在である...
これまでの中世都市研究は、多くの場合、中世史の他の分野の研究とあまり関連をもたずに、孤立的にすすめられる傾向があつた。本稿は、かかる欠点を克服するための一試論として、ヨーロッパ中世都市成立の前提となっ...
個人情報保護のため削除部分あり従来閑却されがちであった封建制の契約理念を強調し、私的理念を基礎とした封建制の進展に関して、強大な国王権の展開が、いわば所与の前提としてあったことを特殊イギリス的特色とし...
従来我国の研究史に即する限り、主として地域的・時代的類型論として、或いは経営形態論として提出され、また主に計量的にのみ問題にされ勝ちであつた囲込運動を、領主経済の側からではなく、農民問題として、とくに...
旧来の研究テーマの一つに, 日本近世社会では封建地代がどの程度貨幣地代として発展していたか, という問題設定が存する。ところで, 封建地代とは本来封建領主が農奴や隷農から徴収した地代であるべきものが,...
個人情報保護のため削除部分ありJ・ル=バトゥーレルによる「ノルマン帝国」論は従来のイングランド一国史観を大きく転換させた。ノルマン=コンクェストにより成立した英仏海峡にまたがる王国「アングロ=ノルマン...
高麗時代、官人・軍人には大小の領地(収租地) が分給されていたが、これらは官人戸・軍人戸の経営する自家の所耕田の上に設定される部分と、他の一般民戸の経営する所耕田の上に設定される部分との複合によって成...
延暦年間、大土地所の進展でゆらぐ律令体制のたてなおしが試みられるが、その際支配者側は、民要地という形で耕地部分を国家の手に把握し、それ以外の山林・原野を農民の形成する共同体の規制力を利用して、大土地所...
アメリカ独立革命はイギリス本国からの独立と植民地内部抗争との二重の意味をもつている。独立派が独立運動をとおして打破しようとした内部組織とはどういうものであつたか。そして、その組織はどこに起源をもつたの...
個人情報保護のため削除部分あり越前国坂井郡桑原庄など、八世紀中期の東大寺の越前諸庄の経営について、従来の研究はその経営は賃租の方式によってなされているということが大前提になって進められてきている。しか...
個人情報保護のため削除部分あり八・九世紀のイタリア北・中部では、自由身分の土地所有者が保有農民に転化していく動向が確認される。本稿では、これまで「古典荘園」の発展との関わりで論じられることの多かった自...
周知の如く一七世紀末から一八世紀前半にいたる約一世紀のイギリスは、フランスを圧倒して政治経済的に上昇しつつあった一面、かなり動揺しつつあった時代であり、緊張した点で恰もメデイチ家のロレンツオ時代を連想...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は畿内南縁の中世庄園の開発状況と集落を扱かったものである。事例に取りあげたのは和泉国日根野庄、紀伊国井上本庄、同桛田庄である。絵図に描かれた農耕地の分布する地域の水利...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、素材を東大寺領板蠅杣の出作地焼原杣にとり、不輸・不入制成立の観点から、中世庄園の形成過程を分析することを目的とする。一〇世紀中期以後、東大寺は不法に原野を分割して...
個人情報保護のため削除部分あり中世後期から近世にかけて、ブラーバントでは公家系の系譜を軸とした歴史記述が書き継がれてゆくが、一三世紀後半にこの伝統がどのような契機のもとで創りだされたのかは、これまでさ...
近世の甲州には大小切と呼ばれる税法が施行され、貢租代金納化の比率は他国よりも高かつた。なかでも徳川将軍家の藩屏である田安家の領地の場合は貢租は殆んど一〇〇%代金納化されている点で極めて特異な存在である...
これまでの中世都市研究は、多くの場合、中世史の他の分野の研究とあまり関連をもたずに、孤立的にすすめられる傾向があつた。本稿は、かかる欠点を克服するための一試論として、ヨーロッパ中世都市成立の前提となっ...
個人情報保護のため削除部分あり従来閑却されがちであった封建制の契約理念を強調し、私的理念を基礎とした封建制の進展に関して、強大な国王権の展開が、いわば所与の前提としてあったことを特殊イギリス的特色とし...
従来我国の研究史に即する限り、主として地域的・時代的類型論として、或いは経営形態論として提出され、また主に計量的にのみ問題にされ勝ちであつた囲込運動を、領主経済の側からではなく、農民問題として、とくに...
旧来の研究テーマの一つに, 日本近世社会では封建地代がどの程度貨幣地代として発展していたか, という問題設定が存する。ところで, 封建地代とは本来封建領主が農奴や隷農から徴収した地代であるべきものが,...
個人情報保護のため削除部分ありJ・ル=バトゥーレルによる「ノルマン帝国」論は従来のイングランド一国史観を大きく転換させた。ノルマン=コンクェストにより成立した英仏海峡にまたがる王国「アングロ=ノルマン...
高麗時代、官人・軍人には大小の領地(収租地) が分給されていたが、これらは官人戸・軍人戸の経営する自家の所耕田の上に設定される部分と、他の一般民戸の経営する所耕田の上に設定される部分との複合によって成...
延暦年間、大土地所の進展でゆらぐ律令体制のたてなおしが試みられるが、その際支配者側は、民要地という形で耕地部分を国家の手に把握し、それ以外の山林・原野を農民の形成する共同体の規制力を利用して、大土地所...
アメリカ独立革命はイギリス本国からの独立と植民地内部抗争との二重の意味をもつている。独立派が独立運動をとおして打破しようとした内部組織とはどういうものであつたか。そして、その組織はどこに起源をもつたの...
個人情報保護のため削除部分あり越前国坂井郡桑原庄など、八世紀中期の東大寺の越前諸庄の経営について、従来の研究はその経営は賃租の方式によってなされているということが大前提になって進められてきている。しか...
個人情報保護のため削除部分あり八・九世紀のイタリア北・中部では、自由身分の土地所有者が保有農民に転化していく動向が確認される。本稿では、これまで「古典荘園」の発展との関わりで論じられることの多かった自...
周知の如く一七世紀末から一八世紀前半にいたる約一世紀のイギリスは、フランスを圧倒して政治経済的に上昇しつつあった一面、かなり動揺しつつあった時代であり、緊張した点で恰もメデイチ家のロレンツオ時代を連想...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は畿内南縁の中世庄園の開発状況と集落を扱かったものである。事例に取りあげたのは和泉国日根野庄、紀伊国井上本庄、同桛田庄である。絵図に描かれた農耕地の分布する地域の水利...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は、素材を東大寺領板蠅杣の出作地焼原杣にとり、不輸・不入制成立の観点から、中世庄園の形成過程を分析することを目的とする。一〇世紀中期以後、東大寺は不法に原野を分割して...
個人情報保護のため削除部分あり中世後期から近世にかけて、ブラーバントでは公家系の系譜を軸とした歴史記述が書き継がれてゆくが、一三世紀後半にこの伝統がどのような契機のもとで創りだされたのかは、これまでさ...