専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は繰り返し出たので、歴史上類例のない宗教弾圧とみてきたが、改めて関係史料を読み直すと、これまで専修念仏停止とみなしていた歴史事象の多くは、必ずしも専修念仏そのものを停止したのではなく、問題を起こした専修念仏者への法的措置であった。これまで専修念仏停止を命令したと見てきた院宣・宣旨等は、元久二年、同三年、建永二年、建保五年、同七年、貞応三年と史料に現れる。これらを詳細に検討したところ、いずれも糾弾の対象となった専修念仏者への法的処断であり、考察した元久元年から貞応三年までの間、一度も専修念仏は停止されていなかった。専修念仏停止興福寺奏状元久の法難建永の法難亡国哀音
16世紀後半、キリスト教布教・伝道を目的に来日した宣教師によって伝えられ、日本語に翻訳された『イソップ寓話集』は、ローマ字口語体で書かれた『イソポのハブラス』と国字文語体で書かれた『伊曾保物語』の二種...
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松本亀次郎は約80年の生涯のうち35年余りを中国人留学生教育に捧げた。日本の公立小学校の平凡な教師であった松本が、なぜ37歳で中国人留学生の日本語教育と深くかかわりを持つようになったのか。その転機は嘉...
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江戸時代、井原西鶴によって書かれた『本朝二十不孝』は、我が国の文学史において、『孝子伝』『二十四孝』が受容されていく孝子説話史の中に位置づけられる。西鶴は、本書で、孝行の典型である「二十四孝」に対して...
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法然における諸行往生の可否の問題については、近年、平雅行・安達俊英らが完全否定説を唱え、松本史朗・森新之介がそれを批判している。私も後者と同じく、「法然は諸行往生の可能性を、完全否定したわけではない」...
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本稿は,淀川右岸中流地域を対象として,近世水利秩序の成立・展開の過程を究明することを意図した社会経済史研究の一環をなすものである。われわれがここに取扱う「越石」とは,井路床・池床などと化した潰地を補償...
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