鎮火講社は、神仏分離と神道国教化を促す宗教制度の影響を受けながら、明治十七年(一八八四)に愛宕神社の神職たちによって設立された教会講社に端を発する。集落内で組織される従来の愛宕講とは異なり、広域に講員をもち講社長によってその運営が行なわれてきた。明治後期には、新たに設立された神楽講社と共に神社附属講社へ、さらに戦後には個人運営の講社へと変容し、現在も運営が続けられている。両講社は、近世に成立した講集団とは性質が異なる集団だが、その成立過程をみると愛宕講と密接な関係にあり、講研究の上で重要な事例であると考える。本稿では、現在の講元が所蔵する明治・大正期の鎮火講社・神楽講社関係史料を中心に調査を行い、両講社の変遷をまとめた。これによって、近代国家の宗教制度が宗教集団に多大な影響を与えた近代における神社と講社の関係を考察する。愛宕信仰愛宕講神道愛宕教会講社神仏分
専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
九条家領土佐国「幡多郡」は、建長二年(一二五〇)に九条道家が残した惣処分状に唯一郡名で載せられた家領であり、これまで九条家とそこから分かれた一条家の一円領であったとされてきた。しかしながら、この家領の...
埼玉県越谷市1914年に朝鮮から留学したナ・ヘソク(羅蕙錫)のエッセイと小説を通して、1910年代の日韓の政治状況及び文化状況の交点に照明を当てる。1910年代は、明治国家主義を推進した明治第一世代に...
鎮火講社は、神仏分離と神道国教化を促す宗教制度の影響を受けながら、明治十七年(一八八四)に愛宕神社の神職たちによって設立された教会講社に端を発する。集落内で組織される従来の愛宕講とは異なり、広域に講員...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
「デンドロカカリヤ」は、一九四九年八月、雑誌「表現」に掲載された、安部が最初に執筆した変形譚である。この物語は「コモン君がデンドロカカリヤになった話」と、ストーリーテラーの役割を担う《ぼく》が説明する...
これまでの『山の音』研究では、伝統的な分野においては『源氏物語』ばかりに焦点があてられ、能や謡曲について触れたものは少ない。『山の音』には、能面や謡曲「卒都婆小町」に関する記述が多くみられるにも関わら...
「ホスピタリティ」概念の受容と共に,「ホスピタリティ産業」の主張も見られ,既存の概念「接客業」を振り返ることが必要になった。本稿は文献調査をもとに,「接客業」という概念をめぐって,無償の「接客」行為が...
本歌取りを得意としていた藤原定家は、本歌を巧みに想起させるように本歌取りの歌を創作している。一方で本歌との違いを明かにし本歌取りの歌と本歌とが別の歌であることをも示している。それにより、読み手は本歌と...
江戸時代、井原西鶴によって書かれた『本朝二十不孝』は、我が国の文学史において、『孝子伝』『二十四孝』が受容されていく孝子説話史の中に位置づけられる。西鶴は、本書で、孝行の典型である「二十四孝」に対して...
敦煌文献の中には、願文と称せられる一群の漢籍が含まれている。本来は仏前において叶えたい望みを祈禱するために唱える文章を指し、上代日本にもその作成の形跡が認められる。願文の原型なるものがほとんど敦煌文...
専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
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