埼玉県越谷市寛正五年(一四六四)に行われた京糺河原勧進猿楽の勧進聖については、従来説はその名表記にも揺れがあり、その伝記も知られていなかった。五山禅僧の横川景三の「補庵京華外集」上に「青松院春盛老人像賛」と題する絵賛があり、勧進聖であったこの人物の略伝が知られる。この資料によって、勧進聖が鞍馬寺薬師坊の青松院春盛と確定できる。春盛没年の次年に著されたこの絵賛を読み解くことによって、その略伝を確認するとともに、景三は提供された資料に、疑問をもちながらも忠実に叙述していると考えられること、それは同様に五山禅僧によって多く作られた絵賛に共通する特徴で、その故にこれらの絵賛には資料性が認められることを述べた
本歌取りを得意としていた藤原定家は、本歌を巧みに想起させるように本歌取りの歌を創作している。一方で本歌との違いを明かにし本歌取りの歌と本歌とが別の歌であることをも示している。それにより、読み手は本歌と...
『大仏供養物語』は、『お伽草子』の中で法然が登場する物語の一つである。本論の骨子は、『大仏供養物語』の伝本である「神宮本」と「赤木本」を中心に検証することで、中世の物語の中でどのような法然思想が形成さ...
「真言七祖像」は真言宗七祖の肖像画で、各縦約二一三センチメートル、横約一五一センチメートルの絹本着色である。七幅のうち、金剛智・不空・善無畏・一行・恵果の五祖像は唐において八〇五年頃制作され、空海によ...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
publisher奈良本稿は私の前稿(山辺郡の中世史概説、『奈良県の地名』、『日本歴史地名大系』30所収、平凡社刊)への検討であるが、一面これまでの東山内についての評価に対するものでもある。南北朝時代...
平塚雷鳥(Hiratsuka Raiteu, 1886-1971)為近代日本的女性解放運動先驅、和平主義者。明治44年9月,以雷鳥為首,中野初子(Nakano Hatsuko)、保持研子(Yasumo...
敦煌文献の中には、願文と称せられる一群の漢籍が含まれている。本来は仏前において叶えたい望みを祈禱するために唱える文章を指し、上代日本にもその作成の形跡が認められる。願文の原型なるものがほとんど敦煌文...
松本亀次郎は約80年の生涯のうち35年余りを中国人留学生教育に捧げた。日本の公立小学校の平凡な教師であった松本が、なぜ37歳で中国人留学生の日本語教育と深くかかわりを持つようになったのか。その転機は嘉...
石田梅岩によって始められた心学は、近世封建社会の転換期における町人階級の世界観、人生観を代表するものとして、近来とくに意義づけられているようであるが、心学思想成立の直接の源由をなすものはその時代町人社...
専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
埼玉県越谷市1914年に朝鮮から留学したナ・ヘソク(羅蕙錫)のエッセイと小説を通して、1910年代の日韓の政治状況及び文化状況の交点に照明を当てる。1910年代は、明治国家主義を推進した明治第一世代に...
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「真言七祖像」は真言宗七祖の肖像画で、各縦約二一三センチメートル、横約一五一センチメートルの絹本着色である。七幅のうち、金剛智・不空・善無畏・一行・恵果の五祖像は唐において八〇五年頃制作され、空海によ...
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