タイトルに「MUKOYAMA TEA HOUSE」とある。伊香保の向山は温泉街の西側尾根で榛名山登山路が通る景勝地で料理店や別荘があった。写真は皇太后行啓で有名な六勝亭割烹店と思われる。The English title is "MUKOYAMA TEA HOUSE.." Mt. Mukoyama, located to the west of the Ikaho hot spring town, was accessed by the Mt. Haruna mountain climbing path. There used to be restaurants and villas here. The house in the photograph is probably the Roskushotei restaurant made famous by visits from the Empress of Japan
不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を...
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
王子は江戸から離れた所であったが、飛鳥山が花見の名所、滝野川が紅葉の名所となり、王子稲荷信仰が人気になると、王子稲荷門前から飛鳥山の麓まで約4町余(450m程)の参道には、茶店や料理屋が軒を並べるよう...
馬返しは中禅寺道の起点であり、これよりつづら折の山道の難所を経て大平に至る。写真には山駕籠と茶屋が写っている。茶屋はつた屋であろう。Umagaeshi is the starting point of...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
元町通りの中程、元町百段と呼ばれる石段を登ると浅間神社があり、境内に「田辺の茶屋」があった。ここは市街を一望できる展望台として内外人で賑わったが、関東大震災で階段もろとも崩壊し、神社は丘の麓に再建され...
紅葉で有名な滝野川の金剛寺。紅葉寺とも呼ばれ、文人墨客や行楽客が多数訪れた。こうした風景の観光が成立するためには、水墨画から日本庭園へ、日本庭園から自然の風景へと、鑑賞の翻訳が必要となる。Kongoj...
幕末、山手の南、本牧と根岸には外国人遊歩道が開かれた。本牧十二天は風光明媚であり支道が通じていた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。写真は海岸に突き出した茶屋であり、海水浴場でもあった。In the ...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を...
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
王子は江戸から離れた所であったが、飛鳥山が花見の名所、滝野川が紅葉の名所となり、王子稲荷信仰が人気になると、王子稲荷門前から飛鳥山の麓まで約4町余(450m程)の参道には、茶店や料理屋が軒を並べるよう...
馬返しは中禅寺道の起点であり、これよりつづら折の山道の難所を経て大平に至る。写真には山駕籠と茶屋が写っている。茶屋はつた屋であろう。Umagaeshi is the starting point of...
墨提は花見の名所。道の両端に咲いた桜の並木が見事である。休処にかけてある提灯は夜桜見物のためであろうか。その傍らには土産物を売るスタンドのようなものも見える。Bokutei is a favourit...
中山道の宿駅(詳細不明)の茶屋の様子であろう。道の両側に沿って多くの店が軒を並べている。右手には、休息中の旅人の姿も見える。It is probably what the tea house look...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
英語で「横浜の浅間山(せんげんやま)、茶店」と印刷されている。これは横浜外国人居留地に隣接していた本村の浅間山百段上にあった茶店を撮影したものである。左右の茶店は提灯で飾られ、団扇ををもつ若い女性が夕...
元町通りの中程、元町百段と呼ばれる石段を登ると浅間神社があり、境内に「田辺の茶屋」があった。ここは市街を一望できる展望台として内外人で賑わったが、関東大震災で階段もろとも崩壊し、神社は丘の麓に再建され...
紅葉で有名な滝野川の金剛寺。紅葉寺とも呼ばれ、文人墨客や行楽客が多数訪れた。こうした風景の観光が成立するためには、水墨画から日本庭園へ、日本庭園から自然の風景へと、鑑賞の翻訳が必要となる。Kongoj...
幕末、山手の南、本牧と根岸には外国人遊歩道が開かれた。本牧十二天は風光明媚であり支道が通じていた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。写真は海岸に突き出した茶屋であり、海水浴場でもあった。In the ...
嵐山温泉北側の保津川北岸から上流を望む。萱葺の方形屋根の茶店には、壁がなく角材の柱がむき出しとなっている。中には長机と長椅子が置かれ、着物姿の女性が座り休憩している。辺りには植えられたばかりの立木が見...
元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの...
野毛山一帯には、明治3年(1870)に伊勢山皇大神宮や成田山横浜別院(通称野毛不動)が勧請された。山上から港や市街が一望できることもあり、桜や紅葉の季節には多くの参詣者を集めた。中央に見えている塔は、...
撮影者未詳。‘Kamakura.'のタイトルがある。海に面した谷あいに、茶店と思える小屋が建つ。なお、この場所は明治29年(1896)刊銅版刷『相模国鎌倉名所及江之嶋全図』等から、江島神社中津宮(なか...
不忍池の周囲に作られた競馬場から上野の高台・忍岡を望む写真である。画面右端の洋風建築は、京橋精養軒の支店として明治9年(1876)に開業した上野精養軒である。ホテル兼西洋料理店として日々大入りの繁盛を...
横浜公園は、居留外国人および日本人共用の「彼我公園」として明治10年(1877)に開設した洋風公園。居留地撤廃後の同42年(1909)には公園全域が横浜市の管理となり、噴水や花壇を備えた庭園が整備され...
王子は江戸から離れた所であったが、飛鳥山が花見の名所、滝野川が紅葉の名所となり、王子稲荷信仰が人気になると、王子稲荷門前から飛鳥山の麓まで約4町余(450m程)の参道には、茶店や料理屋が軒を並べるよう...