個人情報保護のため削除部分あり越前国坂井郡桑原庄など、八世紀中期の東大寺の越前諸庄の経営について、従来の研究はその経営は賃租の方式によってなされているということが大前提になって進められてきている。しかし桑原庄の場合、分析素材としての桑原庄券を田使が造東大寺司へ提出した経営報告書として把握し、その報告書における年度ごとの田地および稲の動きを分析することでこの庄の経営は賃租経営という範疇でとらえられるものではなく、営田(直営) 経営の範疇でとらえるべきものであることがあきらかになる。同じことが道守庄など足羽郡の東大寺諸庄でもいえるのであり、これら諸庄の開発・経営の単位となっている「所」における開発・経営では、営田方式がとられているのである。さらに坂井郡の在地豪族広耳の大規模墾田の経営も営田方式としてとらえうるのであり、八世紀中期の諸庄園(初期庄園) の経営は全体として営田経営の方式をとっている、と把握してよいのである。It has been so far said that the manors of Tôdaiji in Echizen in the mid-8th century were sharecropped lands. But we can regard the management of Kuwabara-no-shô 桑原庄 in Sakai-gun 坂井郡 as the direct one, if we investigate the management reports which were drawn up by Tatsukai 田使, the agent of Tôdaiji, and tell us the fluctuation of the y...