調庸制は日本古代律令国家の収取制度の一角を占め、中央財政を支えていた。調庸物の納入に際しては、物実の検査に加え、帳簿などを用いた公文勘会によって監査がなされるが、これまでは天長・承和年間に公文勘会制変質の画期が求められてきた。しかし、先行研究が指摘した重層的勘会構造の成立および国郡司の分業体制はともに八世紀後半から確認され、令制下の基本原則であった。また斉衡年間には諸司諸家から主計寮へ勘会権の一部が委譲されたものの、重層的勘会構造の大枠は保たれた。ゆえに当該期は、多少の逸脱を含みながらも、未進の恒常化という現実を前提とした律令制的公文勘会制の一大整備期とみるべきである。これらの政策は九世紀前葉の政策と連続性があり、その背景には日本古代社会全体への文書行政の浸透があった。しかし、公文勘会制整備政策は九世紀の多くの政策と同じく現実の追認に端を発しており、未進の増大を実際には抑制できなかった。In this paper, I examine the significance of the development of the kumon kankai 公文勘会system during the mid ninth century in relation to the penetration of a document-based bureaucratic administration throughout ancient Japanese society. The kumon kankai system conducted audits of official documents submitted to the central government from various pr...
本稿では、近世中後期の上方における幕府機構の枠組みを明らかにするとともに、京都・大坂町奉行の位置や役割について検討した。(1)所司代は地域支配・朝廷統制・二条城守衛、大坂城代は地域支配・大坂城守衛の各...
一九三〇年代後半、朝鮮総督府は朝鮮人を「皇国臣民」につくりかえることで長期的な植民地統治の安定を図ろうとする積極的な政策転換(「皇民化」政策) を行った。その焦点の一つとなったのは「国語」としての日本...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は先に発表した「東方会の成立」 (『史林』第六一巻四号) をうけて、東方会のその後の展開を追ったものである。東方会は、「満州事変」を機に既成政党を離れた少数の代議士に...
本稿は、京都大番役などの番役の検討により、鎌倉幕府御家人制の地域的な差異・時代的な変化についての考察を行ったものである。第一章では、東国と西国の違いについて述べた。西国で守護が大番催促を行うのに対し、...
個人情報保護のため削除部分あり近年、郡家間交通路を伝馬制等と結びつけて「伝路」と呼称し、律令期における交通路体系が駅路と「伝路」により構成されていたとする見方がある。しかし、伝馬や伝使は、郡家間の交通...
平安時代においては、京内の学習施設「大学」で学識を身につけ、官人として朝廷に仕えた人々が多数存在していた。通説的には、彼らは人材主義的・反貴族的な存在とされ、世襲的な貴族層との対立や自身の質的変容によ...
ここでとりあげるのは、鎌倉将軍家の御使という一般的な意味のものではなく、 「鎌倉殿御使下 云々」 の書出を有する下文の発給者たる 「鎌倉殿御使」 である。この下文は元暦二年四月から七月にかけての短期間...
個人情報保護のため削除部分あり元老は慣例として形成され、後継首相推薦などの重要な国務について天皇の諮問を受ける役目を果たした。本稿は元老制度に関し、宮中関係者の手になる「徳大寺実則日記」などの史料を初...
恩賞充行政策は、将軍の主従制的支配権の根幹で、かつ、南北朝初期室町幕府の最も重要な政策課題であり、恩賞充行の将軍下文には、執事施行状が付されて恩賞の実現に大いに貢献した。本稿では、執事施行状の発給機関...
一二五〇年代以降、「鎌倉禅」が鎌倉幕府の庇護下で形成されるが、その契機は二つの政変(宮騒動・宝治合戦) に求められる。政変後、幕府は、鎌倉顕密仏教界の再編とともに禅宗保護を開始する。一方、幕府に先行し...
古墳時代の主要な武具である短甲・頸甲・冑について、生産時の系統差に基づいて組み合わせの変遷と分布を検討し、その社会的意義の一端を論じた。鉄製甲冑の導入当初は生産と流通は独占的に掌握されており、その配布...
本稿は、孝徳朝立評が先行する如何なる地域編成を前提として遂行されたのかを考究するものである。大化前代の地域編成は、[A]国造―県稲置―国家民、[B]大小屯倉の伴造―部民、という国制を構成する二つの支配...
六世紀後半に日本に伝えられた仏教は、物部氏の滅亡後、蘇我氏の主導のもとに興隆の一途を辿るが、これまで傍観的立場にあった公権力 (天皇) の側からの仏教 (僧尼•仏与) に対する規制の間題が生じてくる。...
専修念仏教団の教団としての発展要因について、これまでの鎌倉新仏教論でも、顕密体制論においても、専修念仏側の思想的妥協によるものと位置づけており、その僧侶集団としての形成過程については詳しく考察されてこ...
個人情報保護のため削除部分あり南北朝初期室町幕府において、下文等将軍発給文書の後に出された執事施行状は、内乱初期の混乱した社会情勢に対する幕府の対策として出現した考えられる。守護に遵行による下文の実現...
本稿では、近世中後期の上方における幕府機構の枠組みを明らかにするとともに、京都・大坂町奉行の位置や役割について検討した。(1)所司代は地域支配・朝廷統制・二条城守衛、大坂城代は地域支配・大坂城守衛の各...
一九三〇年代後半、朝鮮総督府は朝鮮人を「皇国臣民」につくりかえることで長期的な植民地統治の安定を図ろうとする積極的な政策転換(「皇民化」政策) を行った。その焦点の一つとなったのは「国語」としての日本...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は先に発表した「東方会の成立」 (『史林』第六一巻四号) をうけて、東方会のその後の展開を追ったものである。東方会は、「満州事変」を機に既成政党を離れた少数の代議士に...
本稿は、京都大番役などの番役の検討により、鎌倉幕府御家人制の地域的な差異・時代的な変化についての考察を行ったものである。第一章では、東国と西国の違いについて述べた。西国で守護が大番催促を行うのに対し、...
個人情報保護のため削除部分あり近年、郡家間交通路を伝馬制等と結びつけて「伝路」と呼称し、律令期における交通路体系が駅路と「伝路」により構成されていたとする見方がある。しかし、伝馬や伝使は、郡家間の交通...
平安時代においては、京内の学習施設「大学」で学識を身につけ、官人として朝廷に仕えた人々が多数存在していた。通説的には、彼らは人材主義的・反貴族的な存在とされ、世襲的な貴族層との対立や自身の質的変容によ...
ここでとりあげるのは、鎌倉将軍家の御使という一般的な意味のものではなく、 「鎌倉殿御使下 云々」 の書出を有する下文の発給者たる 「鎌倉殿御使」 である。この下文は元暦二年四月から七月にかけての短期間...
個人情報保護のため削除部分あり元老は慣例として形成され、後継首相推薦などの重要な国務について天皇の諮問を受ける役目を果たした。本稿は元老制度に関し、宮中関係者の手になる「徳大寺実則日記」などの史料を初...
恩賞充行政策は、将軍の主従制的支配権の根幹で、かつ、南北朝初期室町幕府の最も重要な政策課題であり、恩賞充行の将軍下文には、執事施行状が付されて恩賞の実現に大いに貢献した。本稿では、執事施行状の発給機関...
一二五〇年代以降、「鎌倉禅」が鎌倉幕府の庇護下で形成されるが、その契機は二つの政変(宮騒動・宝治合戦) に求められる。政変後、幕府は、鎌倉顕密仏教界の再編とともに禅宗保護を開始する。一方、幕府に先行し...
古墳時代の主要な武具である短甲・頸甲・冑について、生産時の系統差に基づいて組み合わせの変遷と分布を検討し、その社会的意義の一端を論じた。鉄製甲冑の導入当初は生産と流通は独占的に掌握されており、その配布...
本稿は、孝徳朝立評が先行する如何なる地域編成を前提として遂行されたのかを考究するものである。大化前代の地域編成は、[A]国造―県稲置―国家民、[B]大小屯倉の伴造―部民、という国制を構成する二つの支配...
六世紀後半に日本に伝えられた仏教は、物部氏の滅亡後、蘇我氏の主導のもとに興隆の一途を辿るが、これまで傍観的立場にあった公権力 (天皇) の側からの仏教 (僧尼•仏与) に対する規制の間題が生じてくる。...
専修念仏教団の教団としての発展要因について、これまでの鎌倉新仏教論でも、顕密体制論においても、専修念仏側の思想的妥協によるものと位置づけており、その僧侶集団としての形成過程については詳しく考察されてこ...
個人情報保護のため削除部分あり南北朝初期室町幕府において、下文等将軍発給文書の後に出された執事施行状は、内乱初期の混乱した社会情勢に対する幕府の対策として出現した考えられる。守護に遵行による下文の実現...
本稿では、近世中後期の上方における幕府機構の枠組みを明らかにするとともに、京都・大坂町奉行の位置や役割について検討した。(1)所司代は地域支配・朝廷統制・二条城守衛、大坂城代は地域支配・大坂城守衛の各...
一九三〇年代後半、朝鮮総督府は朝鮮人を「皇国臣民」につくりかえることで長期的な植民地統治の安定を図ろうとする積極的な政策転換(「皇民化」政策) を行った。その焦点の一つとなったのは「国語」としての日本...
個人情報保護のため削除部分あり本稿は先に発表した「東方会の成立」 (『史林』第六一巻四号) をうけて、東方会のその後の展開を追ったものである。東方会は、「満州事変」を機に既成政党を離れた少数の代議士に...