群馬県松井田町坂本と長野県軽井沢町軽井沢との境にある旧中山道の峠。信州を経由して畿内と関東を結ぶ交通の要衝。難所であったため明治17年碓氷新道開削、19年開通。右手の茶屋の軒先に女中らしき女性が3人こちらを見てたたずんでいる。The range on the former Nakasendo, on the borders of Sakamoto of Matsuida-cho in Gunma prefecture and Karuizawa of Karuizawa-cho in Nagano Prefecture. It was an important cross road connecting the Kinai and Kanto areas via Shinshu. Because it was a difficult path, a new Usui range road was built, starting in 1884 and completing in 1886. Three waitresses look in the direction of the camera in front of the tea house to the right
塩尻峠は塩嶺とも呼ばれ、標高約1000m。眼下には塩尻宿を初め周辺の町並みと諏訪湖が、左手遠くには八ヶ岳や霧ヶ峰が望まれる。晴天の日には正面奧に富士山の姿も見えるはずである。Shiojiri rang...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
木曽八景の一つ、小野の滝。花崗岩の岩盤にかかるこの滝は、中山道・須原付近(現長野県木曽郡上松町)に位置しており、広重・英泉の『中山道六十九次』にも描かれている。The Ono Falls, one o...
坂本宿(松井田町)は峠の東麓にあり、標高500メートルのここから峠までの600メートルは450メートルを登る難所。幅15メートルの道沿いに宿屋が立ち並ぶ。正面奥に見えるこんもりとした山は刎石山。この尾...
旧中山道鳥居峠途中にある民家と、その前に立つ女性。遠景には、峠を越えていく人々の姿も捉えられている。鳥居峠は、木曽郡楢川村奈良井と同郡木祖村藪原との境に位置する、中山道屈指の難所であった。A hous...
中山道の難所である鳥居峠と、その麓の奈良井村の風景。中央の河原には、村人の姿も見える。同村が中山道の宿駅に定められたのは慶長7年。高冷地のため農業には適さず、工芸を主たる生業とした。The diffi...
中山道芦田(あしだ)宿(長野県立科町)と長窪(ながくぼ)宿(長野県長門町)の間にある笠取峠(752m)。安藤広重が「中山道六十三次」の中で描いた松並木は、今でも現存している。遠景は浅間山(2568m)...
中山道中最大の難所、和田宿和田峠・東餅屋の様子。ここには5軒ほどの茶屋があり、休息所となっていた。また住民は旅行者の救護の仕事にも当たっていたため、各人に1人扶持(一日あたり玄米5合)が支給されてもい...
木曽川を背景として、小野村の集落の一部をなす家屋が写されている。軒下には、荷物を担いでいるとおぼしき2人の人影も見える。小野村は当初中山道の宿場であったが、後に道筋が変更されたため、諏訪・木曽への近道...
中山道坂本宿、碓氷峠を西へ下った軽井沢から見た浅間山。軽井沢宿は食売などで繁盛していたが、天明3年(1783)の浅間山爆発で大打撃を受けた。また明治に入り碓氷新道が開通するとともに、同村は衰退していく...
和田宿付近の集落。防風用の石置屋根造りの家屋が建ち並び、村人の姿も見える。和田宿は中仙道中最も険しい和田峠を控え、古くから交通の要地であった。しかし明治以降は幹線道路から外れたため、発展を望めなくなっ...
旧中山道碓氷峠東の子持山に源を発する碓氷川。松井田宿の家並みが見える。手前中央にあるのは壊れた橋脚であろうか。写真右手前には竿をたらす釣り人がひとり。碓氷川は現在でも鮎釣場として有名である。The U...
御嵩新道は、御嵩~大井間に中山道を通すために慶長7年(1602)に着工されて出来た新道。途中、大湫(おおくて)宿、細久手宿が設けられるが、琵琶峠、十三峠など難所がある。The Mitake Shind...
中山道中、岩村田(現長野県佐久市)の風景。手前は用水か。街道を行く多くの旅人が見える。岩村田宿では中山道の他、善光寺道、甲州道、下仁田道などが交わっており、物資輸送上重要な地位を占めていた。A vie...
旧中山道中、鳥居峠から、木曽川と藪原村(現木祖村)を見下ろす。同村の藪原宿は、中山道木曽路の難所である鳥居峠を控え、また飛騨高山へ通ずる飛騨街道奈川道の分岐点として栄えていた。Looking down...
塩尻峠は塩嶺とも呼ばれ、標高約1000m。眼下には塩尻宿を初め周辺の町並みと諏訪湖が、左手遠くには八ヶ岳や霧ヶ峰が望まれる。晴天の日には正面奧に富士山の姿も見えるはずである。Shiojiri rang...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
木曽八景の一つ、小野の滝。花崗岩の岩盤にかかるこの滝は、中山道・須原付近(現長野県木曽郡上松町)に位置しており、広重・英泉の『中山道六十九次』にも描かれている。The Ono Falls, one o...
坂本宿(松井田町)は峠の東麓にあり、標高500メートルのここから峠までの600メートルは450メートルを登る難所。幅15メートルの道沿いに宿屋が立ち並ぶ。正面奥に見えるこんもりとした山は刎石山。この尾...
旧中山道鳥居峠途中にある民家と、その前に立つ女性。遠景には、峠を越えていく人々の姿も捉えられている。鳥居峠は、木曽郡楢川村奈良井と同郡木祖村藪原との境に位置する、中山道屈指の難所であった。A hous...
中山道の難所である鳥居峠と、その麓の奈良井村の風景。中央の河原には、村人の姿も見える。同村が中山道の宿駅に定められたのは慶長7年。高冷地のため農業には適さず、工芸を主たる生業とした。The diffi...
中山道芦田(あしだ)宿(長野県立科町)と長窪(ながくぼ)宿(長野県長門町)の間にある笠取峠(752m)。安藤広重が「中山道六十三次」の中で描いた松並木は、今でも現存している。遠景は浅間山(2568m)...
中山道中最大の難所、和田宿和田峠・東餅屋の様子。ここには5軒ほどの茶屋があり、休息所となっていた。また住民は旅行者の救護の仕事にも当たっていたため、各人に1人扶持(一日あたり玄米5合)が支給されてもい...
木曽川を背景として、小野村の集落の一部をなす家屋が写されている。軒下には、荷物を担いでいるとおぼしき2人の人影も見える。小野村は当初中山道の宿場であったが、後に道筋が変更されたため、諏訪・木曽への近道...
中山道坂本宿、碓氷峠を西へ下った軽井沢から見た浅間山。軽井沢宿は食売などで繁盛していたが、天明3年(1783)の浅間山爆発で大打撃を受けた。また明治に入り碓氷新道が開通するとともに、同村は衰退していく...
和田宿付近の集落。防風用の石置屋根造りの家屋が建ち並び、村人の姿も見える。和田宿は中仙道中最も険しい和田峠を控え、古くから交通の要地であった。しかし明治以降は幹線道路から外れたため、発展を望めなくなっ...
旧中山道碓氷峠東の子持山に源を発する碓氷川。松井田宿の家並みが見える。手前中央にあるのは壊れた橋脚であろうか。写真右手前には竿をたらす釣り人がひとり。碓氷川は現在でも鮎釣場として有名である。The U...
御嵩新道は、御嵩~大井間に中山道を通すために慶長7年(1602)に着工されて出来た新道。途中、大湫(おおくて)宿、細久手宿が設けられるが、琵琶峠、十三峠など難所がある。The Mitake Shind...
中山道中、岩村田(現長野県佐久市)の風景。手前は用水か。街道を行く多くの旅人が見える。岩村田宿では中山道の他、善光寺道、甲州道、下仁田道などが交わっており、物資輸送上重要な地位を占めていた。A vie...
旧中山道中、鳥居峠から、木曽川と藪原村(現木祖村)を見下ろす。同村の藪原宿は、中山道木曽路の難所である鳥居峠を控え、また飛騨高山へ通ずる飛騨街道奈川道の分岐点として栄えていた。Looking down...
塩尻峠は塩嶺とも呼ばれ、標高約1000m。眼下には塩尻宿を初め周辺の町並みと諏訪湖が、左手遠くには八ヶ岳や霧ヶ峰が望まれる。晴天の日には正面奧に富士山の姿も見えるはずである。Shiojiri rang...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
木曽八景の一つ、小野の滝。花崗岩の岩盤にかかるこの滝は、中山道・須原付近(現長野県木曽郡上松町)に位置しており、広重・英泉の『中山道六十九次』にも描かれている。The Ono Falls, one o...