浪曲の伴奏をうけおう三味線(浪曲三味線)は,浪曲師の「節」(旋律的な部分)に対応して音を紡いでゆくだけでなく,「啖呵」(セリフの部分)にも対応してなんらかの手立てを講じてゆく。本稿では,譜面を介さずに伝承と習得がなされてきており,明文化された理論が存在せず,さらに,実演にあたって予め何を弾くべきかが厳格に定められているわけではない浪曲三味線について,啖呵の箇所での音の紡ぎかたに焦点を定め,過去から現在までの録音物を手がかりとする考察を行なった。考察から,啖呵の箇所での三味線は大別して,①合いの手を打つ,②二つの節のあいだをつなぐ,③詞章を演出する,という三種の方向をとりうることが浮かび上がった。A work of rôkyoku contains both melodic parts and lines. The lines are called ‘tanka’. The purpose of this article is to examine the improvisational ways of shamisen playing at tanka in rôkyoku. It became clear that three kinds of the ways exist in shamisen playing at tanka. Firstly, shamisen player can put a few notes into an interval in vocalist(rôkyokushi)’s verbal phrase. In this case, it is entrusted shamisen player which notes may be chose...
専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」をはじめ、吉井勇の『酒ほがひ』の「祗園冊子」の章に収録された「祗園もの」とも言うべき一連の作品は吉井勇の生涯を通じた代表作となったものだが、こ...
浪曲の伴奏をうけおう三味線では,弾かれるべき音のすがたは予め厳格に定まってはおらず,奏者は浪曲師の「節(ふし)」のありように対応して,その場その場で旋律を繰り出してゆく。こうした過程は,「リアルタイム...
浪曲の「啖呵」(セリフ)部分における三味線演奏のありかたの一つに,他の三味線音楽からの引用がある。引用される旋律型は,聴き手がそれとして認識しうるためには相応の定形性を有している必要があると考えられる...
「間(ま)」は,日本の芸事,作法,舞踊,話し言葉,音楽など,複数の領域で用いられてきた概念の一つである。しかし,「間」概念がそのように広く日本文化を横断して使われてきたことは,逆に,音楽における「間」...
長唄三味線の本手と替手の各々について主音(宮), 及びその他の音が旋律に現われる回数を調べた処, 曲により異なるが大体に於て主音と完全五度(徴)が最も多い。音階が五度音列で出来ておるから之は当然のこと...
本稿の目的は,音楽的即興をめぐる先行研究において提示されてきた諸観点に基づき,浪曲における三味線演奏のありかたを検討することにある。①その場その場での意思決定,②「モデル」の変更・拡大,「モデル」から...
長唄三味線曲は理論的には五音の音階であるが実際的には概して七音の音階である。大段落の始め及び終りは1音の場合では宮角徴が極めて多い。和音の場合では宮や徴を含んだ完全一度, 完全八度, 完全四度, 完全...
日本音楽の発声は、地声(Natural voice)自体による音声を主体とするが、種目,流儀、作法によって、長年月たゆまざる研さん練磨によって生れた胸声である。一般に、三味線音楽の音声は、旋律の低声音...
Publisher奈良万葉集において、長歌と短歌とが、組になって完成する様式のあったことは周知のことである。そしてその場合の短歌のほとんどは頭書に「反歌」と記されており、この様式を総称して反歌様式とい...
Publisher奈良万葉集巻二相聞の巻頭におかれた一連四首とその異伝である。この四首が一連のものであり漢詩絶句の起承転結に準拠する構成をもつものであることは、山田孝雄博士が夙に説かれたところである。...
埼玉県越谷市武者小路戯曲作品の上演では「その妹」が最も多いが、大正年間に限らず現代でも、その演出上の解釈により、作品は多様に理解されている。このことは研究史上の武者小路戯曲の不当な批判にも見られる。「...
Рассматривается мифопоэтика драмы Г. Чулкова «Тайга» (1907) и её специфическое место в контексте рус...
「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」をはじめ、吉井勇の『酒ほがひ』の「祗園冊子」の章に収録された「祗園もの」とも言うべき一連の作品は吉井勇の生涯を通じた代表作となったものだが、こ...
専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」をはじめ、吉井勇の『酒ほがひ』の「祗園冊子」の章に収録された「祗園もの」とも言うべき一連の作品は吉井勇の生涯を通じた代表作となったものだが、こ...
浪曲の伴奏をうけおう三味線では,弾かれるべき音のすがたは予め厳格に定まってはおらず,奏者は浪曲師の「節(ふし)」のありように対応して,その場その場で旋律を繰り出してゆく。こうした過程は,「リアルタイム...
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専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」をはじめ、吉井勇の『酒ほがひ』の「祗園冊子」の章に収録された「祗園もの」とも言うべき一連の作品は吉井勇の生涯を通じた代表作となったものだが、こ...