西方に由来する玻璃の知識が東亜に流伝したのは早く戦国時代に遡るのであり、それがやがて日本にも浪及したことが今世紀の二十年代に入つてからの考古学上の発見例から推されてきた。この日本での古い玻璃の遺品は、西日本の筑前地方から発見されたもので、中国より伝えられた璧と共に、内地で作られたと覚しい勾玉のあることが伝えられた。ところが近年になって筑前須玖付近から新たに玻璃で作つた勾玉管玉などに加えて、勾玉の鎔笵が見出され、また一個の玻璃の塞杆などの発見もあつて、日本上古の玻璃に就いての一層具体的な事実を示すことになつた。この一文はその機会に既往の関係遺品にも再検討を加え、当初中国から伝えられた玻璃そのものと、その技術に依ってこの国で作られた玻璃の実際に就いて記述し、然る後出土遺品との連関に於いてその時代を論じ、それの上に表われた上古初期の文化の様相に及んだものである。そしてなお孤例であるが故守屋孝蔵氏蒐集品中の一面の珍らしい玻璃の小鏡が、我が上古に同じ西日本で作られたものであることをも論述した。The knowledge of glasses was diffused to the Eastern Asia from the West during the Warring-States Period, and then to Japan. Archaeological evideences of the antique glasses in Japan have been reported since 1920. The findings of curved glass beads "magatama" 勾玉 are noticeable, They had been made in J...