知恩院大釣鐘を鐘楼西側から東に望む。鐘の下では着物姿の2人の青年が鐘に手を伸ばしている。右側の柱には彩色写真を貼り付けた額が掲げられる。知恩院大釣鐘は吉水の鐘とも呼ばれ、寛永13年(1636)に三条釜座によって鋳造された日本最大の銅鐘である。高さ5.4m、口径2.7m、厚さ29cm、重量約7.5t(約2万貫)である。The big temple bell of Chion-in viewed from west of the bell tower, facing east. Two kimono-clad men stretch their arms under the bell. A framed tinted photograph is attached to the pillar on the right. Also called "Yoshimizu's Bell," this is the largest bronze bell cast at Sanjo-Kamanza foundry. It is 5.4m high, 2.7m in diameter, 29cm thick, and weighs 7.5 tons
有章院は徳川家継の法号。拝殿右側から勅額門?(写真右後方)に向かって鐘楼を撮したもの。Yushoin is the Buddhist name of Tokugawa Ietsugu. This is...
知恩院経蔵を御影(ごえい)堂南側より石燈籠をはさみ東に望む。経蔵は元和5年(1615)の創建で、本瓦葺で二層の宝形造である。裳階部分には壁・扉・窓がなく吹放しで、柱が立ち並んで周りを取り巻く「周柱式」...
写真左下に、"LARGE BELL DAIBUTSU" とあるが、未詳。Written "LARGE BELL DAIBUTSU", but relation with the photo unkno...
知恩院大釣鐘を鐘楼西側から東に望む。鐘の下では写真屋が彩色写真を額装し販売している。その周りに観光客の青年が立つ。知恩院大釣鐘は吉水の鐘とも呼ばれ、寛永13年(1636)に三条釜座によって鋳造された日...
知恩院御影堂を南西側より北東に望む。御影堂は知恩院の本堂で、法然上人の御影を安置する。桁行11間、梁間9間、単層、入母屋造、本瓦葺で、寛永16年(1639)に再建された。右背後に華頂山が姿をのぞかせる...
常楽寺銅鐘(重要文化財)か。常楽寺は北条泰時によって建立され、宋からの来朝僧、蘭渓道隆はここに宋の禅院の規式そのままに、同寺を設計し、わが国禅門の基礎を築いたと言う。銅鐘には宝治2年(1248)の銘が...
知恩院三門を西側から東に望む。門前の南方には「説教」と記された大高札が立てられ、その前に人力車に乗った人の姿が見える。知恩院三門は5間3戸、重層、入母屋造、本瓦葺で、元和5年(1619)に徳川家忠によ...
知恩院三門の楼上。鏡天井に極彩色で、天人や迦陵頻伽が描かれている。天井と柱の間に三手先斗拱が見える。鏡天井・三手先斗拱は、室町以降広く行われた禪宗様で愛用された普遍的な様式である。中央に釈迦如来像、そ...
川崎大師とは真言宗智山派大本山平間寺の通称。旧条約時代には、外国人がパスポートなしに旅行できる遊歩区域が定められていた。横浜の場合、東は六郷川まで、川崎大師はその東端に位置する名所として、多くの外国人...
知恩院御影堂内の須弥壇と厨子を撮影する。須弥壇と厨子は金箔と漆塗で装飾された禅宗様で、本尊である法然上人坐像の尊像を安置している。知恩院御影堂を南西側より北東に望む。御影堂は知恩院の本堂で、法然上人の...
建長寺の大釣鐘か。建長寺は臨済宗建長寺派の大本山で鎌倉五山のなかで首位に位置する。執権北条時頼は深く禅宗に帰依し、建長元年(1249)に本寺の建立を企画し、同5年に完成した。鐘は鐘楼外門にある。Thi...
寺町の大音寺境内を正面から上がった左手にあった鐘楼を元治元年(1864)頃長崎を訪問したベアトが撮影したものである。僧侶と武士、従者がベアトを珍しそうに眺めている様子がうががえる。Beato took...
七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以...
画面左の建物が釣鐘が納められている鐘楼(しょうろう)。鐘楼には竜、飛竜(ひりゅう)、鶴、麒麟、波など78体の彫刻が施されている。鐘楼は陽明門を挟んで鼓楼と共に対を成している。画面の中央に陽明門が見え、...
知恩院境内を霊塔南東側より北東に望む。石畳の参道が前方より一直線に延び、左方の本堂の御影(ごえい)堂、右方の経蔵へと続く。背後に華頂山をいただく。御影堂前には洋服にステッキを持った男性の姿、経蔵前には...
有章院は徳川家継の法号。拝殿右側から勅額門?(写真右後方)に向かって鐘楼を撮したもの。Yushoin is the Buddhist name of Tokugawa Ietsugu. This is...
知恩院経蔵を御影(ごえい)堂南側より石燈籠をはさみ東に望む。経蔵は元和5年(1615)の創建で、本瓦葺で二層の宝形造である。裳階部分には壁・扉・窓がなく吹放しで、柱が立ち並んで周りを取り巻く「周柱式」...
写真左下に、"LARGE BELL DAIBUTSU" とあるが、未詳。Written "LARGE BELL DAIBUTSU", but relation with the photo unkno...
知恩院大釣鐘を鐘楼西側から東に望む。鐘の下では写真屋が彩色写真を額装し販売している。その周りに観光客の青年が立つ。知恩院大釣鐘は吉水の鐘とも呼ばれ、寛永13年(1636)に三条釜座によって鋳造された日...
知恩院御影堂を南西側より北東に望む。御影堂は知恩院の本堂で、法然上人の御影を安置する。桁行11間、梁間9間、単層、入母屋造、本瓦葺で、寛永16年(1639)に再建された。右背後に華頂山が姿をのぞかせる...
常楽寺銅鐘(重要文化財)か。常楽寺は北条泰時によって建立され、宋からの来朝僧、蘭渓道隆はここに宋の禅院の規式そのままに、同寺を設計し、わが国禅門の基礎を築いたと言う。銅鐘には宝治2年(1248)の銘が...
知恩院三門を西側から東に望む。門前の南方には「説教」と記された大高札が立てられ、その前に人力車に乗った人の姿が見える。知恩院三門は5間3戸、重層、入母屋造、本瓦葺で、元和5年(1619)に徳川家忠によ...
知恩院三門の楼上。鏡天井に極彩色で、天人や迦陵頻伽が描かれている。天井と柱の間に三手先斗拱が見える。鏡天井・三手先斗拱は、室町以降広く行われた禪宗様で愛用された普遍的な様式である。中央に釈迦如来像、そ...
川崎大師とは真言宗智山派大本山平間寺の通称。旧条約時代には、外国人がパスポートなしに旅行できる遊歩区域が定められていた。横浜の場合、東は六郷川まで、川崎大師はその東端に位置する名所として、多くの外国人...
知恩院御影堂内の須弥壇と厨子を撮影する。須弥壇と厨子は金箔と漆塗で装飾された禅宗様で、本尊である法然上人坐像の尊像を安置している。知恩院御影堂を南西側より北東に望む。御影堂は知恩院の本堂で、法然上人の...
建長寺の大釣鐘か。建長寺は臨済宗建長寺派の大本山で鎌倉五山のなかで首位に位置する。執権北条時頼は深く禅宗に帰依し、建長元年(1249)に本寺の建立を企画し、同5年に完成した。鐘は鐘楼外門にある。Thi...
寺町の大音寺境内を正面から上がった左手にあった鐘楼を元治元年(1864)頃長崎を訪問したベアトが撮影したものである。僧侶と武士、従者がベアトを珍しそうに眺めている様子がうががえる。Beato took...
七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以...
画面左の建物が釣鐘が納められている鐘楼(しょうろう)。鐘楼には竜、飛竜(ひりゅう)、鶴、麒麟、波など78体の彫刻が施されている。鐘楼は陽明門を挟んで鼓楼と共に対を成している。画面の中央に陽明門が見え、...
知恩院境内を霊塔南東側より北東に望む。石畳の参道が前方より一直線に延び、左方の本堂の御影(ごえい)堂、右方の経蔵へと続く。背後に華頂山をいただく。御影堂前には洋服にステッキを持った男性の姿、経蔵前には...
有章院は徳川家継の法号。拝殿右側から勅額門?(写真右後方)に向かって鐘楼を撮したもの。Yushoin is the Buddhist name of Tokugawa Ietsugu. This is...
知恩院経蔵を御影(ごえい)堂南側より石燈籠をはさみ東に望む。経蔵は元和5年(1615)の創建で、本瓦葺で二層の宝形造である。裳階部分には壁・扉・窓がなく吹放しで、柱が立ち並んで周りを取り巻く「周柱式」...
写真左下に、"LARGE BELL DAIBUTSU" とあるが、未詳。Written "LARGE BELL DAIBUTSU", but relation with the photo unkno...