中山道芦田(あしだ)宿(長野県立科町)と長窪(ながくぼ)宿(長野県長門町)の間にある笠取峠(752m)。安藤広重が「中山道六十三次」の中で描いた松並木は、今でも現存している。遠景は浅間山(2568m)で活火山として知られている。Kasatori Pass (752m) is located between the post towns of Ashida (Tateshina-machi, Nagano Prefecture) and Nagakubo (Nagato-machi) on the Nakasendo Highway. The pine trees along the highway appear in the woodblock prints entitled "The 63 Post Towns of Nakasendo" by Ando Hiroshige. The mountain in the background is Mt. Asama (2568m), an active volcano
駿河湾上に庵原山地と重なって雄大な姿を見せる富士。この構図は安藤広重の東海道五十三次の「由比の図」にそっくりである。峠は海岸からかなり離れた山中にあり、難所として知られていた。A magnificen...
中山道は上松宿付近の、木曽川、桟(かけはし)。この「桟」は小字名であり、古くから名所「木曽の桟」として知られている(広辞苑にも「桟」の例として引かれている)。しかしその「桟」の実態は不明である。Kak...
富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海...
群馬県松井田町坂本と長野県軽井沢町軽井沢との境にある旧中山道の峠。信州を経由して畿内と関東を結ぶ交通の要衝。難所であったため明治17年碓氷新道開削、19年開通。右手の茶屋の軒先に女中らしき女性が3人こ...
旧中山道中、鳥居峠から、木曽川と藪原村(現木祖村)を見下ろす。同村の藪原宿は、中山道木曽路の難所である鳥居峠を控え、また飛騨高山へ通ずる飛騨街道奈川道の分岐点として栄えていた。Looking down...
旧中山道鳥居峠途中にある民家と、その前に立つ女性。遠景には、峠を越えていく人々の姿も捉えられている。鳥居峠は、木曽郡楢川村奈良井と同郡木祖村藪原との境に位置する、中山道屈指の難所であった。A hous...
塩尻峠は塩嶺とも呼ばれ、標高約1000m。眼下には塩尻宿を初め周辺の町並みと諏訪湖が、左手遠くには八ヶ岳や霧ヶ峰が望まれる。晴天の日には正面奧に富士山の姿も見えるはずである。Shiojiri rang...
坂本宿(松井田町)は峠の東麓にあり、標高500メートルのここから峠までの600メートルは450メートルを登る難所。幅15メートルの道沿いに宿屋が立ち並ぶ。正面奥に見えるこんもりとした山は刎石山。この尾...
静岡、神奈川の県境にある乙女峠(お留め峠とも書く)から西方の富士山を遠望したもの。乙女峠は、仙石原(せんごくばら、神奈川県)から箱根を経て御殿場(静岡県)に通じる間道の峠で、古来より富士山眺望の景勝地...
明治14年(1881) 4月、日見新道会社が設立され、明治15年(1882) 7月30日、新道開削工事が完成した。峠の頂上で幅18mあまり、深さ20mあまりを開削し、底に幅4mの切通しが造られた。大正...
旧東海道(現在の国道一号線)の小田原市上板橋付近から、入生田・風祭、箱根の山崎方面を眺めた写真。現在も松が同様な様子で残り、山の形も変わらない。左の川は早川。松が切り倒されているのは、道路拡幅のためか...
御嵩新道は、御嵩~大井間に中山道を通すために慶長7年(1602)に着工されて出来た新道。途中、大湫(おおくて)宿、細久手宿が設けられるが、琵琶峠、十三峠など難所がある。The Mitake Shind...
中山道の難所である鳥居峠と、その麓の奈良井村の風景。中央の河原には、村人の姿も見える。同村が中山道の宿駅に定められたのは慶長7年。高冷地のため農業には適さず、工芸を主たる生業とした。The diffi...
日本三大急流の一つである木曽川に架かる本橋が、画面中央に小さく写っている。中山道の宿駅、上松宿の近辺と思われる。上松周辺の村々は度重なる大火に見舞われたが、宿場はそのつど再建された。The Hon B...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
駿河湾上に庵原山地と重なって雄大な姿を見せる富士。この構図は安藤広重の東海道五十三次の「由比の図」にそっくりである。峠は海岸からかなり離れた山中にあり、難所として知られていた。A magnificen...
中山道は上松宿付近の、木曽川、桟(かけはし)。この「桟」は小字名であり、古くから名所「木曽の桟」として知られている(広辞苑にも「桟」の例として引かれている)。しかしその「桟」の実態は不明である。Kak...
富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海...
群馬県松井田町坂本と長野県軽井沢町軽井沢との境にある旧中山道の峠。信州を経由して畿内と関東を結ぶ交通の要衝。難所であったため明治17年碓氷新道開削、19年開通。右手の茶屋の軒先に女中らしき女性が3人こ...
旧中山道中、鳥居峠から、木曽川と藪原村(現木祖村)を見下ろす。同村の藪原宿は、中山道木曽路の難所である鳥居峠を控え、また飛騨高山へ通ずる飛騨街道奈川道の分岐点として栄えていた。Looking down...
旧中山道鳥居峠途中にある民家と、その前に立つ女性。遠景には、峠を越えていく人々の姿も捉えられている。鳥居峠は、木曽郡楢川村奈良井と同郡木祖村藪原との境に位置する、中山道屈指の難所であった。A hous...
塩尻峠は塩嶺とも呼ばれ、標高約1000m。眼下には塩尻宿を初め周辺の町並みと諏訪湖が、左手遠くには八ヶ岳や霧ヶ峰が望まれる。晴天の日には正面奧に富士山の姿も見えるはずである。Shiojiri rang...
坂本宿(松井田町)は峠の東麓にあり、標高500メートルのここから峠までの600メートルは450メートルを登る難所。幅15メートルの道沿いに宿屋が立ち並ぶ。正面奥に見えるこんもりとした山は刎石山。この尾...
静岡、神奈川の県境にある乙女峠(お留め峠とも書く)から西方の富士山を遠望したもの。乙女峠は、仙石原(せんごくばら、神奈川県)から箱根を経て御殿場(静岡県)に通じる間道の峠で、古来より富士山眺望の景勝地...
明治14年(1881) 4月、日見新道会社が設立され、明治15年(1882) 7月30日、新道開削工事が完成した。峠の頂上で幅18mあまり、深さ20mあまりを開削し、底に幅4mの切通しが造られた。大正...
旧東海道(現在の国道一号線)の小田原市上板橋付近から、入生田・風祭、箱根の山崎方面を眺めた写真。現在も松が同様な様子で残り、山の形も変わらない。左の川は早川。松が切り倒されているのは、道路拡幅のためか...
御嵩新道は、御嵩~大井間に中山道を通すために慶長7年(1602)に着工されて出来た新道。途中、大湫(おおくて)宿、細久手宿が設けられるが、琵琶峠、十三峠など難所がある。The Mitake Shind...
中山道の難所である鳥居峠と、その麓の奈良井村の風景。中央の河原には、村人の姿も見える。同村が中山道の宿駅に定められたのは慶長7年。高冷地のため農業には適さず、工芸を主たる生業とした。The diffi...
日本三大急流の一つである木曽川に架かる本橋が、画面中央に小さく写っている。中山道の宿駅、上松宿の近辺と思われる。上松周辺の村々は度重なる大火に見舞われたが、宿場はそのつど再建された。The Hon B...
富士市柏原新田付近の浮島沼(沼川の上流)から北方の山頂に雪の積もった富士山を遠望したもの。沼の水は沼川を通り、田子ノ浦に注ぐ。浮島沼の周辺は浮島ケ原の湿地帯で、川舟で移動するため、水路網が発達していた...
駿河湾上に庵原山地と重なって雄大な姿を見せる富士。この構図は安藤広重の東海道五十三次の「由比の図」にそっくりである。峠は海岸からかなり離れた山中にあり、難所として知られていた。A magnificen...
中山道は上松宿付近の、木曽川、桟(かけはし)。この「桟」は小字名であり、古くから名所「木曽の桟」として知られている(広辞苑にも「桟」の例として引かれている)。しかしその「桟」の実態は不明である。Kak...
富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海...