publisher奈良記紀万葉等の最古の文献に遺る、漢語およびごく一部の半島出自と見られる語以外の言葉は、総じて一般にヤマトコトバ(和語)と呼ばれている。それらに、平安初期のかな資料等も含めて、判る限りの「古来の和語」について、とくに注目されるのは、同音異義語と同義異音語の多さである。ヤマトコトバとは、大和政権の人々の言葉でもあったが、そうした一言語圏内で、たとえば山をヤマ・タケ・ネ、土をツチ・ヒヂ・ニと言い分ける、あるいは混用する必然性は、どこにあったのだろうか。本稿は、漢字伝来以前の遠い昔、言葉とは声ばかりであったこの列島上で、いくつかの言語圏の出会いと交わりがあって、大和政権の人々の言葉を軸に混成・融合したものが、いわゆるヤマトコトバであるということを、「混成した男女呼称の問題、多様な大数の整序の問題、〈葛〉という字の多訓の問題」の三点に絞り、考察、実証したものである。それによって、文献の背後に広がっていた列島の古代語の多様な世界への視野を、開いてゆきたい
publisher奈良本稿は私の前稿(山辺郡の中世史概説、『奈良県の地名』、『日本歴史地名大系』30所収、平凡社刊)への検討であるが、一面これまでの東山内についての評価に対するものでもある。南北朝時代...
本論は寛文3年に土佐派から分派した住吉派、特に、初代如慶と具慶のやまと絵的画題に着目した考察である。かれらの手がけた画題は従来からの歌絵や物語絵、行事絵が大部分を占めていた。これらは狩野派や土佐派でも...
本論は寛文3年に土佐派から分派した住吉派、特に、初代如慶と具慶のやまと絵的画題に着目した考察である。かれらの手がけた画題は従来からの歌絵や物語絵、行事絵が大部分を占めていた。これらは狩野派や土佐派でも...
publisher奈良障害を超えることは可能か?人は自らの障害に対してどういう態度を取りうるのか。 星野富弘は大学卒業後、体育の教師として高崎市内の中学校に赴任した。そのわずか二ヵ月あまりの後、放課後...
Publisher奈良「高祖大師秘密縁起」は、弘法大師空海の伝記を主題とする絵巻の一系統である。その成立は十三世紀後半と推定されているが、現存作品は少なく、管見の限りでは五件が紹介されているにすぎない...
西方に由来する玻璃の知識が東亜に流伝したのは早く戦国時代に遡るのであり、それがやがて日本にも浪及したことが今世紀の二十年代に入つてからの考古学上の発見例から推されてきた。この日本での古い玻璃の遺品は、...
publisher奈良戒重氏は、大和国城上郡戒重(桜井市)の在地武士と考えられ、南北朝時代初頭より記録のうえにみられる。もと東大寺領長田庄・他田庄の庄官であったようで、同寺衆徒でもあったとみなれる。こ...
publisher奈良大学"いじめ"という問題が、教育界を中心に各界に波紋を投げかけてから久しい。そしてこれという解決策も出ぬまま、事態は悪化するばかりで、そのプロセスも、陰湿で残忍なものとなりつつあ...
publisher奈良今日、木綿・絹・麻は、衣料の三大天然繊維として世界中の人々に重用されている。ところで、記紀等の日本最古の文献にも、それらはいずれも「神代」からの、稲にも並ぶ大切なものとされた記述...
publisher奈良 本報告は、桑山氏によって築かれた陣屋ならびに陣屋町の形態をみたうえで、桑山氏改易後の史料を検討しながら、永井氏の新庄について検討し、新庄陣屋と「町」の形態について明らかにしてい...
publisher奈良『太平記』は歴史的事件を素材にした史書という性格の故に、あるいはその分量の膨大さの故に、「抜書」とか「抜萃」とか呼ばれる抄出本によって享受されることが少なくなく、それら具体相の一...
敦煌文献の中には、願文と称せられる一群の漢籍が含まれている。本来は仏前において叶えたい望みを祈禱するために唱える文章を指し、上代日本にもその作成の形跡が認められる。願文の原型なるものがほとんど敦煌文...
publisher奈良本稿は、三大寺家旧蔵「高野大師行状絵」について、先に発表した二編の論考の続編である。前稿では、三大寺家旧蔵本および本来はこれと一具の絵巻であったボストン美術館本を一括してA本と称...
山形における近世江戸時代の書籍の流通状況について、往来物資料の出版地域を通して考察検討した。往来物は、寺子屋などで手習いのために使用された教科書の類の総称であるが、近世江戸時代には様々な種類のものが出...
埼玉県越谷市1914年に朝鮮から留学したナ・ヘソク(羅蕙錫)のエッセイと小説を通して、1910年代の日韓の政治状況及び文化状況の交点に照明を当てる。1910年代は、明治国家主義を推進した明治第一世代に...
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本論は寛文3年に土佐派から分派した住吉派、特に、初代如慶と具慶のやまと絵的画題に着目した考察である。かれらの手がけた画題は従来からの歌絵や物語絵、行事絵が大部分を占めていた。これらは狩野派や土佐派でも...
本論は寛文3年に土佐派から分派した住吉派、特に、初代如慶と具慶のやまと絵的画題に着目した考察である。かれらの手がけた画題は従来からの歌絵や物語絵、行事絵が大部分を占めていた。これらは狩野派や土佐派でも...
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本論は寛文3年に土佐派から分派した住吉派、特に、初代如慶と具慶のやまと絵的画題に着目した考察である。かれらの手がけた画題は従来からの歌絵や物語絵、行事絵が大部分を占めていた。これらは狩野派や土佐派でも...