浪曲の伴奏をうけおう三味線では,弾かれるべき音のすがたは予め厳格に定まってはおらず,奏者は浪曲師の「節(ふし)」のありように対応して,その場その場で旋律を繰り出してゆく。こうした過程は,「リアルタイムでの音楽作り」であるがゆえに一種の「即興」と見なすことができるが,即興には,それに基づいて音楽作りを行なってゆく「出発点」あるいは「モデル」が存在する。本稿では,対象を狭義の「関東節」に絞り,その伴奏をつとめる浪曲三味線にはどのような「モデル」が存在するのかという問題の一端を,過去の録音物の音楽学的分析から明らかにした。Rokyoku , which arose in Meiji era, contains two main styles. One is kanto bushi and another is kansai bushi. The purpose of this paper is to examine shamisen playing in‘ kanto bushi ’. From the musicological analyses of some historical recordings in kanto bushi, the author clarifies some principle about improvisatory way in rokyoku shamisen
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の〝おもちゃ絵〞の歌謡資料である『新板小供うたづくし』を影印と翻刻によって紹介し、当該資料の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時...
わが国の国語教育は、「言語生活論」が主唱されながらも、「言語能力主義」の主張に押され、長らく教科書教材に依存した詳細な読解中心の実践が展開されてきた。その結果、国語学習は生活から離れたものになり、学習...
長唄三味線曲は理論的には五音の音階であるが実際的には概して七音の音階である。大段落の始め及び終りは1音の場合では宮角徴が極めて多い。和音の場合では宮や徴を含んだ完全一度, 完全八度, 完全四度, 完全...
浪曲の伴奏をうけおう三味線(浪曲三味線)は,浪曲師の「節」(旋律的な部分)に対応して音を紡いでゆくだけでなく,「啖呵」(セリフの部分)にも対応してなんらかの手立てを講じてゆく。本稿では,譜面を介さずに...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
「間(ま)」は,日本の芸事,作法,舞踊,話し言葉,音楽など,複数の領域で用いられてきた概念の一つである。しかし,「間」概念がそのように広く日本文化を横断して使われてきたことは,逆に,音楽における「間」...
古筆切として伝残された仏教歌謡資料の伝称筆者としてもっとも著名な人物は法守法親王である。法守法親王は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて仁和寺に住した門跡で、能筆で有名な伏見天皇の孫、同じく後伏見天皇の...
長唄三味線の本手と替手の各々について主音(宮), 及びその他の音が旋律に現われる回数を調べた処, 曲により異なるが大体に於て主音と完全五度(徴)が最も多い。音階が五度音列で出来ておるから之は当然のこと...
「為定勅撰集撰者和歌抄」(仮称)は、康永年間の頃、浄土寺前大僧正慈勝の懇望によって、当時歌壇の重鎮であった二条為定が、「古今集」から「続後拾遺集」までの十六代の勅撰集の撰者の和歌三首ずつ抄出した、一種...
「為定勅撰集撰者和歌抄」(仮称)は、康永年間の頃、浄土寺前大僧正慈勝の懇望によって、当時歌壇の重鎮であった二条為定が、「古今集」から「続後拾遺集」までの十六代の勅撰集の撰者の和歌三首ずつ抄出した、一種...
江戸期の浄土宗では念仏によって三毒の煩悩が滅するかどうかについて論争が交わされていた。それに関する記録を纏めたのが、『念佛三毒滅盡不滅盡之諍論筆記』である。そこには、増上寺第十二世源誉存応、黒谷金戒光...
日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録...
江戸期の浄土宗では念仏によって三毒の煩悩が滅するかどうかについて論争が交わされていた。それに関する記録を纏めたのが、『念佛三毒滅盡不滅盡之諍論筆記』である。そこには、増上寺第十二世源誉存応、黒谷金戒光...
岡山大学図書館が管理する「池田家文庫」の絵図を調べるうち,今までその存在が曖昧で あった蹴鞠場の位置を明確に示す絵図を発見した。その絵図そのものは,すでに後楽園の歴 史の解説書などにも使用されている...
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の大阪版おもちゃ絵資料を影印と翻刻によって紹介し、そこに摺られた歌謡の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時代にかけて盛んに摺られ...
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の〝おもちゃ絵〞の歌謡資料である『新板小供うたづくし』を影印と翻刻によって紹介し、当該資料の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時...
わが国の国語教育は、「言語生活論」が主唱されながらも、「言語能力主義」の主張に押され、長らく教科書教材に依存した詳細な読解中心の実践が展開されてきた。その結果、国語学習は生活から離れたものになり、学習...
長唄三味線曲は理論的には五音の音階であるが実際的には概して七音の音階である。大段落の始め及び終りは1音の場合では宮角徴が極めて多い。和音の場合では宮や徴を含んだ完全一度, 完全八度, 完全四度, 完全...
浪曲の伴奏をうけおう三味線(浪曲三味線)は,浪曲師の「節」(旋律的な部分)に対応して音を紡いでゆくだけでなく,「啖呵」(セリフの部分)にも対応してなんらかの手立てを講じてゆく。本稿では,譜面を介さずに...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
「間(ま)」は,日本の芸事,作法,舞踊,話し言葉,音楽など,複数の領域で用いられてきた概念の一つである。しかし,「間」概念がそのように広く日本文化を横断して使われてきたことは,逆に,音楽における「間」...
古筆切として伝残された仏教歌謡資料の伝称筆者としてもっとも著名な人物は法守法親王である。法守法親王は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて仁和寺に住した門跡で、能筆で有名な伏見天皇の孫、同じく後伏見天皇の...
長唄三味線の本手と替手の各々について主音(宮), 及びその他の音が旋律に現われる回数を調べた処, 曲により異なるが大体に於て主音と完全五度(徴)が最も多い。音階が五度音列で出来ておるから之は当然のこと...
「為定勅撰集撰者和歌抄」(仮称)は、康永年間の頃、浄土寺前大僧正慈勝の懇望によって、当時歌壇の重鎮であった二条為定が、「古今集」から「続後拾遺集」までの十六代の勅撰集の撰者の和歌三首ずつ抄出した、一種...
「為定勅撰集撰者和歌抄」(仮称)は、康永年間の頃、浄土寺前大僧正慈勝の懇望によって、当時歌壇の重鎮であった二条為定が、「古今集」から「続後拾遺集」までの十六代の勅撰集の撰者の和歌三首ずつ抄出した、一種...
江戸期の浄土宗では念仏によって三毒の煩悩が滅するかどうかについて論争が交わされていた。それに関する記録を纏めたのが、『念佛三毒滅盡不滅盡之諍論筆記』である。そこには、増上寺第十二世源誉存応、黒谷金戒光...
日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録...
江戸期の浄土宗では念仏によって三毒の煩悩が滅するかどうかについて論争が交わされていた。それに関する記録を纏めたのが、『念佛三毒滅盡不滅盡之諍論筆記』である。そこには、増上寺第十二世源誉存応、黒谷金戒光...
岡山大学図書館が管理する「池田家文庫」の絵図を調べるうち,今までその存在が曖昧で あった蹴鞠場の位置を明確に示す絵図を発見した。その絵図そのものは,すでに後楽園の歴 史の解説書などにも使用されている...
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の大阪版おもちゃ絵資料を影印と翻刻によって紹介し、そこに摺られた歌謡の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時代にかけて盛んに摺られ...
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の〝おもちゃ絵〞の歌謡資料である『新板小供うたづくし』を影印と翻刻によって紹介し、当該資料の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時...
わが国の国語教育は、「言語生活論」が主唱されながらも、「言語能力主義」の主張に押され、長らく教科書教材に依存した詳細な読解中心の実践が展開されてきた。その結果、国語学習は生活から離れたものになり、学習...
長唄三味線曲は理論的には五音の音階であるが実際的には概して七音の音階である。大段落の始め及び終りは1音の場合では宮角徴が極めて多い。和音の場合では宮や徴を含んだ完全一度, 完全八度, 完全四度, 完全...