明治25年から30年(1892~1897)頃の諏訪公園。南側の山の形から推測すると、公園の噴水付近から市街地側を見て撮影している。東屋の緋毛氈(ひもうせん)に女性が二人座り、傍らに三人目の女性がポーズをとって立っている。手彩色の写真であり、座った女性やポーズをとった女性の着物の配色が美しい。冬枯れした諏訪公園の昼下がり。Suwa Park is shown around 1895. The line of mountains indicates that this was taken from the area of the fountain, overlooking the downtown area of Nagasaki. Two women are sitting on a red carpet in a summer gazebo, while another woman stands nearby. The women's kimono have been beautifully hand-coloured. This an afternoon scene on a desolate wintry day in Suwa Park
英語で「本牧海水浴場の景色、横浜の近く」と印刷されているが、これは、保養地である本牧海岸の十二天にあった茶屋と、海水浴に供せられていた海岸である。海に突き出した木橋は船着き場兼海水浴のためか。The ...
下鴨糺の森の御手洗川畔に建つ茶店を撮影する。簡素な数寄屋風の茶店に2人の女性が乗った小舟が乗り付けている。御手洗川は下鴨神社の御手洗社から湧き出る水が流れ出した川である。近世から明治期にかけて、毎年土...
中島へ渡る参道の途中、目録番号4665とほぼ同じ地点から撮影されているが、松の枝の長さから判断してこちらの写真の方がやや新しい時期と思われる。この茶屋は中島から張り出す形で建てられていたが、東京大空襲...
諏訪神社境内にある月見茶屋の昔の建物。現在の建物にも写真の茶屋の趣が残っている。The former building of the Tsukimi Teahouse within the Suwa ...
不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を...
明治7年(1874)市民の遊楽地として、また外国人の旅情を満足させるために、諏訪神社に隣接して諏訪公園が造られた。公園の中に、池があり噴水が造られた。池の石橋の上に、和服を着た芸子がポーズを取っている...
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、...
日の当たった縁側、座敷には湯桶を前に丸髷の女性が4人、膝を折り、こちらを見ている。軒下の沓脱ぎ石の上に脱いだ駒下駄が幾揃いか並んでいる。後景には、庭木の茂みに埋もれたように灯篭が朧な姿をのぞかせている...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
春になると、桜の名所には多くの花見客が訪れる。茶や菓子を出す茶店は行楽地にはなくてはならないもので、多くの人影が見える。向かって左の女性は振袖にだらりの帯、ぽっくり下駄、かんざしも華やかな印象で、いか...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
上野公園の茶屋。花を眺めながら憩う女性たち。「桜もち」ののぼりが見える。The tea house in Ueno Park. Women make themselves comfortable wh...
英語で「本牧海水浴場の景色、横浜の近く」と印刷されているが、これは、保養地である本牧海岸の十二天にあった茶屋と、海水浴に供せられていた海岸である。海に突き出した木橋は船着き場兼海水浴のためか。The ...
下鴨糺の森の御手洗川畔に建つ茶店を撮影する。簡素な数寄屋風の茶店に2人の女性が乗った小舟が乗り付けている。御手洗川は下鴨神社の御手洗社から湧き出る水が流れ出した川である。近世から明治期にかけて、毎年土...
中島へ渡る参道の途中、目録番号4665とほぼ同じ地点から撮影されているが、松の枝の長さから判断してこちらの写真の方がやや新しい時期と思われる。この茶屋は中島から張り出す形で建てられていたが、東京大空襲...
諏訪神社境内にある月見茶屋の昔の建物。現在の建物にも写真の茶屋の趣が残っている。The former building of the Tsukimi Teahouse within the Suwa ...
不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を...
明治7年(1874)市民の遊楽地として、また外国人の旅情を満足させるために、諏訪神社に隣接して諏訪公園が造られた。公園の中に、池があり噴水が造られた。池の石橋の上に、和服を着た芸子がポーズを取っている...
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、...
日の当たった縁側、座敷には湯桶を前に丸髷の女性が4人、膝を折り、こちらを見ている。軒下の沓脱ぎ石の上に脱いだ駒下駄が幾揃いか並んでいる。後景には、庭木の茂みに埋もれたように灯篭が朧な姿をのぞかせている...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
春になると、桜の名所には多くの花見客が訪れる。茶や菓子を出す茶店は行楽地にはなくてはならないもので、多くの人影が見える。向かって左の女性は振袖にだらりの帯、ぽっくり下駄、かんざしも華やかな印象で、いか...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
上野公園の茶屋。花を眺めながら憩う女性たち。「桜もち」ののぼりが見える。The tea house in Ueno Park. Women make themselves comfortable wh...
英語で「本牧海水浴場の景色、横浜の近く」と印刷されているが、これは、保養地である本牧海岸の十二天にあった茶屋と、海水浴に供せられていた海岸である。海に突き出した木橋は船着き場兼海水浴のためか。The ...
下鴨糺の森の御手洗川畔に建つ茶店を撮影する。簡素な数寄屋風の茶店に2人の女性が乗った小舟が乗り付けている。御手洗川は下鴨神社の御手洗社から湧き出る水が流れ出した川である。近世から明治期にかけて、毎年土...
中島へ渡る参道の途中、目録番号4665とほぼ同じ地点から撮影されているが、松の枝の長さから判断してこちらの写真の方がやや新しい時期と思われる。この茶屋は中島から張り出す形で建てられていたが、東京大空襲...