埼玉県越谷市1914年に朝鮮から留学したナ・ヘソク(羅蕙錫)のエッセイと小説を通して、1910年代の日韓の政治状況及び文化状況の交点に照明を当てる。1910年代は、明治国家主義を推進した明治第一世代に抗して、個人の価値に立脚して世界をとらえようとする第二世代の言説、すなわち<白樺>・<青鞜>・アナーキズム等の個人主義の思想が主流化する。その中で、有島武郎は白樺派としては異例の存在として、インターナショナルな視点をアメリカ留学と社会主義の研究によって獲得し、1910年の韓国併合に至るまでの日本の朝鮮・韓国支配に対して鋭い国家批判を抱懐していた。有島に比べると、一見、インターナショナルな視点をもたなかったかに見える白樺派の武者小路実篤や志賀直哉たちだが、実際には、彼らは明治第一世代がとらわれた国家意識や国民意識を離れ、国家と個人の関係を革命的に逆転させる仕事をした。ナ・ヘソクの自己形成は、このような第二世代の言説が燃え上がる時期に留学したことを抜きにしては、考えられない。とりわけ<青鞜>の平塚らいてうが描いた「太陽」の表象が、彼女をインスパイアした
連歌より発達した俳句が、日本語を離れて他言語の詩のカテゴリーとして確立されてきた。多くの日本語学習者が英語で俳句作りの指導を日本語学習以前に受けた。俳句の持つリズムとその簡潔さが、他言語にも受け入られ...
連歌より発達した俳句が、日本語を離れて他言語の詩のカテゴリーとして確立されてきた。多くの日本語学習者が英語で俳句作りの指導を日本語学習以前に受けた。俳句の持つリズムとその簡潔さが、他言語にも受け入られ...
16世紀後半、キリスト教布教・伝道を目的に来日した宣教師によって伝えられ、日本語に翻訳された『イソップ寓話集』は、ローマ字口語体で書かれた『イソポのハブラス』と国字文語体で書かれた『伊曾保物語』の二種...
敦煌文献の中には、願文と称せられる一群の漢籍が含まれている。本来は仏前において叶えたい望みを祈禱するために唱える文章を指し、上代日本にもその作成の形跡が認められる。願文の原型なるものがほとんど敦煌文...
publisher奈良『太平記』は歴史的事件を素材にした史書という性格の故に、あるいはその分量の膨大さの故に、「抜書」とか「抜萃」とか呼ばれる抄出本によって享受されることが少なくなく、それら具体相の一...
明治期の彫金師、海野勝珉が制作した宮内庁三の丸尚蔵館が収蔵する「蘭陵王置物」と「太平楽置物」を平成17年8月11日、三の丸尚蔵館において次のような研究者が調査を行った。鳥田宗吾は、象嵌技法を中心とした...
松本亀次郎は約80年の生涯のうち35年余りを中国人留学生教育に捧げた。日本の公立小学校の平凡な教師であった松本が、なぜ37歳で中国人留学生の日本語教育と深くかかわりを持つようになったのか。その転機は嘉...
アン・ウォルソール教授は、ウィスコンシン大学で日本語・日本文学の学士号を取得。その後、一年間の京都大学への留学を経てシカゴ大学大学院に進み、1973年、東アジア史の修士号を取得。さらに1975年から1...
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publisher奈良一枝の花(桜) を、もっとも短い言葉とともに、他者に示そうとするとき、我々は、「はな。」と示すこともできるし、「これ。」と示すこともできる。そのかぎりで、コレは、ハナという名(詞...
「ethics」の訳語である「倫理学」は、明治期に新しく定着した語である。その受容と展開をたどるには、「ethics=倫理学」と「国民道徳」の関係を明らかにすることが必要になる。本稿では、まず『明六雑...
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publisher奈良記紀万葉等の最古の文献に遺る、漢語およびごく一部の半島出自と見られる語以外の言葉は、総じて一般にヤマトコトバ(和語)と呼ばれている。それらに、平安初期のかな資料等も含めて、判る限...
publisher奈良一九四四年から一九四六年まで上海で暮らした武田泰淳は、帰国後、同地での敗戦体験を描いた小説で作家としての地歩を固めた。そのため泰淳研究史では、この上海体験に大きな作家論的意味を見...
埼玉県越谷市「イギリス」というカタカナ語は日本で作られて翻訳語として用いられてきたが、それに正確にあてはまる英語の語彙はなく、日本がその遠来の他者と出会ってからその対象をどのように理解してきたかを探る...
連歌より発達した俳句が、日本語を離れて他言語の詩のカテゴリーとして確立されてきた。多くの日本語学習者が英語で俳句作りの指導を日本語学習以前に受けた。俳句の持つリズムとその簡潔さが、他言語にも受け入られ...
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