木曽川を背景として、小野村の集落の一部をなす家屋が写されている。軒下には、荷物を担いでいるとおぼしき2人の人影も見える。小野村は当初中山道の宿場であったが、後に道筋が変更されたため、諏訪・木曽への近道の一部となった。Houses which form a part of Ono village are photographed with the Kiso River in the background. Under the roof, 2 people who look like they are carrying loads are faintly seen. Ono village was a shukuba of the Nakasendo, but because the route was changed, it became part of a short cut route to Suwa and Kiso
群馬県松井田町坂本と長野県軽井沢町軽井沢との境にある旧中山道の峠。信州を経由して畿内と関東を結ぶ交通の要衝。難所であったため明治17年碓氷新道開削、19年開通。右手の茶屋の軒先に女中らしき女性が3人こ...
旧中山道鳥居峠途中にある民家と、その前に立つ女性。遠景には、峠を越えていく人々の姿も捉えられている。鳥居峠は、木曽郡楢川村奈良井と同郡木祖村藪原との境に位置する、中山道屈指の難所であった。A hous...
整理番号21-8の風景を反対側から川の下流に向けて撮影している。それゆえ右手の家が彦馬の家になる。家の前には街灯が設置されている。門前には人力車が止まっている。The scene in photo N...
木曽八景の一つ、小野の滝。花崗岩の岩盤にかかるこの滝は、中山道・須原付近(現長野県木曽郡上松町)に位置しており、広重・英泉の『中山道六十九次』にも描かれている。The Ono Falls, one o...
中山道の難所である鳥居峠と、その麓の奈良井村の風景。中央の河原には、村人の姿も見える。同村が中山道の宿駅に定められたのは慶長7年。高冷地のため農業には適さず、工芸を主たる生業とした。The diffi...
中山道の宿駅の一つであった贄川村の様子。中央下には2人の人物。同村は山間地のため耕地が乏しく、農業の合間に商売をする者も多かった。明治22年の町村制施行の際、奈良井村と合併し、新村名を楢川村とした。A...
旧中山道は桜沢の風景(現長野県塩尻市)。右下に木曽川の流れが見える。当地では水田の多くが延徳沖の低湿地にあったため、開田が限界に達した江戸中期以降、度々水害に苦しめられた。A scene from S...
中山道宿駅の一つ、福島宿が置かれていた集落の風景。写真中央を蛇行して流れるのは、木曽川である。宿内には旅籠や茶屋などがあった他、檜物細工、塗物などの多くの職人が活動していた。A view of the...
詳細は不明だが、中山道沿いの集落のひとつと思われる。中山道の他の村落と同様に、急峻な斜面下にへばりつくようにいくつかの家屋が並んでおり、自然条件の厳しさをうかがわせる。The details are ...
旧中山道中、鳥居峠から、木曽川と藪原村(現木祖村)を見下ろす。同村の藪原宿は、中山道木曽路の難所である鳥居峠を控え、また飛騨高山へ通ずる飛騨街道奈川道の分岐点として栄えていた。Looking down...
日本三大急流の一つである木曽川に架かる本橋が、画面中央に小さく写っている。中山道の宿駅、上松宿の近辺と思われる。上松周辺の村々は度重なる大火に見舞われたが、宿場はそのつど再建された。The Hon B...
和田宿付近の集落。防風用の石置屋根造りの家屋が建ち並び、村人の姿も見える。和田宿は中仙道中最も険しい和田峠を控え、古くから交通の要地であった。しかし明治以降は幹線道路から外れたため、発展を望めなくなっ...
中山道中、岩村田(現長野県佐久市)の風景。手前は用水か。街道を行く多くの旅人が見える。岩村田宿では中山道の他、善光寺道、甲州道、下仁田道などが交わっており、物資輸送上重要な地位を占めていた。A vie...
整理番号38-11、38-12と同様、名勝「木曽の桟」の風景。整理番号38-12よりもさらに後方に引いて撮られたものか。左端には住居らしき家屋が、また中央川面には数人の人を乗せた小舟が見える。The ...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
群馬県松井田町坂本と長野県軽井沢町軽井沢との境にある旧中山道の峠。信州を経由して畿内と関東を結ぶ交通の要衝。難所であったため明治17年碓氷新道開削、19年開通。右手の茶屋の軒先に女中らしき女性が3人こ...
旧中山道鳥居峠途中にある民家と、その前に立つ女性。遠景には、峠を越えていく人々の姿も捉えられている。鳥居峠は、木曽郡楢川村奈良井と同郡木祖村藪原との境に位置する、中山道屈指の難所であった。A hous...
整理番号21-8の風景を反対側から川の下流に向けて撮影している。それゆえ右手の家が彦馬の家になる。家の前には街灯が設置されている。門前には人力車が止まっている。The scene in photo N...
木曽八景の一つ、小野の滝。花崗岩の岩盤にかかるこの滝は、中山道・須原付近(現長野県木曽郡上松町)に位置しており、広重・英泉の『中山道六十九次』にも描かれている。The Ono Falls, one o...
中山道の難所である鳥居峠と、その麓の奈良井村の風景。中央の河原には、村人の姿も見える。同村が中山道の宿駅に定められたのは慶長7年。高冷地のため農業には適さず、工芸を主たる生業とした。The diffi...
中山道の宿駅の一つであった贄川村の様子。中央下には2人の人物。同村は山間地のため耕地が乏しく、農業の合間に商売をする者も多かった。明治22年の町村制施行の際、奈良井村と合併し、新村名を楢川村とした。A...
旧中山道は桜沢の風景(現長野県塩尻市)。右下に木曽川の流れが見える。当地では水田の多くが延徳沖の低湿地にあったため、開田が限界に達した江戸中期以降、度々水害に苦しめられた。A scene from S...
中山道宿駅の一つ、福島宿が置かれていた集落の風景。写真中央を蛇行して流れるのは、木曽川である。宿内には旅籠や茶屋などがあった他、檜物細工、塗物などの多くの職人が活動していた。A view of the...
詳細は不明だが、中山道沿いの集落のひとつと思われる。中山道の他の村落と同様に、急峻な斜面下にへばりつくようにいくつかの家屋が並んでおり、自然条件の厳しさをうかがわせる。The details are ...
旧中山道中、鳥居峠から、木曽川と藪原村(現木祖村)を見下ろす。同村の藪原宿は、中山道木曽路の難所である鳥居峠を控え、また飛騨高山へ通ずる飛騨街道奈川道の分岐点として栄えていた。Looking down...
日本三大急流の一つである木曽川に架かる本橋が、画面中央に小さく写っている。中山道の宿駅、上松宿の近辺と思われる。上松周辺の村々は度重なる大火に見舞われたが、宿場はそのつど再建された。The Hon B...
和田宿付近の集落。防風用の石置屋根造りの家屋が建ち並び、村人の姿も見える。和田宿は中仙道中最も険しい和田峠を控え、古くから交通の要地であった。しかし明治以降は幹線道路から外れたため、発展を望めなくなっ...
中山道中、岩村田(現長野県佐久市)の風景。手前は用水か。街道を行く多くの旅人が見える。岩村田宿では中山道の他、善光寺道、甲州道、下仁田道などが交わっており、物資輸送上重要な地位を占めていた。A vie...
整理番号38-11、38-12と同様、名勝「木曽の桟」の風景。整理番号38-12よりもさらに後方に引いて撮られたものか。左端には住居らしき家屋が、また中央川面には数人の人を乗せた小舟が見える。The ...
おそらく中山道の途上、関所のある福島宿(現長野県木曽郡福島町)であろう。当所には、木曽諸宿よりも早く木曽氏の別館が設けられていた。中央には人力車に乗った女性が、右下には天秤棒を担いだ人影が見える。Pr...
群馬県松井田町坂本と長野県軽井沢町軽井沢との境にある旧中山道の峠。信州を経由して畿内と関東を結ぶ交通の要衝。難所であったため明治17年碓氷新道開削、19年開通。右手の茶屋の軒先に女中らしき女性が3人こ...
旧中山道鳥居峠途中にある民家と、その前に立つ女性。遠景には、峠を越えていく人々の姿も捉えられている。鳥居峠は、木曽郡楢川村奈良井と同郡木祖村藪原との境に位置する、中山道屈指の難所であった。A hous...
整理番号21-8の風景を反対側から川の下流に向けて撮影している。それゆえ右手の家が彦馬の家になる。家の前には街灯が設置されている。門前には人力車が止まっている。The scene in photo N...