個人情報保護のため削除部分あり従来閑却されがちであった封建制の契約理念を強調し、私的理念を基礎とした封建制の進展に関して、強大な国王権の展開が、いわば所与の前提としてあったことを特殊イギリス的特色として重視し、封建制の発展と王政の発展とが時期的に並行一致していたことを強調した。そして、ノルマン征服前後の封建制の発展を、私的主従契約の物権化──封の授受──の展開に求め、それが、ノルマン、アンジュー王政の発展という屋根をかりて発展し、身分共同体として安定的な発展をとげてゆくことを展望したが、それはまた同時に、封建的諸関係の空洞化でもあり、封建制の完結でもあると論じた。その後の封建制の顚末について、一四・五世紀の庶子封建制、貴族身分の相剋の中に、身分共同体意識の後退を見通す一方、この時期の庶民院の発展を重視して、封建制固有の地方主義が国制史的発展の中に吸収されてゆくものであるとした。In so far as our studies in Western feudalism are concerned, no attempt has been made to clarify its contractual side though those recent years witnessed so many contributions to this typically medieval system. But feudalism as we understand it is par excellence a complex of private contracts between lord and man and an emphasis must also be laid on this...
南北朝時代の研究は、社会の構造研究の深化によって急速の進展をみせたが、この時代の研究は史料の制約によって必ずしも満足しうべき成果を期待できない憾があった。本稿は筆者が太平記の綜合的研究の過程において、...
イギリス荘園の原型は、七・八世紀頃より盛行を見る bookland の形成に求められる。つまり、国王の book, charter により当該土地の支配権、自由処分権、世襲権を認められる私有地の形成に...
個人情報保護のため削除部分あり中世後期から近世にかけて、ブラーバントでは公家系の系譜を軸とした歴史記述が書き継がれてゆくが、一三世紀後半にこの伝統がどのような契機のもとで創りだされたのかは、これまでさ...
近世の甲州には大小切と呼ばれる税法が施行され、貢租代金納化の比率は他国よりも高かつた。なかでも徳川将軍家の藩屏である田安家の領地の場合は貢租は殆んど一〇〇%代金納化されている点で極めて特異な存在である...
従来我国の研究史に即する限り、主として地域的・時代的類型論として、或いは経営形態論として提出され、また主に計量的にのみ問題にされ勝ちであつた囲込運動を、領主経済の側からではなく、農民問題として、とくに...
これまでの中世都市研究は、多くの場合、中世史の他の分野の研究とあまり関連をもたずに、孤立的にすすめられる傾向があつた。本稿は、かかる欠点を克服するための一試論として、ヨーロッパ中世都市成立の前提となっ...
個人情報保護のため削除部分ありJ・ル=バトゥーレルによる「ノルマン帝国」論は従来のイングランド一国史観を大きく転換させた。ノルマン=コンクェストにより成立した英仏海峡にまたがる王国「アングロ=ノルマン...
この論文は、イギリスの強力な封建王政の展開を考察し、その末端組織を補うものとして borh=personal protection 特に frankpledge system=territoriali...
個人情報保護のため削除部分あり永原慶二氏の中世「小村=散居型村落」論に関する歴史地理学的再検討を行なった。薩摩国入来院の場合、中世前期の在家は広い薗畠と結合して概ね台地上に集落を営み、畠作農業を基盤と...
個人情報保護のため削除部分あり延喜庄園整理令は、原野の大規模分割と百姓の私地集積という二つの形態をとって展開する初期庄園の整理と再編を意図してだされた法令である。この整理と再編は、庄園の新設を禁止する...
個別経営の分析による地主制の研究はすでに多く出されているが、本稿ではとくに農業経営の分析ばかりでなく、現実の地主経済にとつて多かれ少かれ比重をもつていた農業経営以外の面についても分析し、これら各方面が...
個人情報保護のため削除部分あり中世の地方政治中心である守護城下は、しばしば戦国城下町と比較され、その空間講造の未熟さが指摘されてきた。しかし資料的制限から、城下空間全体を対象として、その変遷過程を実証...
アメリカ独立革命はイギリス本国からの独立と植民地内部抗争との二重の意味をもつている。独立派が独立運動をとおして打破しようとした内部組織とはどういうものであつたか。そして、その組織はどこに起源をもつたの...
個人情報保護のため削除部分あり一四世紀以降、チェコでは徐々に二元的国制が姿を現すが、領邦身分の成長は主に王権に対抗できる貴族共同体の成立という観点から研究がすすめられてきた。しかし従来の研究は共同体理...
わが国において資本主義が確立した時期は一般に明治後期 (一八九〇~一九一〇) であると考えられている。それではその前段階たる幕末・明治前期において資本主義の形成はどのように進行していたであろうか。また...
南北朝時代の研究は、社会の構造研究の深化によって急速の進展をみせたが、この時代の研究は史料の制約によって必ずしも満足しうべき成果を期待できない憾があった。本稿は筆者が太平記の綜合的研究の過程において、...
イギリス荘園の原型は、七・八世紀頃より盛行を見る bookland の形成に求められる。つまり、国王の book, charter により当該土地の支配権、自由処分権、世襲権を認められる私有地の形成に...
個人情報保護のため削除部分あり中世後期から近世にかけて、ブラーバントでは公家系の系譜を軸とした歴史記述が書き継がれてゆくが、一三世紀後半にこの伝統がどのような契機のもとで創りだされたのかは、これまでさ...
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