東大寺大仏殿東に位置する本堂は、十一面観音を本尊とし、毎年3月に行われる修二会(しゅにえ)の行法で名高い。これは十一面観音の前で悔過(けか)の行法を修するもので、「お水取り」の名でも知られている。The main building to the east of the Great Buddha of Todaiji Temple has at its main image of worship a Kannon with 11 faces. It is famous for the Shunie (spiritual exercise) conducted every March. It is also known as "Omizutori", the spiritual exercise of Keka (repentance) conducted in front of the 11 faced Kannon
天平宝字3年(759)、数々の苦難をへて来日した唐僧鑑真によって創建された。境内には、金堂、講堂、宝蔵、鼓楼などがある。御影堂内に安置された鑑真座像はとくに有名である。This was built b...
大猷院の仁王門前から見た法華堂(手前)と常行堂(奥)。渡り廊でつながれた建物は、二つ堂または担い堂とも呼ばれ、輪王寺と比叡山にしか見られない珍しい形式である。常行堂には阿弥陀如来と摩多羅神が、法華堂に...
茂木の玉台寺の山門。僧寶譽の創建で島原の領主松倉氏の代に第三世義山和尚か再建している。義山和尚は日見の桜谷寺、樺島の無量寺の開山でもある。寺内には島原洪水の際に打ち上げられた死骸を埋めた塔がある。塔の...
東大寺境内の東山麓に、御水取りの行事で知られている二月堂がある。この写真は、二月堂の南にある石階段下の西南方向から、二月堂を見上げるように撮影する。左手下に興成神社の小社があり、小社後方に初代の良弁杉...
天平13年(741)、聖武天皇による国分寺建立の詔を受け、大和の国分寺兼全国の総国分寺として造営される。本尊の盧舎那仏は"奈良の大仏さん"として親しまれている。This was built as th...
軒が波打っていて、大仏殿明治修理以前の撮影である。現在の大仏殿は宝永6年(1709)に完成したから、明治末年の大修理まで200年近くを経ていたことになる。大規模建築で構造上の負担、とくに屋根の荷重によ...
西本願寺御影(ごえい)堂正面を東側から西を向いて撮影する。中央には青銅製の灯籠が建つ。御影堂正面の階段前では礼拝している人の姿が見える。御影堂は大師堂とも呼ばれ、寛永13年(1636)の創建。入母屋造...
この観音堂(本堂)は三代将軍徳川家光が慶安2年(1649)に再建したもの。構造は高欄三手先造(こうらんみてさきづくり)というそうだ。仁王門楼上から鳩が飛び立った瞬間を撮影。昭和20年(1945)3月1...
東大寺の本尊であり、正式には盧舎那仏という。世界最大の金銅物で、高さ15メートル、掌の長さ3メートルという巨大な像である。天平勝宝元年(749)に完成し、同4年に開眼供養がおこなわれた。This is...
2683とほぼ同位置から、東大寺大仏殿内で大仏正面を見上げるように撮影する。2683には、大仏正面に階段がないが、この写真には正面に階段がある。法要など様々な儀礼のときに、その都度設ける「きざはし」と...
興福寺八角堂(南円堂院)正面図と、その前に佇む人物と鹿。興福寺は天智天皇の時代に藤原鎌足病気平癒を祈って建てられた山階寺に由来するとされる。繰り返し火災等にみまわれたが、現在でも北円堂を初め、国宝指定...
慈照寺銀閣を錦鏡池西側より西に望む。写真の銀閣は観音堂とも呼ばれ、足利義政の命により長享3年(1489)に上棟、元和元年(1615)、寛永16年(1639)に修復されている。二層、宝形造、柿(こけら)...
真光寺の大仏。宝暦10年 (1760) 9月に建立された、青銅の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。寺の門前に東向きに座し、高さは1丈6尺(4.8mあまり) 、大阪の長谷川久左衛門作。大仏の後ろに鐘楼(明和...
画面左右にガス灯が、左端に庫裡(くり)が建つ。高徳院は大仏殿を再建するため明治12年(1879)に官の許可を得て広く喜捨(きしゃ)を募ったが、像前3枚の掲示板はその頃の寄進者名板か。また、像左下には簡...
山門越しに本堂を見る。正式名称は寂光山龍口寺(じゃっこうざんりゅうこうじ)。山門は元治元年(1864)大阪の豪商鹿島屋の寄進により建立されたという。本堂、山門、階段下左右の常夜灯ともに現存する。昭和4...
天平宝字3年(759)、数々の苦難をへて来日した唐僧鑑真によって創建された。境内には、金堂、講堂、宝蔵、鼓楼などがある。御影堂内に安置された鑑真座像はとくに有名である。This was built b...
大猷院の仁王門前から見た法華堂(手前)と常行堂(奥)。渡り廊でつながれた建物は、二つ堂または担い堂とも呼ばれ、輪王寺と比叡山にしか見られない珍しい形式である。常行堂には阿弥陀如来と摩多羅神が、法華堂に...
茂木の玉台寺の山門。僧寶譽の創建で島原の領主松倉氏の代に第三世義山和尚か再建している。義山和尚は日見の桜谷寺、樺島の無量寺の開山でもある。寺内には島原洪水の際に打ち上げられた死骸を埋めた塔がある。塔の...
東大寺境内の東山麓に、御水取りの行事で知られている二月堂がある。この写真は、二月堂の南にある石階段下の西南方向から、二月堂を見上げるように撮影する。左手下に興成神社の小社があり、小社後方に初代の良弁杉...
天平13年(741)、聖武天皇による国分寺建立の詔を受け、大和の国分寺兼全国の総国分寺として造営される。本尊の盧舎那仏は"奈良の大仏さん"として親しまれている。This was built as th...
軒が波打っていて、大仏殿明治修理以前の撮影である。現在の大仏殿は宝永6年(1709)に完成したから、明治末年の大修理まで200年近くを経ていたことになる。大規模建築で構造上の負担、とくに屋根の荷重によ...
西本願寺御影(ごえい)堂正面を東側から西を向いて撮影する。中央には青銅製の灯籠が建つ。御影堂正面の階段前では礼拝している人の姿が見える。御影堂は大師堂とも呼ばれ、寛永13年(1636)の創建。入母屋造...
この観音堂(本堂)は三代将軍徳川家光が慶安2年(1649)に再建したもの。構造は高欄三手先造(こうらんみてさきづくり)というそうだ。仁王門楼上から鳩が飛び立った瞬間を撮影。昭和20年(1945)3月1...
東大寺の本尊であり、正式には盧舎那仏という。世界最大の金銅物で、高さ15メートル、掌の長さ3メートルという巨大な像である。天平勝宝元年(749)に完成し、同4年に開眼供養がおこなわれた。This is...
2683とほぼ同位置から、東大寺大仏殿内で大仏正面を見上げるように撮影する。2683には、大仏正面に階段がないが、この写真には正面に階段がある。法要など様々な儀礼のときに、その都度設ける「きざはし」と...
興福寺八角堂(南円堂院)正面図と、その前に佇む人物と鹿。興福寺は天智天皇の時代に藤原鎌足病気平癒を祈って建てられた山階寺に由来するとされる。繰り返し火災等にみまわれたが、現在でも北円堂を初め、国宝指定...
慈照寺銀閣を錦鏡池西側より西に望む。写真の銀閣は観音堂とも呼ばれ、足利義政の命により長享3年(1489)に上棟、元和元年(1615)、寛永16年(1639)に修復されている。二層、宝形造、柿(こけら)...
真光寺の大仏。宝暦10年 (1760) 9月に建立された、青銅の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。寺の門前に東向きに座し、高さは1丈6尺(4.8mあまり) 、大阪の長谷川久左衛門作。大仏の後ろに鐘楼(明和...
画面左右にガス灯が、左端に庫裡(くり)が建つ。高徳院は大仏殿を再建するため明治12年(1879)に官の許可を得て広く喜捨(きしゃ)を募ったが、像前3枚の掲示板はその頃の寄進者名板か。また、像左下には簡...
山門越しに本堂を見る。正式名称は寂光山龍口寺(じゃっこうざんりゅうこうじ)。山門は元治元年(1864)大阪の豪商鹿島屋の寄進により建立されたという。本堂、山門、階段下左右の常夜灯ともに現存する。昭和4...
天平宝字3年(759)、数々の苦難をへて来日した唐僧鑑真によって創建された。境内には、金堂、講堂、宝蔵、鼓楼などがある。御影堂内に安置された鑑真座像はとくに有名である。This was built b...
大猷院の仁王門前から見た法華堂(手前)と常行堂(奥)。渡り廊でつながれた建物は、二つ堂または担い堂とも呼ばれ、輪王寺と比叡山にしか見られない珍しい形式である。常行堂には阿弥陀如来と摩多羅神が、法華堂に...
茂木の玉台寺の山門。僧寶譽の創建で島原の領主松倉氏の代に第三世義山和尚か再建している。義山和尚は日見の桜谷寺、樺島の無量寺の開山でもある。寺内には島原洪水の際に打ち上げられた死骸を埋めた塔がある。塔の...