土器の移動は、縄文時代以来さまざまなかたちで認められる。なかでも古墳出現期の土器の移動は、須恵器出現以前の広域流通を果たしていない生産体制のもとにあって、日本列島の各地の土器がそれぞれの様式圏を越えて広域かつ長距離に移動する点に特徴がある。さらに移動先の土器様式に大きな変化をもたらす場合も少なくない。こうした土器の移動は、人の動きや物資流通、あるいは情報の流れを反映し、古墳の出現や成立過程、また広域流通機構のありかたを考察するうえでの材料となってきた。本稿では、土器の移動から読み取られてきた古墳出現期の社会のありかたについて、土器の生産体制、畿内を中心とする入りと出の双方向の土器の移動、流通機構と集落のネットワークの観点から研究の現状について整理した。The movement of pottery after the Jomon period has been recognized as having taken several forms, among these, the movement of pottery during the initial stage of the Kofun period has been characterized by the movement of ceramic vessels over broad expanses and great distances transcending stylistic spheres in various areas of the Japanese archipelago under a system of production prior to the appearance of Sue ware t...
調庸制は日本古代律令国家の収取制度の一角を占め、中央財政を支えていた。調庸物の納入に際しては、物実の検査に加え、帳簿などを用いた公文勘会によって監査がなされるが、これまでは天長・承和年間に公文勘会制変...
律令制成立期の紡織体制について、特に平織の布や絹の生産の仕組みは史料の制約からほとんど明らかでない。本稿では、七世紀後葉以降に宮都や地方の官衙遺跡から多く出土する綛かけ・糸枠について、機能上必要な加工...
古代日本の地域社会において、神・社がどのような存在であったのか、天平五(七三三) 年に完成した『出雲国風土記』をもとに分析した。水源と観念された山に対する基層的な信仰があり、山の峯にある岩石など自然物...
古墳時代の主要な武具である短甲・頸甲・冑について、生産時の系統差に基づいて組み合わせの変遷と分布を検討し、その社会的意義の一端を論じた。鉄製甲冑の導入当初は生産と流通は独占的に掌握されており、その配布...
古墳時代中期後葉から後期にかけて親族構造が父系化するとされるが、その理解は研究者によって異なる。本論では中丹波地域を取り上げて、その父系化の過程を具体的に検証した。その結果、中期後葉には確かに父系化は...
木製農具は初期農耕社会の経済基盤を支えた道具であり、農耕の拡散や発展を論じるうえで不可欠な要素として重視されてきた。さらに農具には製作途中の未成品も多く伴うため、生産体制論においても存在感を示している...
鏃は古墳時代全期間を通じて、多くの古墳からの出土がみられる器物であり、その変遷観の確立は、ひろく古墳の年代決定に資するものである。またそのような、どの時代の古墳からも出土するという鏃の資料的特性は、同...
専修念仏教団の教団としての発展要因について、これまでの鎌倉新仏教論でも、顕密体制論においても、専修念仏側の思想的妥協によるものと位置づけており、その僧侶集団としての形成過程については詳しく考察されてこ...
京都府雲ノ宮遺跡は、山城で最古の弥生式遺跡である。私はこの遺跡の土器にせっして以来、畿内の前期弥生式土器を古・中・新の三段階に大別する考えをもつようになった。本稿では、雲ノ宮遺跡とその土器についてのべ...
本稿の課題は、幕末期長州藩における民衆動員と真宗との関係について究明することである。まず、欧米勢力の来航に対する海防に当たり、人々を国家に服従させ、進んで死に赴かせることを重視した村田清風は、そのため...
本稿では、豊臣政権の訴訟処理体制について考察した。その意図は、訴訟対応の様相の解明が、研究史上で等閑視されてきた政権の内部構造に迫ることを可能にし、この時期の「公儀」の正当性を支えた基盤を提示すること...
個人情報保護のため削除部分あり本稿の目的は、縄文後期前半期、西日本に分布した縁帯文系土器群を取り上げ、その成立・展開の様相を地域別編年の再検討を通じて明らかにし、その上で地域色を問題とし、地域間関係の...
本稿は南北朝・室町期の京都において在京武士が活動拠点とした諸空間、及び彼らの居住形態の解明を通じて、彼らの具体像に関する実証的基礎の構築を目指すものである。武士の洛中進出は南北朝期に本格化し、寺社本所...
近世の由緒研究において、由緒を語る主体が、政治的な変動にどう対処したか、同一の由緒を持つ主体とどのように関係したかについては、未だ議論が尽くされていない。本稿では神功皇后を祭神とする山城国伏見御香宮神...
本稿では、瀬戸内塩業者による直輸出運動の帰趨をアジア主義団体との関係に留意し跡づけることで、一九世紀後半における文明観流通の社会経済的背景を検討する。一八七〇年代後半に始まる運動は、当初幕末維新期以来...
調庸制は日本古代律令国家の収取制度の一角を占め、中央財政を支えていた。調庸物の納入に際しては、物実の検査に加え、帳簿などを用いた公文勘会によって監査がなされるが、これまでは天長・承和年間に公文勘会制変...
律令制成立期の紡織体制について、特に平織の布や絹の生産の仕組みは史料の制約からほとんど明らかでない。本稿では、七世紀後葉以降に宮都や地方の官衙遺跡から多く出土する綛かけ・糸枠について、機能上必要な加工...
古代日本の地域社会において、神・社がどのような存在であったのか、天平五(七三三) 年に完成した『出雲国風土記』をもとに分析した。水源と観念された山に対する基層的な信仰があり、山の峯にある岩石など自然物...
古墳時代の主要な武具である短甲・頸甲・冑について、生産時の系統差に基づいて組み合わせの変遷と分布を検討し、その社会的意義の一端を論じた。鉄製甲冑の導入当初は生産と流通は独占的に掌握されており、その配布...
古墳時代中期後葉から後期にかけて親族構造が父系化するとされるが、その理解は研究者によって異なる。本論では中丹波地域を取り上げて、その父系化の過程を具体的に検証した。その結果、中期後葉には確かに父系化は...
木製農具は初期農耕社会の経済基盤を支えた道具であり、農耕の拡散や発展を論じるうえで不可欠な要素として重視されてきた。さらに農具には製作途中の未成品も多く伴うため、生産体制論においても存在感を示している...
鏃は古墳時代全期間を通じて、多くの古墳からの出土がみられる器物であり、その変遷観の確立は、ひろく古墳の年代決定に資するものである。またそのような、どの時代の古墳からも出土するという鏃の資料的特性は、同...
専修念仏教団の教団としての発展要因について、これまでの鎌倉新仏教論でも、顕密体制論においても、専修念仏側の思想的妥協によるものと位置づけており、その僧侶集団としての形成過程については詳しく考察されてこ...
京都府雲ノ宮遺跡は、山城で最古の弥生式遺跡である。私はこの遺跡の土器にせっして以来、畿内の前期弥生式土器を古・中・新の三段階に大別する考えをもつようになった。本稿では、雲ノ宮遺跡とその土器についてのべ...
本稿の課題は、幕末期長州藩における民衆動員と真宗との関係について究明することである。まず、欧米勢力の来航に対する海防に当たり、人々を国家に服従させ、進んで死に赴かせることを重視した村田清風は、そのため...
本稿では、豊臣政権の訴訟処理体制について考察した。その意図は、訴訟対応の様相の解明が、研究史上で等閑視されてきた政権の内部構造に迫ることを可能にし、この時期の「公儀」の正当性を支えた基盤を提示すること...
個人情報保護のため削除部分あり本稿の目的は、縄文後期前半期、西日本に分布した縁帯文系土器群を取り上げ、その成立・展開の様相を地域別編年の再検討を通じて明らかにし、その上で地域色を問題とし、地域間関係の...
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近世の由緒研究において、由緒を語る主体が、政治的な変動にどう対処したか、同一の由緒を持つ主体とどのように関係したかについては、未だ議論が尽くされていない。本稿では神功皇后を祭神とする山城国伏見御香宮神...
本稿では、瀬戸内塩業者による直輸出運動の帰趨をアジア主義団体との関係に留意し跡づけることで、一九世紀後半における文明観流通の社会経済的背景を検討する。一八七〇年代後半に始まる運動は、当初幕末維新期以来...
調庸制は日本古代律令国家の収取制度の一角を占め、中央財政を支えていた。調庸物の納入に際しては、物実の検査に加え、帳簿などを用いた公文勘会によって監査がなされるが、これまでは天長・承和年間に公文勘会制変...
律令制成立期の紡織体制について、特に平織の布や絹の生産の仕組みは史料の制約からほとんど明らかでない。本稿では、七世紀後葉以降に宮都や地方の官衙遺跡から多く出土する綛かけ・糸枠について、機能上必要な加工...
古代日本の地域社会において、神・社がどのような存在であったのか、天平五(七三三) 年に完成した『出雲国風土記』をもとに分析した。水源と観念された山に対する基層的な信仰があり、山の峯にある岩石など自然物...