私たち日本人は,日常,飯を食べるための碗を「お茶碗」(tea-bowl)と呼び習わしているにも拘わらず,こうした習慣が,どのような理由で,いつから行われていたのかについては,必ずしも明らかではない。日常食器をめぐっては,他にもいくつかの疑問があるが,「やきものの文化」を語る上で,これら日常に深く浸透している器を捨象する訳にはいかないであろう。こうした問題については,民俗や文献史学の分野でも言及されてきた。しかし,時系列上で詳細に把握できるだけの資料を欠いていたため,具体的な様相を提示するに至っていない。これに対し,考古遺物は,各時期毎に,組成の量的変化まで復元することが可能なため,前出資料の空隙を埋めることのできる一級の史料である。例えば,明治時代中期の出土事例をみると,現代と同様のやきものの飯碗・湯のみ碗を主体とする組み合わせが既に成立している。しかし,江戸時代前期の碗をみると,飯・汁ともに漆器碗が占めている。そして,やきものの碗は,大ぶりの陶器碗が主体であること,伝世の「茶碗」との類似性,さらには内面に残る擦痕なとから喫茶碗と推定される。また,陶器の喫茶碗は江戸時代中期頃を境に,小形化の傾向を示し,日常の喫茶が「点てる茶」から「点てない茶」に変化していったことを窺い知ることができる。すなわち,こうした流れを概観するだけでも,従前の解釈とは異なる喫茶習慣のあり方や,肥前磁器の生産・流通のあり方といった問題に言及することが可能である。今後は,より正確な様相の把握を通して,「米」や「やきもの」に対する思いを軸にした「日本人」の心意の特質,東アジアの中での日本の位置付け,日本の内部による文化の地域的様相などの復元に向かうべきである。In spite of the fact tha...
さきに拙稿「墨書土器とその字形」において、古代の集落遺跡から出土する墨書土器は、一定の祭祀や儀礼行為等の際に土器になかば記号として意識された文字を記載したのではないかと指摘し、今後、古代村落内の信仰形...
application/pdf縄紋時代人が繊維状の植物性素材で入れ物その他を製作した技法には「組む」「編む」の2種類があった。しかし一般に「組む」「編む」という用語で現される技法の内容は混乱している。...
本稿では,いわゆる開発以前が必ずしも未開発ではなかったという問題意識のもとに,干拓以前の潟湖がもっていた景観と機能を検討することを通じて,開発の意義を再考した。それと同時に,開発や災害などの歴史上の「...
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application/pdf小林行雄は,1955年に「古墳の発生の歴史的意義」を発表した。伝世鏡と同笵鏡を使い,司祭的首長から政治的首長への発展の図式を提示し,畿内で成立した古墳を各地の首長が自分た...
application/pdf『延喜民部省式』に年料雑器として掲げられている「長門国瓷器」については,防長産の緑釉陶器であることが明確化してきたものの,いまだ窯跡が発見されておらず,日本古代の施釉陶器...
application/pdf大宝4(704)年に初めて全国一斉に鋳造された国印は,その印影を正倉院文書や正倉院に伝わる麻布などに残すのみで,国印そのものはその後に改鋳されたものも含め一点も現存しない...
application/pdf本稿では,土器・陶磁器類の流通・消費という側面に焦点を当て,都市とその周辺村落との比較という視点から,平安京とその前後の時期を考古学的に検討した。 まず,11世紀中頃以前...
application/pdf本論文は高知県の山間部に伝わった本川神楽を取り上げて、「宗教者の身体と社会」について考える端緒としたい。具体的には、本川神楽の担い手である太夫(たゆう)が伝承してきた知識...
14C年代測定というと,縄文時代・弥生時代の資料が対象という印象が強いが,加速器質量分析法(AMS)の登場と較正曲線の整備とにより,古文書や古経典など歴史時代の和紙資料についても,14C年代測定を行う...
application/pdf江戸を中心とした近代科学のはじまりとしての合理的思考の脈絡について,近年は前近代論としてさまざまなかたちで論じられている。加賀の絡繰師大野弁吉については,これまでその実像...
本稿は,考古資料から食文化の諸相をより豊かに復元していくための基礎的作業として,平安時代の文献史料にみえるいくつかの食膳具と考古資料との対応関係を追究することにした。検討結果の主な内容は,以下の通りで...
本稿は「民俗の地域差と地域性」に関する方法論的考察であり、文化の受容構造という視角から、新たな解釈モデルの構築を目指すものである。この課題を提示していく上で、これまで同じ「地域性」という言葉の下で行わ...
本稿では,高度経済成長期の農村における食生活の変化を追いつつ,食べものを「作る」と対極にある「ビシャル(捨てる)」という視点から,人々の意識の問題を取り上げる。統計資料からは読み取りにくい人々の微妙な...
application/pdf近代以降の都市には都市の環境がつくり出した新たな民俗がある。これをとりあえず「都市の生活技術伝承」と仮称すると,例えば金沢などではワリイケ(割り井戸)とかタイナイクグリと...
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