中島へ渡る参道の途中、目録番号4665とほぼ同じ地点から撮影されているが、松の枝の長さから判断してこちらの写真の方がやや新しい時期と思われる。この茶屋は中島から張り出す形で建てられていたが、東京大空襲で焼失後、この場所は池に戻されている。This photograph taken half way along the approach to Nakanoshima, the same location as in #4665. However, the length of the pine branches indicates that this photograph was taken later. The teahouse was built on a protruding point of Nakanoshima. Unfortunately, it was destroyed in a 1945 air raid on Tokyo, and this is now part of the pond
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、...
不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。清水坂あたりからの俯瞰。参道に茶屋が建ち並んでいる。その先、中央に弁天堂、右手前に生地院、明治6年上...
本コレクション中に蓮池の写真が多数ある。整理番号15-49「不忍池(2)」などとの比較から、本写真も不忍池と思われる。全面の大きな蓮の花と遠景の木立の対比によって、池の広がりが強調されている。Ther...
‘№54B. LOTUS FLOWERS AT KAMAKURA.'とある。向かって右には木の鳥居があり、その左側の赤い建物は若宮で、上にあるのは上宮廻廊(かいろう)であろう。ところで、明治期には池の...
不忍池中島は、古くからあった小島を足掛かりに、水谷伊勢守勝隆が上野の山の土で埋め立てて築いた人工の島である。天海僧正によって、琵琶湖竹生島の弁財天が勧請され、多くの参詣者で賑わった。これらの堂宇は昭和...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
上野公園の茶屋。桜の花見の季節。この茶屋は不忍池の畔にあり、文人墨客が集まった。右端に、当時としては最先端の自転車に洋装の男が見える。A teahouse in Ueno Park during th...
写っている人々は皆綿入れ半纏のような上着を羽織り、建物の二階にいる人物は手拭のようなものを持っている。茶屋ではなく温泉宿ではなかろうか。池泉回遊式の庭園のようで石組みも立派である。右手奥にシュロかヤシ...
江ノ島の対岸片瀬の二階建ての茶屋。1階の障子には「御休泊」「御茶漬」などと書かれている。画面左には石段と1対の石灯篭が見え、その背後は森になっている。A two-story teahouse in K...
小さな池にかかった小さな橋の上に日傘をさした女性が立ち、その向こうの、池に突き出した茶屋の一室の欄干に腰を乗せた女性が見詰めている。いかにもこじんまりした日本的庭と女性たちの姿が調和している。A wo...
横浜(整理番号55-12、41)、上野(同53-15)、向島(同53-40)等桜の名所を撮った古写真は非常に多い。本写真の場所は特定できないが、よしずを張った茶屋の様子等、当時の桜名所の風情をよく伝え...
元町通りの中程、元町百段と呼ばれる石段を登ると浅間神社があり、境内に「田辺の茶屋」があった。ここは市街を一望できる展望台として内外人で賑わったが、関東大震災で階段もろとも崩壊し、神社は丘の麓に再建され...
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、...
不忍池は寛永寺を建立したおり(寛永2年)、天海僧正が池を琵琶湖に見立て、竹生島に弁天堂を築いたもの。清水坂あたりからの俯瞰。参道に茶屋が建ち並んでいる。その先、中央に弁天堂、右手前に生地院、明治6年上...
本コレクション中に蓮池の写真が多数ある。整理番号15-49「不忍池(2)」などとの比較から、本写真も不忍池と思われる。全面の大きな蓮の花と遠景の木立の対比によって、池の広がりが強調されている。Ther...
‘№54B. LOTUS FLOWERS AT KAMAKURA.'とある。向かって右には木の鳥居があり、その左側の赤い建物は若宮で、上にあるのは上宮廻廊(かいろう)であろう。ところで、明治期には池の...
不忍池中島は、古くからあった小島を足掛かりに、水谷伊勢守勝隆が上野の山の土で埋め立てて築いた人工の島である。天海僧正によって、琵琶湖竹生島の弁財天が勧請され、多くの参詣者で賑わった。これらの堂宇は昭和...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
下鴨神社の御手洗(みたらし)川を望む。橋の上を人力車に乗った女性と日傘を差した女性がすれ違う。橋の両岸には屋根つきの納涼床が設けられている。御手洗川は下鴨神社内の御手洗社から湧き出る井戸を水源とする。...
上野公園の茶屋。桜の花見の季節。この茶屋は不忍池の畔にあり、文人墨客が集まった。右端に、当時としては最先端の自転車に洋装の男が見える。A teahouse in Ueno Park during th...
写っている人々は皆綿入れ半纏のような上着を羽織り、建物の二階にいる人物は手拭のようなものを持っている。茶屋ではなく温泉宿ではなかろうか。池泉回遊式の庭園のようで石組みも立派である。右手奥にシュロかヤシ...
江ノ島の対岸片瀬の二階建ての茶屋。1階の障子には「御休泊」「御茶漬」などと書かれている。画面左には石段と1対の石灯篭が見え、その背後は森になっている。A two-story teahouse in K...
小さな池にかかった小さな橋の上に日傘をさした女性が立ち、その向こうの、池に突き出した茶屋の一室の欄干に腰を乗せた女性が見詰めている。いかにもこじんまりした日本的庭と女性たちの姿が調和している。A wo...
横浜(整理番号55-12、41)、上野(同53-15)、向島(同53-40)等桜の名所を撮った古写真は非常に多い。本写真の場所は特定できないが、よしずを張った茶屋の様子等、当時の桜名所の風情をよく伝え...
元町通りの中程、元町百段と呼ばれる石段を登ると浅間神社があり、境内に「田辺の茶屋」があった。ここは市街を一望できる展望台として内外人で賑わったが、関東大震災で階段もろとも崩壊し、神社は丘の麓に再建され...
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、...